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あえてソレに例えてみる。

社会人と言えば、心得ておきたいマナーの一つ(?)として

「宗教と政治と野球の話はするな」というものがあると思う。

今だと野球はないのかな?とにかく「喧嘩になる」らしい。

無宗教で支持政党なし、野球に興味もない私には

そもそも「この話をしよう」という考えがない。

でも、私は時々あえて「宗教」という言葉を持ち出すことがある。


娘が「人間関係に悩む時」である。



私は娘が小さい頃から「知らない人にも挨拶をしましょう」
と言ってきた。

入学すぐから鍵っ子だったこともあり、
誰もいない家に入る時も「ただいま」を言うように、とも

そして「挨拶は減るもんじゃないから。
挨拶をしなくなったら誰とも仲良くなれないから」とも。

割とそれを守ってきたのだろう、ある日、ふと私にもらした。


「Aくんのママってさ~、挨拶無視するよね」


聞けば、同じ地区に住む同級生のママに
いくら挨拶をしても無視されるらしい。
それも1回や2回の話ではなく、年単位であると。


最初のうちは「クラスが違うから分からないのかな?」とか
「聞こえなかったのかな?」と思っていたが、
Aくんと挨拶をしても素通りする姿に「もしや!」と思ったらしい。



ははは、気づいたか(笑)と苦笑いである。

娘としては生まれた時から言われていた「挨拶をしなさい」だが、

それをしない大人がいるという衝撃はすごいものだったと思う。

力いっぱい共感して

「それね、私は3年前から気づいていたよ☆」と言いたかった。

でも止めた。


そして「あれかな、『知り合いにしか挨拶しない教』なのかな?」と答えた。


あくまでも私の考えだが、
宗教は信じるものが違うだけであると思っている。
でもその「信じるもの」が違うから、信じる深さが違うから、
話が合わないことがあって、受け入れがたいことがあって、
時に揉めることがある。


「挨拶は減るもんじゃない」は我が家の考えであって、
Aくんママに押し付けることはできない。
もちろんA君ママとしては文句を言われる所以などないのである。


そんな思いを込めてそう言ってみた。
なんとなくだが、
娘は「非難すべきことではない」と肌で感じたようである。




あれから何年経ったか…相変わらず挨拶は母子ともに無視されている。

「もしかして、私に聞き取れないほどのウィスパーヴォイスなの?!」とか

「モスキート音レベルのヘルツ数…?」とか

色々と考えてみるがやっぱり「無視されている」が答えのような気がする。

それでも「挨拶は減らないからね!
返ってこないからってしなくていいものじゃないからね!」
とあの時、付け加えたことに後悔はない。


だって私は「挨拶したい教」だから。

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