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途上国の大学で学ぶメリット

トップ画像:StockSnapによるPixabayからの画像

今でこそ良くも悪くもそれなりの地位や知名度を得たブラジルですが、私が
学生だった頃はまだまだ発展途上で、何かと不便な点もありはしましたが、今思うと、そのような国の大学に通ったからこそのメリットもあったと思うことがあります。

しかも英語圏やフランス語圏などではなく、2億8千万人もの人々に話されているにも拘わらず、未だに国連の公用語にもなれず、マイナー言語のままでいるポルトガル語圏だったということが、最も良かったと感じる点の一つなのです。

というのも、当時はポルトガル語に翻訳された文献数がまだ少なく、専攻が何であれ、大学で勉強するイコール原文を読まざるを得ないことが多かったのです。

要は、
しゃべるのはともかく、
「大学に行く = 英語やフランス語の文献を読めるようなる」
傾向があったのです。

また、ブラジルのような国では誰もが同じ年齢で学校に入るわけでもなければ、たとえ最初は同い年ばかりのクラスだったとしても、小学校から落第制度がありますから、年を追うごとにクラス内の年齢差は広がっていきます。

しかも貧富の差が大きい国ですから、中学にもなれば、夜学もあります。

更に、それほどの早期からの苦学ではなくとも、自らの意思で高校は夜学に通い、いくつかの仕事を転々としながら自分の天職を見出し、働きながら その分野の大学の夜学部に通うといった人も大勢います。

ちなみに「天職を見つけてから大学へ」という考え方は、日本でも普及してほしいとすら思っています。

なにせ日本には、

「なんであんな学部に行ったんだろう。
今の仕事には何の役にも立っていないのに」

とか、

「今やっている仕事のことを思うと、
若い頃○○でも勉強しておけば良かったと思う」

といったことを言う人が多過ぎるような気がするのです。

そしてその思いが日本では
「後の祭り」
となってしまうのが
なんとも残念に思えてなりません。

ブラジルの大学の場合は、社会人経験のある学生が多いため、ディベートの場などでも臨場感溢れる意見が飛び交いますし、なにより「天職」だと知った上で学んでいるのですから、日本人の場合のように「専門分野を間違えた」というケースがぐんと少なくなります。

ちなみに私が卒業したサンパウロ大学の場合、理数系は入るのが非常に難しく、そこの学生だというだけでステータスになってしまいますが、「文系なんて論外」といった風潮があり、私が通った語学部などは「落ちこぼれの 行く学校」のイメージが強い学部でした。

それでも、サンパウロ大学の一学部としてのプライドがあったり、そもそもサンパウロ大学は実務が出来る人間よりは学者を産み出したがる学校ということもあり、考えようによっては「ひどい」、でもある意味興味深い運営を行う学科が多くありました。

中でも顕著なのが「英語科」と「スペイン語科」です。

「英語科」は、
「英語なんて、その辺にいくらでも学校があるから」、

「スペイン語科」は、
「ブラジルでは猫も杓子も、ちゃんぽんでもめちゃくちゃでも
自分はスペイン語を話せると言い張る人が多いから」、

「生半可な知識でうちの大学を出る者がいてはならない」

という理念の下、

「無駄な労力とも言えるような
暗記を強いたりして
落ちこぼれは出来るだけ早期に排除し、
困難を極める内容に打ち勝ち、
生き残った者だけが卒業する」

というシステムでした。

結果、英語科の4年生ともなれば、

「アメリカで育って兄と英語の学校をやっているんで、
資格保有者を増やすために英語学科に来たんだ」

な~んてバックグラウンドの人ばかり…!

ま、これはサンパウロ大学は授業料が無料なので、
学生が「お客様」ではないからこそ出来ることだったんですけれどね…。

*****

ということで、
「ところ変われば」的なお話でした。

なお、昨日大き目な翻訳が入りまして、今後1か月程度
記事が小さくなったり、
アップされない日があったり、
コメントを頂いても反応が悪かったりすることが
予想されます。

が、引き続きお引き立て頂ければ幸いです。

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今後ともよろしくお願い申し上げます。

※ 猫の落語家はイラストレーターのこたつぶとんさんの作品です。





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