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日曜日の本棚#43『笑うマトリョーシカ』早見和真(文春文庫)【ドラマと小説の役割分担の妙。ミステリーともホラーとも読める巧妙な仕掛けを楽しむ】

日曜日は、読書感想をUPしています。

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今回は、TBS系列で毎週金曜日に放送中のドラマ、『笑うマトリョーシカ』の原作本です。ドラマに惹かれて読み始めましたが、小説らしさが随所にみられる納得の内容でした。

ドラマは、ドラマらしく小説をいい意味でアレンジしていると感じます。

小説とドラマの関係でいうと、木皿泉さんの『昨夜のカレー、明日のパン』(河出文庫 ドラマはNHK)は双方の表現方法の違いをうまく使ったいい作品でしたが、これは小説も脚本も木皿さんが担当しておられたからできた側面もあった。本作はTBS(共同テレビ)がドラマを手掛けていますので、ドラマスタッフの努力が感じられる作品なのではと思っています。

作品紹介(文春文庫 作品紹介より)

親しい人だけでなく、この国さえも操ろうとした、愚か者がいた。

四国・松山の名門高校に通う二人の青年の「友情と裏切り」の物語。
27歳の若さで代議士となった男は、周囲を魅了する輝きを放っていた。秘書となったもう一人の男は、彼を若き官房長官へと押し上げた。総理への階段を駆け上がるカリスマ政治家。
「この男が、もしも誰かの操り人形だったら?」
最初のインタビューでそう感じた女性記者は、隠された過去に迫る。

『イノセント・デイズ』の衝撃を越える、そして、『店長がバカすぎて』とも全然違う、異色の不条理小説が誕生。

所感(ネタバレを含みます)

◆「多視点で描かれる」ことが生み出す効果

多視点で描かれるミステリーは、一つの流行形なのだろうと思っている。
その形という点で、横山秀夫の『半落ち』(講談社)は印象にのこっている作品であるし、塩田武士の『歪んだ波紋』(講談社)もそうである。前者は「真相」が後者は「重要人物」を炙り出す効果が優れていた。

本作においても「謎」の解決という点で、この多視点がラストに絶大な効果を発揮したと思う。その意味ではミステリーの王道の作品ともいえる。

ネタバレは書いていると宣言しているが、さすが深部まで書くのはマナー違反と思っているので、ご容赦いただきたいが、この多視点の活用は見事だった。

視点は、僕(清家一郎 ドラマでは櫻井翔)、私(鈴木俊哉 ドラマでは玉山鉄二)が軸になるが、これに新聞記者・フリーライターの道上(ドラマでは、水川あさみ)、清家の母・浩子(ドラマでは、高岡早紀)が絡んでくる。

彼らは内面をよく語る。ここまで語らせて大丈夫なのかとさえ思うほど彼らは能弁であるが、ここに意味がある。

そうであるからこそ、本作は人間にフォーカスしており、それこそが小説らしさともいえる。これをミステリー的落着までもっていったのだから作家の巧みさをよく理解できる作品だったと思う。

◆政治家は操り人形であるのか?

本作は政治家が登場するが、政治小説ではない。政策めいた話はほとんどでてこないし、出てきても本筋とは無関係である。それでも政治家を中心に置いた作家の意図は、多くの人が持っている政治家は利害関係(ステークホルダー)の操り人形なのではないか?という疑念である。

多額の政治資金が必要であるアメリカのリーダーは、常に軍産複合体の代理人という疑念が付きまとう(皮肉にもトランプ氏はそうではない。イスラエルの攻撃はともかく、少なくともウクライナの紛争は彼が大統領に返り咲けば、おさまるという指摘がある)し、日本でも、菅野完が『日本会議の研究』(扶桑社新書)で政治の背後に蠢く日本会議の存在を知らしめた。政治家は「誰かの操り人形」であるという漠然とした私たちのイメージが本作を読む伏線となる。

本作を読むと、どうしても故・安倍晋三元首相を想起してしまう。私の理解では、彼ほど憲法改正を口にした首相もいないと思う一方で、それが本心なのかと疑念を起こさせる首相もいなかったように思う。

不幸にして亡くなられた今も、その乖離について考えることがある。

彼が自主憲法制定に執念を燃やした岸信介元首相の娘(洋子氏)の息子であることは、作家が意図したのかは不明であるが、清家一郎に重なる何かがあると感じる強い印象を残すのである。

◆ドラマの楽しみ方

本稿をアップする8月4日(日)現在、ドラマは第7回まで放送している。後半戦に入っているが、ドラマとの相乗効果のある本書の読み方としては、
・最終回までに読みえ終える
・最終回まで観て読む

があると思う。私は前者を選択したが、「なるほど、ここはこう表現するのか」といった刺激があり、面白い。

一方、後者を選択すれば、ドラマの表現は、このような深みのある人間描写になるのかという面白さがあるのではないか。

前者を選択した私は、ドラマをどのような結末にするのかが興味深い。これからドラマを楽しむ最大の注目点になっている。

本作は400頁強の作品で、そもそもの尺が連続ドラマ向きではない。そのため、ドラマに「増量部分」があるのは、やむを得ない。そこは、原作を軽視しているわけではないのは明白だと思うので、そこは寛容な視点が大事な作品でもあると思う。


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