生きてるだけで、愛を読んでみた

ブログってわたしが小学3年生くらいの頃から中学2年生くらいまで書いてました。そんなに長く続けられるのかこの人!?って思ったかもしれないけどそんなこともなくて、その頃に流行っていたココログってサイトやアメーバブログやホームページを自分で作成して書いては飽きて書いては飽きての繰り返し。学校でのC組の柴田さんはB型の太田くんのことが好きだとか書いている最低極悪女でした。そんなわたしが今流行りなのかわからないけどnoteに進出しました。いつまで続くんだろうね。なんで書きたくなかったのかというと生きてるだけで、愛という本を読んだからだ。

元々趣里さんと菅田将暉さんの映画で見ていた作品ではあってこの映画がここ数年で1番心に残る作品で見たのはだいぶまえになる。今でも忘れられない映画でいつかDVDを買いたいと思ってまだ買えてないおまえまじで好きなのか?って言われてもしょうがないんだけど本当に好きな作品である。その映画の影響で巡り合えた小説。

率直に面白い小説だった。ただの恋愛小説というカテゴリーにしたくない。かと言って恋愛小説を下に見てるとかそういうわけじゃない。でも何かのカテゴリーで分類したくない作品だった。

過眠症で引きこもり気味の寧子は、恋人でゴシップ雑誌の編集部勤務の津奈木と一緒に住んでいる。感情のコントロールが苦手な彼女は、そういう自分に本気で向き合おうとしない津奈木に苛立っていた。ある日、津奈木の元恋人の安堂(仲里依紗)が現れ、寧子を追い出すために、勝手にカフェバーのアルバイトを決める。渋々働きだした寧子だが、少しずつ店の人に心を開くようになり......。

シネマトゥディ引用

この作品によると葛飾北斎の富嶽三十六景っていう作品は5000分の1秒のシャッタースピードで撮った写真と同じ作品らしい。葛飾北斎は富士山と5000分の1秒分かり合えたということだ。

人間対人間もそうなんだろ。わたしは恋人だろうが家族だろうが他人な訳だから分かり合えるのなんて無理だと自分に言い聞かせて生きてるけど好きな人には全てわかってほしいと思ってる。そんなこと不可能だとわたしだって主人公の寧子だって分かりきってる。けど望んでる。たまに今分かり合えてるなって一瞬もある。その一瞬が嬉しくてその一瞬があるからこそ望んでいるんだろう。人に何かを望んで生きても裏切られることの方が多いのにね。それって相手が悪い訳じゃないんだけどわたしも悪くないよね。だからイライラするんだよ。わたしって人間臭いかもな。



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