その場所で踊る意味
最近の踊った場について考える
5月に入ってから福祉施設の中庭で踊る機会をいただいた。入所者は大人というか、かなり年配の方も多い。一生をここで過ごしていくが、自分の出来ることは自分でやるという方針なので、とても穏やかで人間らしい生き方をしているし、会話もある程度は成り立つ。
外出出来ない彼らにとって、私たちは友好的な異邦人であり、布や楽器をたくさん持って行ったので創造性を刺激出来たのではないかと思う。一緒に演奏したり布を用いて遊んだりしてたのしそうだった。
天気の良い日で少しでも外気に触れる場所でやるのは、部屋に居がちな彼らのよいきっかけとなれたと思う。
私たちはことさらに説明しない、物語性のない音楽や踊りを披露した。次々に人が中庭に出て来て熱心にみてくれた。
後半は合奏したりおしゃべりしたりしたが、とても場が盛り上がった。楽しんでくれるか心配していたのだけど杞憂だった。
5月半ばには森林公園のキャンプ場で地域伝承に基づく音楽朗読劇に参加した。キャンプ場といっても広いかんかん照りの野っ原で年配の女性としてはシミの心配があったが、裸足が最高に気持ちいい天然の芝生だった。
土はどんなに日照りの時でも少しひんやりしていて、草はふんわり柔らかいのだと初めて知った。
正面となるところに客は座ってみているけど、360度隠れるところはない。出てくる場面は三カ所だったが、後の場面は背景の中で佇んでいたり、コロスとして動いていた。少なくとも私はずっと物語の中にいないと踊れない。
音楽は生演奏だったが、朗読はマイクだった。これは現代において仕方ないと思う。が、生の音声だとどうなったろう。やはり、謡や声楽のように節をつけることになるのかもしれない。
6月初めには繁華街の路上で踊る。初めての経験だ。いや、よく考えたら全て初めてだ。
こちらも朗読劇だが、音楽2人、ダンサー2人に増える。ホームレスを題材にしている。私はダンスシューズを履くんだけど、実は裸足じゃないのは初めて。屋外で踊ってるのに変な人だね。
男性なわけでもないけど女性でもない。だけど人ではある。題材が重いから負けたくない気持ちがあるんだけど、そんなに気負うなって言い聞かせてる。
雑踏の中でのお芝居と音楽とダンス。いつもの風景を異空間にしたい。私の目的はそこにある。
屋外はここまでかな。この季節の屋外は紫外線対策が面倒というのが実感。でも、体に毒だしね。わざわざ浴びるのはイヤかな。年齢的にこれからは難しくなっていくだろうと思うから一期一会の精神で踊っていく。
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