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「ハザードランプを探して」第2回

取材・執筆:藤田和恵、フロントラインプレス

「無低」


「たった今、豚小屋のようなところから逃げてきました」

2020年10月下旬、40代の男性からSOSが入った。東京・池袋の公園にいるという。「反貧困ネットワーク・新型コロナ災害緊急アクション」事務局長の瀬戸大作さんが車で駆け付けたのは午後7時ごろである。助手席に乗り込んできたのは、橋詰宗吾さん(仮名)。不安そうな表情で、「全財産だ」という黒いかばんを抱き締めていた。「豚小屋」とは、いったいなんだろう。

夜の東京。イメージ(撮影:高田昌幸)

首都圏きっての繁華街とはいえ、車を止めた辺りは喧騒も届かない。車内は街灯の明かりだけが頼りだ。運転席に瀬戸さん、助手席にSOSの主。いつものスタイルで、瀬戸さんは助手席からの訴えに耳を傾けていく。

「自分の部屋はアパートの1室をベニヤ板で5つに間仕切りしただけ。広さは1人当たり3畳くらいでした。南京虫がわいていて……。メシもひどかった。具のない味噌汁とか、くず野菜だけの炒め物とか。定員ですか? 40人くらいが共同生活をしていました」

橋詰さんはそんな施設に入っていたと話す。制約も多かった。入浴は午後4時までに済ませる必要があり、門限は午後9時。1時間以上外出するときは行き先や帰宅時間を申告しなければならなかった。橋詰さんはそこで4日間ほど過ごしたものの、耐えきれず“脱走”したのだという。そして、その「豚小屋」への入居を強いたのは役所だった、と橋詰さんは打ち明けた。

橋詰さんによると、新型コロナウイルスの感染拡大が続いていた2020年秋、建設現場の仕事をクビになった。しばらくネットカフェや路上で過ごしていたが、お金もなくなり、寒さも厳しくなったことから東京・23区内のある福祉事務所に出向いた。生活保護の申請をするためである。このとき、窓口では施設への入居が条件であるかのような説明をされた。橋詰さんが「施設には入りません」と伝えると、相談員からは「入ってもらうしかありません」と即答されたという。

「(施設が)嫌ならほかの区役所に行ってもらう手もあります、とも言われました。だったら路上に戻れば、みたいな言われ方もされました。僕が『(申請を受理しないのは)違法ですよね』と言ったら、『こっちは提案してるだけ』とごまかされました」

橋詰さんは「入居契約書」を持っているという。黒いかばんから取り出したペーパーを見せてもらった。契約書によると、施設は埼玉県にある。その施設名を見た瞬間、瀬戸さんが苦々しげに言った。

「無低だな」

無低とは、無料低額宿泊所のことである。生活困窮者が無料または低額な料金で利用できる民間施設で、社会福祉法に基づいて設置されている。厚生労働省によると、全国に570施設あり、入居者は約1万7000人。利用者の多くは住まいのない生活保護利用者である。

無低の中には橋詰さんが入れられたような悪質な施設も少なくない。最大の問題は生活保護費のピンハネだ。橋詰さんの契約書には案の定、入居費と食費合わせて9万8300円と記載されていた。昼食は自腹。これでは橋詰さんの手元には月3万円も残らない。

「豚小屋」と呼ぶ無低から“脱走”してきた橋詰宗吾さん=仮名。わずか数日の無低暮らしにもかかわらず、すっかり疲弊しているようにみえた(撮影:藤田和恵)

悪質な無低が「貧困ビジネスの温床」として社会問題化したのは1990年代に入ってからだ。

無低のスタッフが路上や公園で暮らすホームレスに声をかけ、生活保護を申請させて収容、保護費の大半を搾取する事例がメディアなどでも取り上げられた。こうした無低の中には、6畳の部屋に2段ベッドを2つも置いた相部屋や、だだっ広いフロアに2段ベッドをいくつも設置し、仕切りはカーテンだけという施設もあった。同時に、一部の福祉事務所はコロナ禍以前から、住まいを持たない申請者を半ば自動的に無低に送り込んでもいた。行政が貧困ビジネスの片棒を担ぐような手法を常態化させていたのである。

