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【就活×教職】就活を終えて─反省を綴る

2023年7月上旬、1年半にわたる就活を終えることができた。
結論から言うと、6月末に内定承諾書を投函し、希望する業界の大手企業に就くことができた。だが、その方向性は少し異なる点で半分以上は満足な状態である。

教職の道と民間の道を選ぶ人は珍しくない。だが、つい最近まで公務員も視野に入れていた人は少ないだろう。そこで、ここでは民間の就活を軸にしながら、学生生活を振り返り「何がまずかったのか」を炙り出すことにする。

さて、就活を語るうえで私の学生生活を語っておかねばならない。
第一に、開放制大学で大学1年生の時から教職課程を履修していたことである。したがって、2年生や3年生になると実に忙しくなり、それは同時に就活にも大きな影響を及ぼした。また、私は2020年入学で、コロナ禍1年目を大学1年生として生活した年代でもある。そのため、授業形態や評価方法も異なり、少なくともコロナ禍が明けた現在とは異なっている可能性がある事を踏まえておいてほしい。サークルについては1年生の時のみ所属しており、バイトは公文の採点バイトである。


第1章 大学1年生・2年生の生活

大学1年から2年の頃は公務員・教職・民間の3足のわらじを方向性にしていた。特に就活に忙しいわけではなかった。 

ただ毎年開いている公務員セミナーという、大学のキャリアセンターが経済産業局や整備局、財務局、県、市を呼んで業務を説明してもらうイベントがあり、それに参加していた。

また、1年生の頃、教養科目の関連でマイナビのアカウントを作っており、2年次にマイナビ主催の業界研究セミナーにどんな企業があるのかを探りに見に行くということがあった。このセミナーに足を運んでいたことでおおよその見方が分かり、円滑に企業探しができるようになったのは確かである。

2年次は教職課程の履修が本格化する頃であり、履修単位数を制限するCAP制が教職に関する科目に限り外れる、すなわち学科カリキュラムでも教職科目であれば無制限に履修可能であり、実質的にCAP制のない状態となった。その結果、年間で70単位程度修めた。この時はまだコロナ禍2年目であり、対面授業とオンライン授業が混ざっていた(危うい記憶の限りでは、対面:オンライン=3:1)からこそ、70単位を修得できたのであった(※1)

第2章 就活の始まり─インターンシップ

いわゆる就活が本格化したのは3年4月だったと記憶する。
初めて大学のキャリアセンターを利用し、教職課程を履修していることから早期選考狙いで行きたい、そのための準備を訊ねていたはずである。

4月・5月は早期選考のためにインターンシップに参加する必要があり、とにかく足を運びオンラインでも時間を許せば参加していたと思う。この時点で使用していた就活アプリはマイナビとリクナビ、キャリタスであるが、マイナビ、リクナビでほとんどの企業を網羅していることもあって、この2つを最も使用していた。さらに、公務員に対しても熱を帯びていたのでTACに入校し、試験に向けて勉強しようと決意するのであった。

その後、ほぼ2週間に一度キャリアセンターを利用して、近況を報告しながら、近況で出てきた悩みや疑問を解決していった。

6月に入ると、これまでのセミナーで気になった企業や電話がかかって来た企業のインターンシップに参加した。最初の企業はクローズハウスだった。

☆5日間のインターンで心情に変化が

8月の最終週は、とあるレンタカー企業の5日間インターンシップに出かけた。このインターンシップが自らに自信を与えるきっかけになった。 

1日目、2日目は会議室に缶詰めでその企業の事業を模したゲームや基礎的な能力を鍛えるためのいわば研修であった。3・4日目は各店舗に配属されて、営業体験などをした。自信が持てたのは外に出ることを忌避していた自分が思っていた以上に動けたことへの驚きが自信につながったことである。さらに、高校1年以来、外食や会食は気分を悪くさせる原因であった(※2)ことから、とりわけ避けていたのだが、それがなくなっていたことが外出への性黄庭堅となり自信につながっていった。5日目は集めた情報を基にして、初日から掲示されていた課題に取り組み発表したのである。なお、この企業が初めて内定を出してくれた企業であり、この思い出を忘れることは決してないだろう。

その後9月になってやっと業界が決まり、それに合わせてインターンシップに行くようになった。最終的に3年次3月までには20社ほど回ったと思う。ただこれが運命の分かれ道だったのだ。

