イヤホンする身体、テレポーテーション、幽霊


5月24日、もう何度目の日曜日だろう。

ここ2ヶ月、イヤホンをしている時間が長い。ワイヤレスの高性能なもので、マイクもついているから、自分の身体の音や、周りの音が、いったんマイクに取り込まれてから耳の奥に届く。こんなにも自分の心臓の鼓動や、肺に気道から空気を吸い込む音、口の中で唾を飲み込む音を、体感し続けることはなかった。

私が長時間イヤホンをつけているのは、同じ空間にいる家族の音を聞きたくないからだ。一人になりたい。思考を邪魔されたくない。私のプライベートな精神の領域を保ちたい。家という内側にいると、家自体が私という個の外部となり、さらに内に籠もらざるを得ない状況をうむ。外に出ている時のほうが、私は一人になれた。内は外になり、外は内になる。プライベートな空間が他者と共存を強いられる社会になり、パブリックな空間が自分一人を保てる個的な居場所となる。私はウィルスを、さほど怖いと思っていない。怖いのは、内側に籠ることで、免疫という防御システムが過剰に機能することだ。免疫とは、異物を異物として認識することで自己防御するシステムのこと。今、自分も含め、多くの人が他者との接触を断つことで、過剰に他者に対する免疫を高めてしまっている。

圧倒的な孤独にある、と感じる。こうやって文章を書ける時はまだ冷静な時間で、言葉にならない波のような、時に嵐のようなものに飲み込まれて、溺れそうになる。少女時代から、時折そういう時間を生きてきた。

この2ヶ月の間、イヤホンで塞がれた私の意識は、少女時代から今日まで過ごした複数の部屋を、テレポーテーションしている。中学2年生の頃、はじめて姉と共有ではなく与えられた個室。毎日、日記を書いていた。大学時代の、一人暮らしのワンルーム。4年生の長い夏休み、トラブルを抱え部屋から出られず、食事も食べられず、まるで生きた幽霊のような時間を過ごした。(当時の恋人は電話線を抜いていて、私との対話を拒絶していた。今思えば、完全にモラハラで暴力なのだけれど、当時はそれに耐えようとして心身のバランスを著しく欠いてしまった。)フランス留学時代の、パリや、リヨンの屋根裏部屋。外国語で夢を見るようになった。それから、世界のあちこちで訪れた街の、たくさんのホテルの部屋や、招かれた部屋。私はそのすべてをとてもよく覚えている。天井や家具の様子、鏡や窓の位置、差し込む光の様子を、とてもよく覚えている。

それらの無数の部屋に、私の意識は瞬間移動する。それらの部屋は、もう私の意識の中にしか存在しないと同時に、今も確かにそこに実在していて、誰か別の人が別の意識とともに横たわっている。私が今いるこの部屋も、築50年の古いマンションの一室で、そこには、幾人もの他人が、煙草を擦ったり、外の樹々を眺めたり、新聞を読んだり、家族と口喧嘩をしたりしていたのだろう。過去に同じ空間を占めていた人たちは、今はもうここにいない。でも彼らの意識は、もしかしたら別の場所、別の時間から、ここを訪れているのかもしれない。

この2ヶ月の間、ひたすらに円環する時間の中で迷子になる私の意識は、外の誰かと対話をすることで、そこから脱することを激しく望んでいる。いつも胸のあたりがざわざわして、深い深呼吸をするたびに、肺には快楽と痛みが同時にやってくる。ここ2ヶ月、毎朝、このざわざわした感覚の中に目覚める。私は自分の声を発して、自分の声を聞きたい。でも、それを発する先がない。それは宛先のない手紙を書き続けるようなもの。私はどの時代の、どの部屋においても、誰かに向けて手紙を書きたかった。でも宛先は、手に入れたと思っても、いつも不確かなまま消えてしまう。だから行き場のない意識だけが無限に募り、円環する。その意識をより増幅するイヤホンをする身体は、そうして、複数の部屋をテレポーテーションする幽霊的存在となる。

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