中継ぎの猫に見つけた不思議

読書は、旅をすることに似ている。作者の目や手を通して紡がれる、よく考えられた世界を、思考を頼りに巡り歩く。最初のページをめくってから、奥書をあとに本を閉じるまでの、ひとときの非日常体験─

そこそこ長い通勤時間を利用して読書に勤しむことが多い自分は、鞄の中に複数の本を入れている。今週は、マイケル・ホーイ 著/雨沢 泰 訳『ネズミの時計屋さんハーマックスの恋と冒険』の2巻目「<時の砂>の秘宝」を読んでいたが、帰宅途中で読み終えてしまったので、3巻目までの箸休めに、持ち合わせていた角川文庫の柳 広司 著『漱石先生の事件簿 猫の巻』を読み継ぐことにした。(ネズミの小説の中継ぎでまた猫に寄り道…)

やむを得ない事情で英語の先生の下に書生として居候することになった主人公が、主とそこを訪れる個性豊かな人々のやり取りの合間に舞い込む事件を解決するミステリー物。
ドタバタ感は、京極夏彦の『百器徒然袋』を思い出させる。
そんなお話の中で、登場人物の台詞にこんなものがあった―

“最近、日本の政府は、愛国心、愛国心とやかましいが、人だって国だって、愛情を押しつけてどうにかなるものじゃないだろう。逆に、反対されればされるほどむきになることだってある。”

最近ツイッターのタイムラインで選択的夫婦別姓の話題を目にすることが多かったので、(これまたタイムリーな…)と思ってしまった。また、コロナの第3波が話題になり、三連休が始まる直前に誰かが「我慢の連休に」なんてことを言っていたのをニュースで見ていたので、見えざる何かを感じずにはいられなかった。

フィクションを楽しむ中で見つけた、現実を言い当てるような言葉に不思議を感じた週末の夜。

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