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モザンビークでの出来事いろいろ(1)

トップ画像はモザンビークの首都マプトの
ベトナム料理屋さんです。

当時(2001年か2002年頃。
モ国の終戦は1992年なので戦後10年前後)は
何度か訪れましたが、
その後は行っておらず、

今はもう存在すらしていないかもしれません。

目隠し画像のお二方に同行して
マプト州の北隣の
ガザ州に行きました。

マプト州「Província de Maputo」
ガザ州「Província de Gaza」
といいます。

どちらも
「província【プロヴィンスィア】
(ポルトガル語では日本などの
「県」を指す語で、英語の "province"に相当)
という行政単位で、

「estado【エスードゥ】
(ブラジルなどの州を表す
英語の ”state"に相当する語)
ではないので、

これらはポルトガル語話者にとっては
マプト県とガザ県になります。

が、

日本の外務省がこれの呼び方を
「州」と定めているため、
援助業界では漏れなく「州」と言います。

要は
日本人からすれば、
これらは「県」と呼ぶには
広すぎるということもあるのでしょう。

一方、
ブラジル人から見れば
「こんなちっぽけな行政区分、
しかもポルトガル語で
きちんと「província」だと言っているのに
それを「州」と訳すだなんて間違っている!」

ということで、

業界の事情を知らないブラジル日系人などからは
いつも非難轟々です…。

つまり、これは
日本人とブラジル人のあいだで起きた
思わぬ「『帯に短し襷に長し』事件」
とでも言いったところでしょうか...。笑

やれやれ...。

ガザ州の位置 ↓

ちなみに現地の人に
「ガザ州(Província de Gaza
【プロヴィンスィア・ドゥ・ーザ】)」の
「ガザ」という名前の語源は
パレスチナのガザ地区「ガザ」
同じ筈だと聞いたことがあります。

ガザ州のショクエ (Chókwè) 市と
州都シャイシャイ (Xai-Xai) 市は

2000年には大洪水により
大きな被害を受けた地域で、

当時はまだあちらこちらで
復興工事が進行中だったと記憶しています。

2000年の洪水が起きたときの様子 ↓

                非難する屋根があるのはまだ幸い。亡くなった方も多かった。
                          洪水時と通常時のシャイシャイ市役所

実はこれ以降もこの地方は
何度も洪水に見舞われているのですが、

この地方で起きる洪水には大きな特徴があります。

それは、この地域に
大雨が降ったことによる洪水ではない
ということです。

ここは国際河川であるリンポポ川の下流で、

・内陸の上流国で大雨が降る。
・ダムの放水を行う。
・この地方に洪水が起きる...

ということが繰り返されているのです…。😥

ちなみに
日本の ODA は
この地方とは縁が深く、

他国と共に灌漑施設を造ったり、
井戸掘削用機材を供与したり、
農業専門家を派遣して
ハイブリッド米(ネリカ米)の
開発を行ったりしています。

が、

この時に訪れてみて感じたのは、
この記事 ↓ でも述べているとおり、

モザンビークは首都マプトより
地方都市の方が治安が悪い
という問題です。

ま、ガザ州の場合は
外人と見ると
しつこくお金をねだりに来る輩が多い程度で
危険を感じるほどではなかったのですが、

それ以前に問題だと感じたのが
(これもどこかに書いた気がしますが…)
ホームレスでもなんでもない
普通の恰好をした子供が

ちらっとこちらを見たかと思うと
「あ、外人だ」とばかりに
すかさず寄ってきて
「ちょうだい」の手を差し出す…

といったことが、この時も
ここから数年経ってからもあったのです…。

援助業界には「援助慣れ」という表現がありますが、
何度訪れても
ガザ州は「援助慣れの極み」だと
つくづく思ってしまうのです…。

😩 🥺 😢


この時は大半の期間をシャイシャイ市内で過ごしました。

シャイシャイは海辺の町なので、
中心街から離れれば
南アフリカ人の経営する良いホテルなどもあるのですが、

なにせ仕事場が中心街だったため、
その界隈で唯一存在する
木賃宿的なホテルに泊まっていました。

この右側の建物の2階が「ホテル」でした。↓

あ、今から「ホテルの話」をしますが、
今回は心霊系ではありません!笑

この建物、「回」の字状になっていて、
中庭を見下ろす廊下沿いに部屋があるのですが
(あ、中庭と言っても、ばっちい洗濯場でしたが)、

それはそれはボロい部屋で、
低くて質素なベッドはきしみまくるし、

辛うじて置いてあるテレビを点けても
砂嵐の中にうっすら画像が見えるチャンネルが
1局しか映らず...、

そして薄暗くて怖~いバスルームを覗くと

ええ~っ?!?!


なんと!
シャワールームの壁が天井まではなく、
隣の部屋の
シャワールームと分ける
ただのパーティションになっているのです!

この時ばかりは
正直

「嫌だよ~!
こんなところにいたくないよ~!!」


と思いましたが、
そんなことも言ってはいられません…。

結局このホテルに2週間も滞在したのです…。

無論週末も2回ありました。

そして
週末になると何が起きるかというと、

なにせ娯楽の少ない田舎町のこと、
金曜日と土曜日の夜は夜通し、
日曜日は零時前後まで

けたたましい音量の
サンバにセンバキゾンバクドゥーロ
ブラジリアン&モザンビーカンポップが流れ、

煩くて眠れないのは愚か、

なんと!

若者達が
仲間同士で着替え部屋として
ホテルの部屋を借りるものだから、

上部の開いた
パーティション壁の向こうでは

シャワーの中と外で
大声で話す女性同士、

仲良く一緒にシャワーを浴びて
「アンアン」はしゃぐカップル...、

etc. etc. etc. で

「パーティション壁は 2.5m 強の
高さがあったけれど、

週末のハイテンションで
皆お酒も入った状態で...、

どんなヤツがいるんだと
お馬鹿な酔っ払い兄ちゃんでも
飛び越えてきたらたまったものではありません...!

汚くてうるさくてコワくて
心身ともに擦り減るステイでした…。>苦笑

😣 😖 😫


いやぁ、長年アフリカに通うと、
いろいろあるものです…。

このホテルの話のような
笑っていいのか泣いていいのか
わからないような話こそないものの、

このガザ州絡みでは
もう少し書きたいこともあるので、
もう1~2回
お付き合い頂ければ幸いです。

本日もお読み頂き、誠にありがとうございました!

※ 「頑張れ、頑張れ、Shiomin !!」、否、
「応援!電球」はこたつぶとんさんの作品です。



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