見出し画像

【道】 第8回 開拓史見守ったアカマツ並木(国道5号/北海道)

1873(明治6)年、日本初の本格的な西洋式馬車道が、北海道の函館―札幌間に開通した。「札幌本道」と命名された約180㌔㍍のこの道は、砂利を敷き詰めた舗装路で、雨でぬかるむこともなかった。この道路が現在の国道5号の原型となる。

国道5号 七飯の赤松並木


誕生間もない明治政府により国策として組織された北海道開拓使が、まず手掛けたのは道路の整備だった。道を中心に街をつくる。そして街と街とをつなぐ。北海道の二大都市をつなぐ幹線道路である札幌本道には、開拓使の使命が込められていた。

当時、開拓使長官だった黒田清隆は北海道の近代化に情熱を注いだ。その成果を披露するため、大胆にも明治天皇の北海道行幸を企画、成功に導く。1876(明治9)年のことだった。

函館から大沼公園に向かう国道5号の途中、七飯町に入ると、美しいアカマツ並木が路面に木陰をつくる。本州ではなじみのある松だが、北海道にはほとんど自生していない。「日本の道百選」に選ばれたこの並木も、明治天皇行幸を記念して植樹されたものだ。

アカマツ並木を抜けた先の大沼国定公園には、秀峰、蝦夷駒ケ岳を借景とする幾つもの湖沼が点在している。国道5号も大小の湖沼の間を縫うように走っていく。蓴菜(じゅんさい)沼という小さな沼の入り口から延びる未舗装の道はかつての札幌本道で、当時の面影がそのまま残っているかのような静かな森林を通る。

その道筋を進むと10分ほどで無沢峠に着く。路傍には「明治天皇御野立跡」の石碑が建てられている。1881(明治14)年9月、北海道を再訪した明治天皇がここから駒ケ岳を展望したことが解説されている。七飯にアカマツが植樹されてから5年後のことだ。

この頃、黒田が手塩にかけてきた北海道開拓使は既に廃止されることが決まっていた。黒田が再度の明治天皇行幸を願った真意は何だったのだろうか。北海道開拓の歴史を、アカマツの並木道はずっと見守ってきた。

2010・12・9 記
時事通信社出稿

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?