夢:和解と融解
2020年5月4日の日常。まだ真っ暗い朝3時。新緑の樹々がざわざわと風に呼応する音が、夢に介入してくる。そして意識の中に、様々な声やイメージが流入してくる。私の夢は普段でも激しいほうだけれど、このところ、夢はさらに賑やかだ。本を読む時間が増えたからだろうか、それとも円環する日常の出口が、夢以外にないからだろうか。コロナ禍において、多くの人が夢をたくさん見るようになった、という記事を読んだ。人類がその日に見る夢の総量、というものを測る技術があったら、きっと面白い結果が導かれるだろう。それはもう一つの現実、つまり仮想的に私の脳内に存在する、もう一つの可能性としてのリアリティ。はっきりとは掴めない欲望とか、その欲望に紐づいた記憶とか。夢の中で私は様々なものと和解し、融解する。現実世界では、怖くて見ることのできない、触れることのできないものとの、痛みを伴う和解。
アントナン・アルトーと、アンドレ・ブルトン、そしてジョルジュ・バタイユ。シュールレアリズムと、その後の演劇、文学の思想において重要な作家たちは19世紀末、1896年から97年に生まれた同年代である。演劇史的には、そこに1898年生まれのベルトルト・ブレヒトもいる。
彼らと同じ時代に生き、いま染井霊園に眠っている人。やはり土方与志が思い浮かぶ。土方与志は1898年生まれだから、ブレヒトと同い年で、アルトーの2歳下。土方与志を軸に、エッセイを書き始めたいと思っている。