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灯台のぼる記 #6 樫野埼灯台(和歌山県串本町)

前回は、潮岬灯台を訪ねました。

そこから車を走らせることおよそ30分。
同じ串本町の離島・紀伊大島の東端に立つのが、今回のぼる樫野埼かしのさき灯台です。

樫野埼灯台

この樫野埼灯台は、燈光会のさだめる「のぼれる灯台」のリストには入っていません(理由は後述します)が、今回は番外編ということで紹介していきます。


「日本の灯台の父」の歴史の始まり (”の”が多い!)

それに先立ち、この灯台を語る上で、いや、日本の灯台を語る上で欠かせない人物の話をしましょう。

リチャード・ヘンリー・ブラントン
イギリス出身のブラントンさんは、灯台好きでその名を知らない人はいないであろう超有名人。

彼はいわゆる「お雇い外国人」です。

明治の開国以来、政府は文明開化によって急速な西洋化を推し進めるべく、イギリスやオランダから多数の外国人を招聘して知識や技術を学びました。
ブラントンもそのうちの一人、灯台建設主任技術者として1868年に来日し、以来8年間で26基の灯台を設計しました。

日本初の洋式灯台の設計こそフランス人のヴェルニーにその名誉を譲りましたが、ブラントンの手がけた灯台は今なお全国各地でその姿を見ることができます。

そんなブラントンが日本で最初に建てた灯台こそ、この樫野埼灯台なのです。

ヴェルニーが先だって手がけた東京湾の※3灯台(観音埼、野島埼、品川)はいずれもレンガ造りであったため、石で造られた樫野埼灯台は、「日本最初の石造灯台」です。
さらに、観音埼灯台と野島埼灯台は関東大震災により倒壊、そして品川灯台は現在愛知県の明治村に移設保存されていることを考えると、これだけの歴史ある建物を建てられたその場所で楽しめる樫野埼灯台は、貴重な存在といえるでしょう。

※ヴェルニーはこれらに加え城ヶ島灯台も設計。ただし、城ヶ島灯台の完成は樫野埼灯台よりもあとのことです。


繰り返される魔改造

さて、灯台を見てみましょう。
太平洋を眼前に建つ白亜の灯台は、塔が区画ごとに分かれたような不思議な形をしています。

実はこれ、当初からこうだった、というわけではないようです。
ついさっき「歴史のある建物を建てられた場所で~」なんてその意義をアピールしたばかりですが、「建てられた当時の姿」ではないんです。
なんかごめんなさい

では、当時の灯台はどうだったのか、昔の写真で見てみましょう。

樫野埼灯台・官舎及びエルトゥールル号事件に関する調査研究報告書』 和歌山県, p.7 
※孫引きご容赦ください

これは和歌山県が作成した資料に載っていたものです。
写真左側が建てられた当時の樫野埼灯台の写真ですが、なんだか背が低いような…。

そう、元々は1階部分に直接灯ろう部分を載せたような形をしていたのです。
この姿は、淡路島に建つ江埼灯台などとよく似た形であることが分かります。

参考:江埼灯台(兵庫県淡路市)
こちらもブラントン設計による灯台

調べたところによると、塔が中継ぎされたのは1954年(昭和29年)のこと。

①と③が建設当時のオリジナル。②の部分を1954年に新設。

先ほどの写真をもう一度見てみます。
もともとあった①と③の間に、②の部分をはめ込む工事を行ったようです。
なんでそんな面倒なことを…とも思いますが、まぁいろいろあったのでしょう。詳しくは知らん。

後からはめ込んだ②の部分は、コンクリート造りだそうです。
完全な石造り、というわけではないのですね。

これにより、樫野埼灯台の高さは8.9mから14.6mへと急成長しました。

海側から見ると石造りとコンクリート造りの違いがよく分かる

さて、樫野埼灯台を見ていてもうひとつ気になる違和感。
そう、この階段。

そびえ立つ美しき白亜の塔…みたいな灯台のイメージを根本から覆す、明らかな異物です(言い過ぎ?)

この階段は2002年に新設されたもの。
灯台からの眺望を楽しめるようにと、観光用に付け足されたもののようです。

階段は塔の外側につけられているため、灯台の内部に入ることはできません。
冒頭で述べたように樫野埼灯台は「のぼれる灯台」のリストには入っていないのですが、その理由はこの「灯台内部に入れるか否か」が基準のような気がします。

ちなみに、塔の外に階段が付されている灯台としては、静岡県の初島灯台(こちらはリストに入っている)があります。

参考:初島灯台(静岡県熱海市)

塔に絡みつく大蛇のごとく這う外階段。
「こっちがリスト入りして、樫野埼灯台が選外なんて遺憾だ」などと思っていましたが、実は初島灯台のほうはちゃんと中に入れます。
内部が狭いため、中の階段をのぼり方向、外の階段をくだり方向、と一方通行にしていたのです。
この初島灯台もなかなか趣深い灯台なので、また今度ちゃんと取り上げようと思います。


きょうの記事は脱線が多いですね。

まぁそんなふうに塔の中継ぎ、外階段の設置と大規模な改造を繰り返して、樫野埼灯台は現在の姿になっていったのです。


小さくても主役級。レンズを間近で楽しめる

さぁ、いよいよのぼってみましょうか。
1階部分は”オリジナル"の石造り。
ぐるりと回り込んで観察してみると、扇形をしています。
(この、扇形の付属舎というのはブラントン灯台によく見られる特徴です)

地元で採れた宇津木石が使われている

木製の扉の上には、英字併記の初点プレート。

外階段は35段。
あっという間にのぼりきり、目の前にはレンズが!

使われているのは第2等フレネルレンズ。
六角形で、円ではなく縦長の形をしているのがよく分かります。
(ゆえに、灯台のレンズは直径ではなく高さで表すらしいです)

三角形を並べたハリハンも、シンプルながら美しいですね。

階段が塔から少し離れたところにあるおかげで、内部をつぶさに観察することができます。
これは利点かもしれない。


踊り場からは、ごらんの景色。

うーん、切り立ってますねぇ。
景色を眺めている間にもボートがたくさん通りました。
マリンレジャースポットとして人気の紀伊半島ならではの光景でしょう。

陸側に向き直ると、樫野埼灯台旧官舎があります。
灯台守が寝泊まりをし、365日24時間態勢で海の安全を守った場所です。

国の有形文化財に登録されているこの旧官舎もブラントンによる設計で、灯台と同じく石造りです。

100円払えば内部を見学することができます。
当時のままの窓枠や、レンズ部の部品、それに竣工当時の灯台の図面などが展示されています。
受付のおじちゃんがめっちゃおしゃべり好きで、すごい情報量でした(ただ、本音を言えば一人でじっくり見学したかった…)
なお、内部は撮影禁止です。


まとめ=知識を持って遊びに行けばきっと楽しい

樫野埼灯台。
今回は潮岬灯台を訪ねるついでに立ち寄ったこと、それから前提知識ゼロで訪れたこともあり、そんなに印象に残る灯台ではありませんでした。
しかし、記事を書くために調べていくうち、実に歴史ロマンにあふれた趣深い灯台なのだなぁと、じわじわ愛が深まってきています。

いろいろ書いていたら、また行きたくなってきました。
大阪から片道3時間と、日帰りで行ける距離なので、また時間を見つけてふらっと遊びに行きたいです。

中継ぎされてなお、比較的低めな樫野埼灯台。
裏を返せば、光を放つレンズを間近で見られるということでもあります。
次回は夕暮れどきにでも訪ねてみようっと。

おわり。

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