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今、初めて海外で暮らし始める。

2021年1月。世界中が新型コロナウィルスで混乱している中、私とムスコは中国へ向かう。世界中の国がボーダーラインをくっきりと引いていた最中の移動、増してや一番太い線を引いているように思えた中国への移動は、不安しかなかった。

そもそも、こんな時期に国境を越えたのは、中国に向かったのは、中国に夫がいたから。

ちょうど1年前の2020年1月。「2ヶ月後に上海でまた会おうね」と念願の海外勤務に喜ぶ夫を見送った。夫のいぬ間にムスコとの二人暮らしを、しばらく離れる日本での暮らしを、エンジョイしようとしか思ってなかった。

が、突然世界を混乱させた「コロナウィルス」(当時はCOVID19)の出現。渦中の中国にいた夫からの情報と日本のメディアが伝える情報に怯えてた。そして、予想もしていなかった事態、、、「渡航の無期限延期」。その当時の私は事態の受け止め方が分からず、ただただ混乱の渦に呑み込まれていた。中国へ行けない自分が不幸なのか幸せなのかも分からず、母を全うしようと必死で、ムスコの不安を和らげるべく、、、とりあえず幸せなフリをしていた。

そして、最悪の事態が中国から世界へと広がり、日本に残れたこと、中国へ行けなかったことを幸せとは思えず、不幸とは思わず、「仕方ない」と思い始めた頃、中国の門が開き始めたことを知る。再度考えなければならい「行くべきか、行かざるべきか」。日本にいた私がメディアから得る中国という国の情報。「行ける!」と手放しに喜べなかった。一方で、中国で暮らしている夫の情報。息苦しさを感じる日本と比べて魅力的だった。素直に「行きたい!」と思った。何よりも今が可愛い盛りのムスコを夫婦で育てたかった。だから、「行く」と決めた。

そして再開した渡航準備。状況が変わり、ゼロからの準備となってウンザリしていた上、「隔離」というWordから生まれる恐怖の想像との闘いと「再延期の可能性」から蘇る最初の延期の時に襲われた混乱という不安。。行くと決めてから渡航までの期間は、精神的に本当に辛かった。「辛いーっ」と叫べない性格が恨めしかった。中国の太い太いボーダーラインを越えられるよう、「どうにかコロナウィルスから逃げ切れているはず」と自信を保てるようと徹底した渡航までの行動制限も辛かった。過剰になりすぎてムスコに影響しないようにと願ったけど、ムスコの不安が手にとるようにわかって、本当に辛かった。

そして、迎えた渡航の日。前日もらったPCRと抗体検査のダブル陰性の称号に肩の力がふっと抜けた。これから「海外生活」が始まると言うのに、、、その前に「隔離」という恐怖が待ってるのに、、、成田空港に辿り着けたことで不安が覚悟に変わって、辛かった時期の終焉を感じて、気持ちが楽になっていた。楽になった最大の理由は、延期という事態で生じたハプニングで夫が急遽一時帰国をすることになり、成田空港で再会・合流できたからなのだけど、、、とにかく2020年から始まって、今も尚、世界を混乱させているコロナウィルス流行の最中、私とムスコは日本を出て中国へと行き、生まれて初めての、夢だった「海外生活」を始めることになりました。

辿り着いて気がついたこと。「渡航できるのか、できないのか」に囚われすぎて、8ヶ月という延期による準備期間があったにも関わらず、住む街の情報収集や語学準備が全くできていなかった、、、と言うこと。結果、今の中国・上海をわかっておらず、衝撃を受ける日々。 そして、渡航から4ヶ月、、、この期間に経験したことの貴重さに気づき、改めて「海外で生活する」「中国で生活する」「上海で生活する」ことを記録していきたいなと。  

私が外国人になって異国に住み感じることを。    中国にいて感じる大国のひとつである中国を。    世界有数の大都会である上海という街を。      誰かの目を通して語られたことを確認するだけでは無く自分の目で見たことを加えて、、、観光と言う一時的な感覚だけでは無く住むことで生まれる感覚で、、、この障害多き時期に来たからこその体験を交えながら書いていきたい。    

だから、始めますnote♫


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