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仏教と現世利益

 僕の理解では、初期の仏教は自らの内面を変えることで苦しみから逃れられる、というのが教えの中心であったと認識しています(前の記事)。

 悟れば輪廻転生を逃れられる、というのは、輪廻転生する世界から実際に抜け出せる、という意味ではなく、輪廻転生という当時の死生観から逃れられる、という事なんじゃないかなぁと考えています。

 しかし、いつしか仏教にも現世利益の側面が付与されていきました。とりわけヒンドゥー教に影響を受けた密教にその傾向が強いように思います。人間は内面を変えるよりもまず自分の外側を変えたがる生き物なんでしょう。日本仏教も鎮護国家思想、台密東密等々現世利益を求めるために仏教にすがる、という流れが主流になっていったように思います。

 そして信仰の消えつつある現代でも、苦しいときには神や仏頼み、神社やお寺に「彼氏ください!」と祈ってみたり、死後にはなんだかよくわからないけど素晴らしい世界に行くためにお坊さんにお経を唱えてもらって戒名なる漢字のお名前つけてもらって…(これは来世の話ですね)、とかなーり現世利益の側面が強いなぁと感じます。

 個人的には、今の時代では仏教の現世利益的側面よりも原始仏教の内面変化を求める思想のほうで救われる人が多いのではないかな、と思います(祈っても苦しみにまみれた世界はたぶん変わらないですし(小声))。

 一方で、祈ることで救われるという側面もありますよね。祟りのシステムの論文(前編後編)に似ている論理ですが、自分の祈りが世界を変えるとすれば、苦しみは自らでコントロール可能なものとなり、小さくなるのではないでしょうか。ただ苦しみがやはりコントロール不可能であったと気づいてしまったらどうなんでしょうね…。

 僕はこんな仏教観なので、禅宗がいちばん好きです。(そんなに各宗派の教義知らないんですけどね)

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