見出し画像

【道】 第11回 鉄道だった国道(国道365号/滋賀県)

旧北国街道として知られる国道365号の脇にあるその〝プラットホーム〟は、公園に似た造りになっている。季節柄、桜が美しかったので車を止めて写真を一枚。桜の木の下には「中之郷」と記された駅名プレートがあり、ちょっと趣向を凝らした「道の駅」のようにも思えた。ここは琵琶湖の北側に位置する滋賀県長浜市。旧余呉町役場の国道を挟んだ向かいが、半世紀近く前に廃駅となった旧北陸本線中ノ郷駅だった。

国道365号と旧中之郷駅


旧余呉町を含む木之本から県境付近までの約10㌔㍍の国道区間は、1964(昭和39)年に廃線となった国鉄(現JR)旧北陸本線(57年以降は柳ケ瀬線)の跡を転用している。廃線跡が遊歩道やサイクリングロードに転用されることは多いが、国道として活用されるケースは珍しい。そのことを知った上で地図を眺めれば、国道の道筋が山間にしては不自然なほど直線となっていることに納得する。

旧北陸本線跡は椿坂峠の手前から北陸自動車道に沿うように西へそれてゆく。この道は県道となっているが、見どころは馬蹄形をした柳ケ瀬トンネル。全長1300㍍にも及ぶかつての鉄道トンネルが、そのまま自動車道のトンネルとして活用されている。1884(明治17)年に完成したもので、現役で使われている日本のトンネルの中で2番目に古い。

そもそも、鉄道の歴史の中でも旧北陸本線は一目置かれている。長浜から敦賀港までの区間は1884年に全通。これは東海道本線の全線開通よりも早く、明治初頭における政府が日本海側の港湾拠点であった敦賀をいかに重要視していたかがよく表れている。

トンネル出口には初代内閣総理大臣に就任する前の伊藤博文が揮毫(きごう)した「萬世永頼(ばんせいえいらい)」という扁額(へんがく)がある。明治から大正にかけて竣工したトンネルには、このような扁額がよく取り付けられているので、古いトンネルを訪ねるときはこの扁額に注目したい。博文がしたためた4文字には、当時、国家財政が苦しい中で建設したインフラへの思いが集約されている。これは先人たちから未来の日本人に向けた大切なメッセージだ。

2010・12・26 記
時事通信社出稿

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?