Antibodyという神秘

抗体の英語はAntibody、フランス語はAnticorps。
直訳すると、反身体、抗身体。
身体にアンチなものが、身体の中で自動生成され、身体を守る働きをする。

それが、自分の意識とは全く無関係なところで、絶えず、私の身体の中で起こっている。このとき、私の身体は細胞や遺伝子、ウィルスや、抗体といったミクロなものたちの入れ物でしかない。

この感覚は、妊娠出産を経験した時のことにも体験した感覚だった。自分の意思や意識とは無関係に、身体は別の生命を受け入れるプログラムを発動させていく。自分の身体の変化に対して、自分が一切何もできないという衝撃的な経験。今でこそ妊娠出産に関する情報は溢れていて、知識としてこれから自分の身体に何が起きるかある程度の予想はつけられるけれど、それでもなお、自分の身体の主体は自分の意識ではない、という経験は、その後の世界を大きく変えた。思えば、少女時代から経験してきた月経もまた、その予行練習のように、意識とは無関係に初潮が始まり、月のサイクルを受け入れてきた。

身体は自分の生存にとって都合の良いことだけが起こる場ではない。それは、ポジティブなこととネガティブなこと、陰と陽、善玉と悪玉など、相反するもののが共存し、せめぎ合い、均衡を保ち合う場なのだ。その均衡が崩れた時、それは病理として顕れる。

このような生命感に立った時、病や、その先にある死を、恐怖ではなく、神秘的で、奇跡的なこととして捉えられるのかもしれない。病も、死も。その神秘の延長線上に捉えられるような内的訓練は、近代医学の延命治療や化学療法ではなく、宗教や哲学の領域にこそ、もっと豊かに展開されていくべきではないだろうか。

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