第3章 就活の最盛期①─早期選考

最初の早期選考は12月であった。
1次選考はサクサクっと超え次の最終面接へ進んだ。
ただ異なる業界だったこともあり、残念な結果であった。

その後、3月までに4~5社の早期選考を受けることができた。
私が入社する企業もその一つである。

☆初めての「不適切面接」

私が忘れられないのは2社目の早期選考であった。
この企業は1社目が属するグループと同じグループに属する物流企業であった。私がやらかしをしていたことと面接官の質問に呆れたことがその理由である。

私が何をやらかしたのかと言うと、当日まで履歴書が必要であることを忘れていたことである。しかも、出発1時間前に気付いたので、履歴書を大慌てで書いてしまい、志望理由や自己PRに斜線が引いてあったり、枠を超える、字が汚い、右上がりな文章など、無礼な履歴書を提出したのである。

当然、こんなことをやっていれば面接官の気分はいいものではないし、採取面接に行けないなど至極当然のことである。だが、面接官の質問も就活生にとっては気分のいいものではなかった。例えば「彼女はいる?」「そんなオタクはあまり欲しくない」などといったセクハラというかパワハラ気質を思わせるものがあり、最初こそ呆れていたが次第に怒りに変わっていった。 

ただ、はたから見れば一番の原因は自分のミスによるもので、その日のうちに辞退の連絡を入れた。あんな馬鹿げた醜態をさらす履歴書を上にあげるにはいかないし、なによりあの面接ぶりに企業の雰囲気を感じ取れたことにある。

最後のインターンシップに全力を注ぎながら他方で、早期選考を順調に進めていたのであるが、とある波がついに僕を襲ったのである。。

☆コロナ感染、3週間巣ごもりに

3月の半ば、妹がコロナに感染した。これによって、私は母と共に濃厚接触者として家にいることとなったのである。尚、父はトラックの運転手で外にいたこともあり、家に入らないように伝えることで対応した。その翌週、気分で簡易検査をした結果、陽性だったのである。これはまずいと思い、週明けに内科に行ったところやはり陽性であり、引き続き家にいることになったのである。ただ、このタイミングが僕に岐路を選ばせたのである。
 
その週は税関への官庁ツアーや府省庁の合同説明会があり、全てキャンセルせざるを得なくなった。引き換えにコロナで多少だるさはあったが、本当にこのまま3足のわらじを続けるのか、そもそも全然勉強していないのに公務員試験を受ける意義があるのか、それと向き合う時間ができたのだ。そうして、公務員の道を完全に諦めることにしたのである。

第4章 就活の最盛期②─説明会と選考

3月に入ると説明会と選考がごちゃごちゃに混ざるようになる。4月になると、常に選考があり、多い時は1日に3つの選好を受けていたことも珍しくなかった。その割には、就活が非常に順調だったのである。以下がその結果である。

☆就活の結果はいかに!?

選考参加企業数:28社
書類選考突破数:15社/23社(65%)
1次選考突破率:14社/20社(70%)
グループディスカッション突破率:3社/3社(100%)
2次選考突破率:7社/13社(53%)
最終選考企業数:9社/28社(32%)
内定獲得率:3社/9社(33%)(全体:10%)

筆者調べ

※書類選考突破率は、書類選考があった企業を抽出している。
※ここでいう1次選考とは、書類選考突破したものに加えて、1次確約のも 
 の、早期選考や優良者優遇による1次選考飛び級の企業も含む。(なお、 
 一社は書類選考を1次選考と位置付けていることから、ここに含む)
※最終選考となる2次選考は含めていない。

この時には週1日、ゼミのために大学に行く程度であり、キャリアセンターには月1に近況報告で通う程度に減少していた。そうして毎日、何かしらの企業の公式サイトなどを検索して逆質問を考えていた。だが、思った以上に楽しく過ごせた。

第5章 教育実習と就活

5月29日から教育実習へ3週間、母校に通うことになった。
言うまでもなく、その間は教育実習に全てを振ることとなり、4つの企業がその期間にかぶってしまうこともあって延期してもらった。

教育実習が終わった翌週に、3つの企業の面接を怒涛の勢いで受けたの得あったが、これが実に辛かった。というのは、教育実習の反動があまりにも大きく、常に「悲しい」「落ち込んでいる状態」になってしまい、体も心も思うように動かせなかったなかで、四日市に出かけたりしていた。 

