感情論はどんな論理よりも優先するもの
はじめに
お疲れ様です。ゼロカロリーです。
日頃、X (旧Twitter)では感情論、いわゆるお気持ちポスト(ツイート)がバズったり炎上したりしているのをよくみかけます。
感情論に対して、その理屈はおかしいだったり、論理的に破綻しているなどの意見がついていることが多い印象にあります。
私個人としては、感情論というものはどんな論理よりも優先するものだと思っているので、今回は個人的な価値観を語らせてください。
定義
そもそも感情論、そして論理というのはどういったものを指すのでしょうか?
調べてみたところ、
といった内容でした。
次に、論理というのは
といった内容でした。
本記事では、1の意味を採用して考えていきたいと思います。
感情論はどんな論理よりも優先するもの
私が感情論が論理よりも優先されるものと思う理由は3つあります。
1.感情論と論理は比較するものではない
言葉の意味をみてみると、感情論と論理というのは比較対象として間違っているように思います。
感情論は人の感情によってなされる議論。対して論理は思考の妥当性が保証される法則や形式。
感情論の時点でそこに妥当性は保証されていないので、感情論に対して論理的ではないというのは間違っていると思います。
2.感情論の否定は相手の感情の否定
感情論というのは、感情によって構成された論です。
それを否定するということはつまり、相手の感情を否定するということになります。
3.どんな事実よりも感情の方が大事
人として生きる上で、感情というものはとても大事なものだと思います。
事実や論理などよりも、人として感情というものは大事にするものだと思っています。
まとめ
「感情論はどんな論理よりも優先するもの」だと私は思います。
何故なら、個人の考えにおいて感情から生まれた意見は自分を守る上で否定してはいけないから。そして、感情論と論理は全く別のレイヤーの話なので、比較するものではないから。
SNS上では感情論は頭が悪いという風潮だったり、感情論という論理的に正しくない論を否定する風潮があるように思います。
また、140字程度の内容で相手の人間性を理解した気になって、想像で人を叩いたり、人の感情や価値観を安易に否定したり。
個人的にはそんな風潮や行動が少しでもなくなってもらえたら願っております。
ただ、感情論も事実や論理と同じく、誰かの感情や価値観を否定する可能性は大いにあるので、うまく自分の感情と付き合って生きていけたらとても嬉しいものだと私は思います。
拙い文章ですが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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