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共通テストの英語は何のためのテスト?【壮大な社会実験から人類は何を得るのか】

勤務塾は小規模塾ですが、浪人生を受け入れており、数は少ないものの、それを逆手にとって、手厚いサポートをしています。

サポートの一環として、浪人生と話をする時間を設けています。浪人生の場合、大人としての一面をもつので、現役生とは異なった視点で話をするようにしています。

そんな時、「共通テストは何のためにやっているのか?」という話題になりました。制度の端境期だった彼らにとって、共通テストという未知なテストに巻き込まれたといえることもあり、意義を理解したいという思いがあるのでしょう。

特に、英語のテストに対する疑問は大きいようです。

文法を課さない現在の共通テスト英語は、不自然なテストという認識なっているようですが、それは当然のことでしょう。私立文系の受験生が共通テストをスキップしている現実もその反映とも言えると思います。

やはり、議論の焦点は、あの大量の英文を読ませている意味になりました。

共通テストが未来を見据えている試験であることは強く感じますし、特に意識しているのがAIだというのは多くの方が感じていることでしょう。

その観点で言えば、今の共通テスト英語は、人間が大量の英文を読むことの限界に挑戦しているテストと言えるのかもしれません。最も脳が若く、柔軟な時に、AIに対抗できる情報収集量の限界に挑戦している・・・という感じでしょうか。

その結果、我々人類は、何を得るのでしょう?

センター試験時代は、読んでいて、なるほどと思わせる英文も結構多かったけれど、今の共通テスト英語の内容はどうなのか?と疑問を呈する英語の先生は多いですね。その意味では、英文を通して、知的向上を図るという点は、無視されているように見えなくもありません。

その点でも、共通テスト英語が単なる英文の処理能力コンテストとなっているのであれば、この壮大な社会実験が何をもたらすのは、気になるところです。恐らく、明確なメリットのイメージは確定しないまま見切り発車しているのかなと感じます。

誰が、何のためにこんなテストをやってんの?と感じるという点こそが、共通テストの最大の課題ではないかなと感じています。


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