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〈往復書簡〉私から、波を起こす 第6便「見ること、ともに在ること」

第6便「見ること、ともに在ること」

2024年6月15日

今枝孝之さま

こんにちは。あっという間に、夏ですね。
5月末から6月初旬にかけての季節が一番好きです。緑が最も美しく見える時期だと思います。海ではなくて川の話ですが、この季節に伊勢神宮内宮の参道にかかる宇治橋から五十鈴川を望む光景は最高です。静かで、落ち着いていて、明るい。この世界の一部であることが、うれしくなるような景色です。

5月に刊行された『SLOW WAVES issue3』を拝読しました。特集は、「海辺のドライブ」。素敵ですね。自分自身には、4月の便りに書いた父との息詰まるようなドライブの記憶しかないので、特に今枝さんの小説で描かれたさわやかなドライブの風景がうらやましかったです。
今回の特集でいいなあと思ったことは、すべての作品に、視点人物とともに車中にいる人の存在を感じたことです。9つの作品の運転手にそれぞれ同乗者がいる。それが家族であったり、仕事上の関係者であったり、なんとも名付けがたい関係性の異性であったりする。赤の他人もいましたね。ドライブはひとりでもできます。だからこそ、作品中の同乗者の存在が、そしてそこから生まれる人間関係が愛しいと感じました。

他者とともに在ることを自然に実現できる人は成熟した人だと思います。私は行動する際に「他者とともに」ということをあまり意識しません。海が見たければ、自分が見たいときに自分だけで出かけます。私だけが好きな音楽をかけて、私だけが興味のある場所に寄って、私だけが通りたい道(方向音痴なのでたいていGoogle Mapが案内してくれる道になりますが)を走っていきます。それで自分にとっては不足ないのです。だって、目的は「海を見に行くこと」なのですから。もっと言えば、自分が何かに出会いに行こうとするときは、同行者がいない方がよい場合もあります。

話が脇道に逸れていきますが、私は美術館に行くのが大好きです。なんであれ、静かで、落ち着いていて、明るいものが好きなのです。最近は陶芸をよく見に行きます。絵画、というものはとても静かであるからこそ、こちらの心にいろいろな物事を語りかけてくれるものだと思いますが、現代の美術のうちのあるものは、自分にとっては少しその声がうるさく聞こえるようになってしまいました。今の自分には、昔から変わらぬ様式で誠実につくられた焼き物の類の声が心地よく感じます。

陶芸の展覧会を見に行くときは、いつもひとりで出かけます。一人で無心に茶碗を眺めているときにしか得ることのできない充足感があるからです。  

何かを「見る」ということは、対象物と対話をすることと同じなのではないかと思います。「わたくし」を対象に投影し、そのものに反射しているこころを読み取る。そのような自分の心との真剣勝負になることもありますし、対象物が与えてくれる驚きに純粋に浸るという、忘我の喜びを得ることもあります。いずれも、「私」と「見られるもの」との一対一の関係をしっかり結ばないと、「物言わぬ友」は何も語りかけてくれません。真剣に「もの」そのものに出会おうとするときは、こちらも身ひとつである方が得られるものが多いように思います。今までお話してきた、海、そして本との対峙の仕方の話とも通じるところがあるような気がします。

長い間そのように考えてきたのですが、年をとって、他者とともに在る時間が以前より長くなってきた現在、自分の在り方が揺らぎつつあるのを感じます。自分がいかに他者と存在をわかち合う努力に欠けていたかを思い知らされる日々です。他人など自分の精神生活に必要ないなどとうそぶくことは、なんという思い上がりであったことでしょう。私は寂しいところを強がっていただけだったのです。友として自分の人生にかかわってくれる人が増えた今、ようやく気付きました。どん底の寂しさを恐れるあまり、自ら孤独になりにいくことで、防御線を張ろうとしていたのです。そのおかげで、ほんとうに寂しい人間になってしまいました。後から振り返ると、ずいぶん滑稽です。

私は前回のお便りを読んで、今枝さんはずっと他者とともに在るために、努力をされてきたのだなと思いました。私のような自分勝手なものが安心して生きていられる陰には、必ず今枝さんのようなやさしい人の気遣いがあるのだろうと思います。

他者とともに生きると決めたとき、どうしても傷つくということと向き合わざるを得ないと思います。そこに悪意はなくても、ひとりひとりが意志というものを持って動いている以上、ぶつかって傷つけあうことは避けられないのではないか。

人ごみを歩く時を想像してみてください。きわどい距離ですれ違う際、相手をまったく見ず、ひたすら下を向いて歩いていると、高い確率で相手とぶつかってしまいます。人とぶつからないように気を付けている人は、向こうからやってくる相手のことをよく見ています。ぶつかる前に、自分がどう動いてよけてあげればいいかを考えている。相手はそのことに気付いていないことが大半です。それでも、よけてくれる人の思慮のおかげで、人ごみはスムーズに流れていく。しかし、時折向こうから来る人と目があってしまうときがある。そのようなときの人の動きは不自然になりがちです。お互いに譲ろうとして右往左往したり、相手のよけた方に自分もよけてしまって、かえってぶつかってしまったりする。普段気を付けている人ほど、思いがけず摩擦を生んでしまったときに、自分を責めて落ち込んでしまうことが多いのではないかと思います。今枝さんは、「向こうから来る人が歩きやすいように考えてあげる人」なのではないですか?

私は物を見るのが好きなくせに、あまり人のことを見ていません。いえ、前段で述べたように、相手の方を見ようとするとかえって摩擦を招いてしまう経験が多かった。だから人に対してわざと目を伏せるようになったのかもしれません。私がめちゃくちゃに歩いて行っても、相手がちゃんとよけてくれる。大丈夫。

実際それで楽に生きられているとは思いますが、今枝さんのように、相手を見ることから逃げずに歩いている人の姿は眩しいです。長年生きてくる中で身についた癖は一朝一夕では消えません。私が素直に人と接することができるようになるためには、まだまだ勇気が必要です。それでも自分の伏せた目を見ようとしてくれている人がいることを胸にとどめておきたい。ささやかですが、こんな自分が存在することを許容してくれているやさしい人に対して、せめてこの思いを持っていようと思っています。

先日はお知らせをいただいた愛知県瀬戸市でのブックマルシェにおうかがいしました。久しぶりにお顔を見てお話しすることができてよかったです。好きな焼き物も思う存分見ることができて、充実した日になりました。車の運転は苦手なので、海辺のドライブ、とはなかなかいきませんが、ちょっとした旅は普段枠の中に縮こまりがちな自分の心を開放してくれるようで、好きです。

そういえば、今枝さんはずいぶん旅を重ねてきたのでしたね。夏、旅の季節に、そういったお話もうかがえればうれしいです。


▼著者
村田奈穂(むらた・なほ)

日々詩書肆室 室長。1986年、三重県久居市(現・津市)生まれ。ブックハウスひびうた管理者を経て現職。共著書に『存在している 書肆室編』『映画と文学が好き!人情編』(日々詩編集室)。

次回、今枝による第7便は、7月中旬に公開予定。
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初回アップ日:2024年6月15日(土)
責任編集:今枝孝之


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