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地図で明治国道を《謎》る  1

日本の国を代表する道でもある「国道」.その国道を区分するのに「国道1号」といった番号で呼ばれるようになったのは明治18(1885)年からのことです.路線番号は,古い官報の中の「国道表」(明治18年2月24日内務省告示第6号)という法令の中で示されていることは知られています.

しかしながら,実際に指定された道筋がどこを通っていたのかは未知なことが多く,国道趣味の中でも未踏の謎解きのテーマともなっています.

時間の針を明治時代まで戻し,明治時代の国道(通称:明治国道)がたどった道筋を地図で“謎る”ことで,当時の国道風景(国道 Road Scape)の一端を紹介してゆきたいと思います.

国道図:明治の至高なる道路地図

国立公文書館デジタルアーカイブに収録されている明治期の公文書の附図「国道図」を見つけたときの衝撃は忘れられません.縮尺は1/1,296,000.本州と北海道の二図葉が一組みとなり,そこには明治国道の線が落し込まれています.

公文書の附図としては,かつて見たこともないほど極めて精緻.芸術的な域に至っているとも言える上質の仕上がりで,明治以降の公文書としては数少ない重要文化財となっていることも頷けます.

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図1:国道図(『公文附属の図・二四八号国道図』,国立公文書館蔵)

明治国道は原則として起点を「日本橋」としました.そして,終点は安政の五開港(横浜,神戸,長崎,新潟,箱館+大坂港),全国の県庁所在地,六鎮台(東京を除く仙台,名古屋,大坂,広島,熊本),および神宮とします.

特に国道1号から国道8号までの最上位の番号は終点を開港としたことからも,明治政府は外貨獲得の経済拠点となる「五開港」,すなわち国道用語でいう「港国道」に重きを置いたことがわかります.

とはいえ,法令は文字の羅列.その裏にある国道体系のコンセプトは把握しづらく,頭の中で文字から地図には瞬時に再構成できるものではありません.

それが「国道図」では二葉図に投影され,明治の選定方針を見事に凝縮しているのです.

道路史では,とかく「中央集権的」とも言われる明治国道ですが,国道図を見る限り,江戸期の五街道や脇往還にとらわれない先進的な路線配置として映ります.事実,起点さえ「日本橋」に縛りをもたせなければ,「線」としての幾何学的な配置は,昭和27年に制定された現代の国道体系である一級国道のテンプレートともなる線形ともなっています.

興味深いことに,まだ47都道府県となっていない時期であるため,明治18年段階は「香川県」と「奈良県」へ通じる国道はありません.

かろうじて香川県の場合は愛媛県に至る経過地として丸亀から和田浜までは国道の線がひかれています.しかし,奈良県(国名で「大和」)に至っては国道がかすめてゆくことすらない状況です.

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図2:国道表のうち(a) 近畿地方の拡大,(b) 四国・瀬戸内地方の拡大.

北海道に目を転じますと,明治15(1882)年の開拓使廃止後の三県設置による「札幌県」,「函館県」,「根室県」が存在します.明治19(1886)年に北海道庁が設置されることで三県は解消されますが,北海道においても三県時代があったことを示す貴重な証文ともいえるでしょう.

明治国道が制定された明治18年は「地方」がまだしっかりと首が座っていない時期で,国道図はそのような地方の揺籃期を地図の中に留めています.

一方で沖縄県を見ますと,「沖縄県庁」を示す丸印は打たれておりますが,沖縄本島には一切の線は示されていません.沖縄県に達する国道は明治18年に告示された44路線では最後の国道44号.法令の中では鹿児島から分岐することは示されていますが,沖縄本島を通っていたかは不明でした.

この国道図は,沖縄への道筋が現在の国道58号のように沖縄本島を縦断するルートではなく,鹿児島港から那覇港までを「海上国道」とし,陸上区間は那覇港から沖縄県庁までのほんの短い区間であったことを語っています.

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図2:国道表のうち(c) 根室地方の拡大,(d) 沖縄本島の拡大.

改めて全国の県庁へとつながる道を俯瞰すると,現在でも一桁・二桁国道いった国土交通省の直轄国道となっている道と思える区間もあれば,「えっ,そこに道があったの?」というような道そのものの存在すら怪しい区間もあります.

次回で述べますが,根室県に通じる明治国道43号は,現在の道路網の中に該当する道がありません.海岸の岩場を伝う道をかろうじて「道」としていた様子があり,その意味では日本で初めての「点線国道」ともいえるものでしょう.

こうなると,やはり明治国道の道をたどり,その時代の道風景(Road Scape)を描きたくなります.ではどのように調べるのでしょうか.正確性を期すならば道路台帳を当たることですが,法令化されたのは大正時代になってからです.となると,やはり頼りにするのは地形図(旧版地図)となります.

(つづく)  




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