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やっぱり出たとしか言いようがない記事について【長いリード文の必要性はどこから来たのか】

共通テストまであと約2ヶ月。メディアにも季節を反映して共通テストについての記事が出始めています。

そこで、案の定出てきたと感じる記事がこちら。

数学の長いリード文については、すでに受験生の間では、
「読まなくてもよくね?」
とか
「読んでないよ」
とか、
「無駄だからムカつく」
という感想は飛び交っています。

私に対して、「読まなくてもいいですか?」と見解を求められたことはありませんが、正直なところ聞かれてらどうしようかと思うテーマではあります。

私なりに準備している答えは、「速読で読むのがいいのでは?」ですが、これも確信を伴う見解ではありません。

なので、長いリード文について、上記記事では、しっかりと検証がされていると感じます。

だからゆえに、

長いリード文は読まなくていい

という説に説得力があるのが辛いところではあります。

「分散は偏差の2乗の和をnでわった値」という単純な“数学の知識”です。冷静になって問題文を読んでみると、太郎さんが考えたという問題設定自体が、正解を求めるのに全く必要ないことがわかります。

上記記事より

ここまでくると、ハッキリ言えば、リード文が吟味されているとは言えないことを傍証しているといえるでしょう。

なので、

もし2024年度もこのような出題形式だとしたら、問題冊子を開いた瞬間に「どの文章を読み飛ばせばよいか」という練習をする必要があります。いずれにせよ、「共通テストは思考力を問う問題だから」と焦らず、今まで通り知識・技能を重視した基本的な対策を行うことが大切だと思います。

上記記事より

という筆者の主張に首肯せざるを得ない点が多々含まれているところが辛いところです。

受験産業の人間は、共通テストの崇高な理念を棄損することを煽る輩だから、けしからん!というのは、お門違いです。

で書いたように、制度の脆弱性は、受験生や受験産業は容赦なく突いてくるのは、避けられないからです。

共通テストにおいて、長いリード文を読むことが大切だというのであれば、ちゃんと読まないと解答にたどり着けないような精度の高いリード文を作る以外に解決策はありません。

私は、この長いリード文が必要であるという議論はどこから出てきているのかというのは、前々から気になっています。

でも書いていますが、悪文であれば、長いリード文はその存在が問われます。

そもそも問題点として、問題を作成している先生方にどの程度の重要性の理解が共有されているのでしょうか。

もし、本当に長いリード文は必要だというのであれば、

「読まなくても解ける」ような問題は作られないのではと感じます。

作っている側の疑心暗鬼がこのようなリード文を生んでいるのであれば、受験生にとっては迷惑この上ない話です。

長いリード文が必要というのであれば、それを精度の高い出題でそれを実証すべきではないかと思います。


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