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アンゴラ&モザンビーク

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1990年代後半のアンゴラ共和国やモザンビーク共和国の様子や現地での経験、その後の変貌などをマガジンにまとめていきます。 ヘッダー画像は南部ウイラ州とナミベ州を結ぶいろは坂、否、… もっと読む
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2021年7月の記事一覧

無駄に広いこの機内、ちょっと好きだったんだけどなぁ~…。

見よ、この ↑ 機内の広さを!(笑) 私は3年程前まで一年に数回 アフリカのポルトガル語圏を訪れる生活をしていました。 途上国へ向かう場合、 何度も飛行機を乗り換え、 乗り換える毎に飛行機が小さくなっていく… というのが通常のパターンなのですが、 2000年頃から2006年頃まで アンゴラ共和国へ向かうには、 成田 ↓ 香港またはシンガポール ↓ ヨハネスブルグ(南アフリカ) ↓ ルアンダ(アンゴラ共和国の首都) というルートで飛んでいたのですが、 このルートは

アフリカポルトガル語圏の選手団

以前、ブラジル以外のポルトガル語(欧州葡語)では ハンドボールのことを「Andebol【アンドゥボーゥ】」という 話をしたことがあります。 ブラジル表記の「Handebol」の方がまだ分かり易いですが、 ワケワカラン「Andebol」と書く欧州葡語圏の方が ハンドボールがメジャーです。 これは依然お話しした 「東京が『Tóquio【トッキウ】』などという 違和感ある表記になるのは、 それだけ東京がメジャーだからだ」 という話にも繋がりますね。 トップ画像はアンゴラの女子

実はモザンビークもメダルを取ったことがあるんです!

アフリカポルトガル語圏の モザンビーク共和国が初めてオリンピックに参加したのは 1980年のモスクワ大会でのことでした。 それ以降、毎回数名の選手を送り込んでいます。 モザンビークの内戦の終戦は1992年ですから、 内戦中から参加していたのだと思うと感慨深いものがありますね。 しかも 他のアフリカポルトガル語圏の国々とは異なり、 モザンビークはメダリストも排出しています。 それはたった2個のメダルですが、 それを同じ選手が獲得しています。 その選手の名前は 「Ma