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リベラルの主張と炊き出し

近い未来、東京を中心に、昔の大日本国粋会と大和民労会のシマ割のように、まだら状にリベラル地域と保守地域が分かれてくると思います。虐げる側が多くいるリベラルは、虐げられる側が多くいる保守の我慢の限界を迎え、激しく攻撃されると思います。今まであまりにもリベラルは、虐げられる側の気持ちや立場を汲み取ってきませんでした。多くのリベラルは能力・環境・人脈・財力など、自分達の恵まれている境遇に無自覚過ぎます。それは端的に言うと、リベラルの虐げられる側に対しての想像力の欠如だと感じています。

結局のところ、リベラルの主張は虐げられる側の、多くの心に響いてないのです。その点、保守の支配層は虐げられる側の気持ちや立場を、上手く利用しています。それが、たとえ保守の支配層の騙しだったとしても、夢を見させたり、外に敵を作って、内の不満をガス抜きさせることなどは、とても長けていると感じます。対するリベラルは、虐げられる側のニーズに、リベラルの主張がどこか噛み合ってないのです。

リベラルの主張が虐げられる側の多くに支持されるには、虐げられる側の世界で共に生きるしかないです。泥にまみれる生活を一緒にするしかないです。自分達は別世界にいて、理念や理想だけ掲げて、それを偉そうに虐げられる側に押し付けたって、多くは見向きもしないし、吐き捨てるだけです。

それは、炊き出しを通じて、おじちゃん達と接する中で、日々感じることです。おじちゃん達に口で言うだけでなく、僕らは行動で示していかないとなりません。僕も1年半以上、ずっと炊き出しを続けていたから、おじちゃん達も炊き出しメンバーとして、認めてくれたんだと思います。僕の人間観察をして、僕に対して鋭い分析を伝えてくるおじちゃんがたまにいます。おじちゃん達は僕らをシッカリ見てるのです。

基本、おじちゃん達は炊き出しに関する、いろいろな主張や要望は伝えてきますが、殆ど自分のことは語りません。でも、おじちゃんと僕の名前を教え合って、お互いの名前で呼び合うような、好意的なおじちゃんだと、徐々にポツリポツリと断片的に語ってきます。僕は内容を否定しないスタンスで聞いています。もちろん肯定できない内容もありますので、そういうのは、同調せずに「へー、そうなんですねー」と流します。おじちゃん達は本当は聞いて欲しい、理解して欲しい、そう思ってる人が多いのではないかと感じています。おじちゃん達と僕の根っこは同じに感じるので、おじちゃん達をケアすることは、僕をケアすることに繋がっています。

炊き出しを例に書きましたが、リベラルの主張が虐げられる側に支持されていくには、どの分野でも虐げられる側のニーズに合ったことをしていかないと、現実には浸透していかないと思います。その過程で、リベラルからしてみたら、合理的でないこと、整合性がとれないこと、理屈じゃないことに出くわすかもしれません。おじちゃん達と接していても、そういう場面に出くわすことは多々あります。一見、無駄なことを一緒にやって、喜怒哀楽を共にする中で、僕らの想いが徐々に伝わっていくのではないかと思います。

理念や理想が立派でも、伝わらなければ、何も意味がないのです。リベラルは圧倒的に、伝える努力の欠如と、想像力の欠如があるように感じます。それを僕ら虐げられる側は、「何だか偉そう」と感じ、心が反発するんだと思います。もし、本当の意味でリベラルが虐げられる側に立って行動し、リベラルの主張が虐げられる側の多くに支持されるようになったら、少しは救われる世界になるかもしれないと、僕は感じています。

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