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「隔離措置」の場所を決める

中国への入国は「大連」と決めた。つまり、隔離措置を「大連」で受けることを自分で決めた。私たちの目的地は上海で、当然日本からの直行便が出ているけれど、直行便が出ている都市であればどこから入国しても良く、入国した場所でその都市のルールのもと指定ホテルで隔離を受け、隔離終了後に目的地へ向かうことができる。この隔離措置を受ける都市の選択の自由、、、これにまた私が悩むことになるのだが、、、

どうして直接「上海」に向かわず「大連」経由にしたのか??

それは日本で得られた情報を検討してのこと。    私たちが出発した1月中旬時点では、たくさんの日本人が「隔離措置」を体験していたので、数名の体験記を目にすることができた。が、日々の情勢で中国側の措置が変わり、前例が前例に無くなることもある、、、そんな感じでした。日本にいた私には「14日間限られたスペースで、閉ざされた生活を送らなければならない」というイメージ故に、何ができて何ができないか、何が必要か、、、とにかく出発前にできる準備はしっかりやっておきたくて、それはそれは必死で。(今思うと取り越し苦労だったのだけど。)       

まず上海の隔離を受けた人たちのWeChatのグループに入れてもらって、その人たちが体験したことや感じたことを何度も何度も頭の中でシミュレーションをした。少ない情報と私の中の先入観や不安が悲観的な感覚を生み出していった。そんな私にはポジティブな情報を拾えなかったし、実際の体験者さんが生み出す言葉は大変そうに見えた。

◆飛行機の到着時間とその後空港での検査のために要する長い待ち時間                  ◆たくさんの荷物を自力で運ぶ苦労から、荷物の厳選が必要であること                  ◆かけられる消毒液の多さから生まれる悲しい感情  ◆どのホテルに向かうかわからない不安       ◆ホテルの部屋や与えられる備品、ご飯の低評価   ◆上海の土地勘があるかないか、習慣を知ってるか知らないかによる感じ方の違い             ◆子連れの苦労、不安、ストレス     など   

とにかく上海で受ける隔離のイメージはこんな感じで、敢えて最悪のイメージで身構えておいて「忍耐強く」迎え撃とうと覚悟した。そして、衛生面の改善策と食料の調達と暇潰し対策にあけくれる。

と、そんな時に、大連で隔離中の方とビデオ電話ができることに。男性一人の渡航だけど、自分の妻子が来た時をイメージしてる人で、いろんなことが聞けた。

◆飛行機到着からホテルに向かうまでの詳細な手順と注意点。各所で必要な書類や記入事項も分かる。    ◆ホテルでの手続きの仕方。日本語が通じると知る。 ◆ホテルの部屋の様子、与えられる備品の詳細、実際に必要になったもの、あると便利なもの        ◆ホテルのサポート体制。ホテルでできること、ホテルがしてくれること。                ◆1週間経って思うこと。楽しみ方。行く前と実際に来てからの感じ方の相違。

男性目線だからか、ネガティブな視点が削られていて、冷静な視点で客観的な情報と主観的な情報だった。何より字を読むのでは無く会話で得られた情報は私を前向きにさせてくれた。用意すべきものも明らかになって、隔離までの流れがハッキリとイメージできたことで、モヤがとれてスッキリした。何より、「不安が無くなるまで何度でも聞いてください」と言ってくれたのはありがたいサポートに感じられた。

そして考える。自分の能力を。訳の分からない状況になった時に対応できる語学力、冷静さがあるだろうか。。そして考える。メリットとデメリットを。最短距離の上海か情報を得やすい大連、どちらに安心があるだろうか。。

で、、、悩み抜いて、安心を感じる「大連」と選択した。もっと他の地域にいい情報があるかもしれなかったけど、大連の情報を得た時に、少し「行ける!」という前向きさが生まれて、他の地域の情報を必要と思わなかった地点で大連がベストと思えたのだと信じて。

で、たどり着いた「大連」。始まった「隔離措置」。 そこで、大きな勘違いに気づく。「隔離措置」は「強制義務」ではなく「目的」だということ。私たちは「排除」されたのでは無く「受け入れられた」ということ。隔離措置体験後に、この私が悩んだ「都市を選ぶ自由」が当たり前のことだと分かった。          中国は海外から来る人たちのために、たくさんの入口を開いていただけで、どこから入ってもどう感じるかは自分次第。私は自分で選択したと思える分、期間中のことをポジティブに考えられた、、そう思う。     

と、気づいた「隔離措置中の生活」はまた別の記事で。


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