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愛しの国カーボベルデ(3)

私が初めて訪れたサンヴィセンテ島の当時のサンペドロ空港は、その後改修工事を経て、現在は「セザリア・エヴォラ国際空港」という名称になっています。

セザリア・エヴォラ

セザリア・エヴォラ (1941年8月27日 - 2011年12月17日)は、サンヴィセンテ出身のカーボベルデ人女性歌手です。

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ギターとカヴァキーニョ(サンバやショーロ等に使われるブラジルの弦楽器)の奏者の父と、孤児院の調理人の母の間にミンデロで生まれたセザリア・  エヴォラは、7歳のとき父を亡くし、まずしい家庭で育ちました。

仲間内では「Cize(スィーゼ)」というニックネームで呼ばれたセザリアは16歳から初恋の相手でギター弾きのエドゥアルドとともに流しを始めると、「セレナーデのプリンセス、スィーゼ」として町中で有名になりました。

彼女の音源テープが勝手に売り物にされていたのを知ったのは、町を歩いていると商店から自らの歌声が聞こえてきたからで、彼女自身には一銭たりとも支払われることはありませんでした。

また、婚姻にいたらぬ関係から二人の子供を授かったセザリアは、人間不信に陥り、10年以上子育てに集中し、歌の世界からは姿を消していました。

その後1985年に、当時一党政治の与党であったカーボヴェルデ独立アフリカ党(PAICV)の 誘いを機に再び歌い出し、音楽仲間の Bana ↓ の勧めでポルトガルに渡ります。

セザリアの人生は、リスボンのアフリカン・ディスコで歌っていた時、カーボベルデ人音楽プロデューサーの Djô da Silvaに見いだされて一変します。1988年にパリで「La diva aux pieds nus(裸足の歌姫)」というアルバムをリリースすると、フランス国内で称賛を受け、その後1992年にリリースしたアルバム「Miss Perfumado (良い香りのお嬢さん)」に収録された「Sodad (「ソダ―」: 葡語の「saudade」に相当し「郷愁」を意味する)」が大ヒットしました。

こうしてセザリアは、40代半ばで世界的に有名になった遅咲きの歌姫となったのです。

セザリア・エヴォラは2003年には米グラミー賞を受賞しており、同じ頃来日も果たしています。

彼女が歌うのは、カーボベルデの「モルナ」という、ポルトガルのファドの影響を感じさせるバラード系の音楽で、カーボベルデのクレオール語で哀愁に満ちた歌声を世界中に届け、「Rainha da Morna (ライーニャ・ダ・モルナ=モルナの女王)」と呼ばれました。

「La diva aux pieds nus」はこちら。↓

「Sodade」はこちらの一番目。↓

「サンビセンテのカーニバルは小さなブラジル」と歌っている「Carnaval de São Vicente」がなかなか入ってないものだと思っていたら、ここにありました。18番目です。↓

「Sodade」のカーボベルデ・クレオール語の歌詞はこちら。↓

Sodade

Quem mostra' bo
Ess caminho longe?
Quem mostra' bo
Ess caminho longe?
Ess caminho
Pa Sao Tomé

Sodade sodade
Sodade
Dess nha terra Sao Nicolau

Si bo 'screve' me
'M ta 'screve be
Si bo 'squece me
'M ta 'squece be
Até dia
Qui bo voltà

Sodade sodade
Sodade
Dess nha terra Sao Nicolau
https://lyricstranslate.com/pt-br/Sodade-lyrics.html

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ポルトガル語訳はこちら。 ↓

Saudade

Quem te indicou
Esse caminho longínquo?
Quem te indicou
Esse caminho longínquo?
Esse caminho
Para São Tomé

Saudade, Saudade
Saudade
Da minha terra de São Nicolau

Se me escreveres
Eu te escreverei
Se me esqueceres
Eu te esquecerei
Até ao dia
Que tu voltares”

Saudade, Saudade
Saudade
Da minha terra de São Nicolau
https://pt.wikipedia.org/wiki/Armando_Zeferino_Soares

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日本語訳はこちら。↓

ソダーデ(郷愁)

誰があなたに教えたの
この長い道のりを
誰があなたに教えたの
この長い道のりを
このサントメへの
道のりを

郷愁、郷愁、郷愁
私の故郷、サン・ニコラウ

あなたが手紙を書いてくれるのなら
私はも書くわ
あなたが私を忘れるなら
私も忘れるわ
あなたが戻るその日まで

郷愁、郷愁、郷愁
私の故郷、サン・ニコラウ

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2008年、オーストラリアで脳卒中で倒れたセザリアは、パリで治療を受けた後引退を表明、2011年に故郷ミンデロで70年の生涯を閉じました。

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私がある朝プライアのホテルで朝食を摂っていると、彼女が入ってきたのですかさず握手してもらいました。

ヨーロッパに向かうためにサンビセンテから出てきて「国内トランジット中」だったようです。

セザリア・エヴォラがセザリア・エヴォラだと分かる程度には、私もカーボベルデに親しんだ頃、でも、有名人だろうとなんだろうと、泊まるならそのホテルもしくはカーボベルデに初めて行った時の「元監獄ホテル」くらいしかない、そんな時代のことでした。





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