今までの就活の感覚も忘れ、本調子でないなかで最終面接や2次選考を受け、言うまでもなく全ての企業から何の音沙汰もなかった。

7月の半ば、これが最後となる企業面接であった。実習中に日程を調整したこともあって、キャンセルするわけにはいかず受験したのだった。

第6章 とどのつまり─反省は何か

☆3足のわらじは工夫すれば実現可能

3足のわらじを直前までやっていたが、これを最後まで実現できるのかどうかについてだが、結論から言うと「工夫すればできる」と思う。

☆公務員対策は時間の使い方が鍵

はじめに公務員についてだが、TACの場合、1回の授業が180分である。そのため、非常に多大な時間を費やすことになるので、公務員一本で行く人には授業を積極的にとる時間的余裕があるだろう。しかし、3足のわらじではさすがにそういうわけにはいかず、教科書を自ら読んで理解し、問題集に取り組んでいく、もしくは問題集を解きながら教科書を読んで理解していくなど、時間をいかに減らしながら学習を進めていくかの工夫が必要である。それに私が気付いたのが3年秋だったのだからも3か月分の時間を無駄にしたのである。

仮に公務員試験の勉強が進んだとしても教育実習との兼ね合いを考えると、実習中に何度か遅刻してでも面接に行かねばならず、実習校や大学が非常に困惑することになるので、公務員試験の日程を考慮して選択肢を狭めるか、実習校と相談するのが良いだろう。

☆他人より2歩早い行動を

民間企業については、2つの反省がある。

第一には履歴書など最低限守るべきルールは遵守すること。言うまでもない話だが、説明会をすっぽかしたり(実際にやらかす)履歴書を汚いまま出すなど、言語道断である。

第二に、業界決めをもっと早く決めておくべきだった点である。私が業界を決めたのは3年次の9月であり、少なくともインターン解禁前に決まっていれば当該業界のインターンシップを受けることができ、他業界もちょくちょく受けるなど、目的から外れることなく多様な経験を積めた可能性があったのだ。さらにインターンシップを多く受ければその分の早期選考の権利を獲得できたわけで、教育実習前には就活を終えることができた可能性が高い。

選考全体について振り返ると、グループディスカッションやSPIで落とされるようなことはまずなく、難しい適性検査を課す三菱倉庫などは最終面接まで進んでいる。一方で「録画面接」と「最終面接」をものすごく苦手としており「録画面接」ではやはり照明の問題と真面目に撮りすぎて笑顔がなかったことが良いんだろう。翻って最終面接では変なスイッチが入ってしまい、無難な答えを返せなかったり、回答がまとまっていなかったりしてしゃべりすぎてしまうことが多かったように思う。 

☆学校でできることをやろう

教職については模擬授業など履修する単位数が多いため、こちらも時間をうまく活用して課題を早め早めにこなしておくのがいいだろう。レポートを真面目にやりたい人のために、国立国会図書館オンラインを使って遠隔複写するなど、入手できない論文などを手に入れる多様な手段を持っておくことがおススメである。

教育実習については、模擬授業のような軽いものではなく「本物」を扱う点で期待に応えるだけの覚悟とその責任をもって取り組まねばならない。私はちゃんとした準備をすることなく授業をするなどひどい有様であり、学校でやれることは学校でこなしていくことで、休養と実習にメリハリをつけて動くことが重要である。

まるで夢のような3足のわらじは、道の途中であきらめたが、ストイックな人には叶えられないわけでないことを踏まえておいてほしい。

脚注

※1 実は2年後期は心身の不調に追いやられていた。当時は高校の同窓会幹事であり、コロナ禍で同窓会と成人式パーティーを兼ねた行事を予定しておりその協議中であった。しかし、メンバーごとに意見が異なり対立が激しくなっていたことから、朝起きるのがつらい、体がだるい、食欲不振、ネガティブ思考、短気など、かなり重めのうつ病症状が出ていた。その中で、ほぼ毎日のように1限から授業があったので、自らに鞭を打ちながら登校していた。 
 
※2 症状的にはいわゆる「外食恐怖症」「会食恐怖症」と呼ばれるものである。中学3年後期から高校1年前期にわたって超ブラック気質だった生徒会の役員を務めていたことと、今でも変わらず正しく箸を持てないのだが、そのことや茶碗の持ち方などについて祖母から日常茶飯事に指摘され続けていたことが、大きなストレスとなって表出したのではないかと考えられる。

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