そして2020年春からのコロナ感染拡大において、無低の問題がまたも浮き彫りになった。住まいを失った申請者が急増したためだ。私は瀬戸さんへの同行取材を続ける中で、橋詰さんのようなケースに何度も出くわした。生活保護を申請したら無理やり無低に入れられたという人、以前に福祉事務所で無低に入れられたので2度と生活保護は利用しないという人……。瀬戸さんに言わせると、「3人に1人は無低がらみのトラブルに遭っている」という有り様だ。無低に強制的に入居させる行政の対応が、生活保護を申請することをためらわせる大きな要因になってしまっている。

そもそも生活保護法は「居宅保護の原則」を定めている。住まいを持たない申請者は原則、アパートで保護しなければならない。本人の同意なく無低を含めた施設に入居させるのは法の趣旨に反している。瀬戸さんは言う。
「何よりも問題なのは、福祉事務所がこうした悪質な無低の実態を把握しようとしないことです」

■ 

2020年8月なかば、瀬戸さんのもとに20代の男性、仲村知久さん(仮名)からSOSが入った。

「生活保護を受けたら、強制収容所のようなところに入れられてしまいました。助けに来てもらえますか」

またしても無低が絡んだSOSだ。しかも訴えは切迫している。その無低は埼玉県中央部の、最寄り駅まで歩いて1時間はかかる場所にあった。駆け付けた瀬戸さんが話を聞いてみると、仲村さんが入居させられたのは4カ月前。入居費と食費などを合わせた利用料は月7万9000円で、食費に含まれない昼食代や携帯料金を支払うと手元には月1万円も残らなかったという。

私は9月下旬、あらためて仲村さんから話を聞いた。沖縄出身の彼は、ピンクのハイビスカスの模様をあしらった半袖のかりゆしウェア姿で現われた。しかし、秋の東京はすでに肌寒い。この間の無低暮らしで保護費を巻き上げられたせいで、まだ冬服を買う余裕がないのだという。

沖縄出身の仲村知久さん=仮名。ハイビスカス柄が美しいかりゆしウェアを着ていたが、写真を撮らせてほしいというと「特徴的なデザインで、僕とバレてしまうので脱いでもいいですか」と言った(撮影:藤田和恵)

仲村さんは中学卒業後、東海地方の大手自動車メーカー系列の工場で派遣労働者として働いてきた。住まいは、もっぱら派遣会社が用意した寮。しかし、コロナ禍で派遣先は激減し、仕事を探して全国を転々とした。埼玉県にたどり着いたところで所持金が尽きた。県内のある福祉事務所で生活保護を申請したときのことを、仲村さんはこう振り返る。

「相談員の人から『住むところがなくても大丈夫。ただ、集団生活や金銭管理ができる人なのか、一定期間生活ぶりを見させてもらいます』と言われました。それから相談員がどこかに電話して、まもなく別の人がやってきて。その人が運転する車に乗せられて、連れていかれた先が無低でした。その人、無低のスタッフだったんですね。(相談員とスタッフのやり取りは)まるで流れ作業のようでした」

一番つらかったのは、無低の立地の悪さだった。仲村さんはこの時も就職活動を続けていた。ところが、面接会場などがある都心に出るには最寄り駅まで1時間も歩き、そこから電車でさらに1時間以上かかる。交通費もバカにならならない。8月の炎天下、汗だくになって帰ってきても、午後5時までの入浴時間に間に合わないこともあった。風呂の時間に少しでも遅れると、罰として食事を抜かれたという。

食事は粗末で、トレーにレトルトのパックがじかに乗せられていることも珍しくなかった。また食堂の椅子と椅子の間隔は1メートルほど。食事時になるとそこに何十人もが殺到する。仲村さんは「いつコロナに感染するか、冷や冷やでした」という。

無料低額宿泊所で出されたというレトルトの食事。はしの先は黒ずみ、食後は厨房にいつまでも食器が放置され、ハエがたかっていたという(写真:仲村さん提供)

SOSの後、瀬戸さんと仲村さんはすぐに2人で福祉事務所へ出向いた。アパートへの転居を求めるためだ。そこで驚いたことが一つあった。担当のケースワーカーがこの間、仲村さんのもとに一度も面談に行っておらず、無低の所在地も把握していないことが分かったのだ。

仲村さんは呆れた。

「ケースワーカーは電話では『ちゃんと就職活動してください』と言ってくるんです。こっちは交通費もないっていうのに。でも、無低がどんなに不便な場所にあるかも知らなかったんですね……。まずは相談員やケースワーカーが無低で生活してみればいいのに」

普段はどちらかというと温厚な瀬戸さんも憤った。

「福祉事務所が悪質な無低に丸投げ、放置でいいのか。『生活ぶりを見る』と言うけど、仲村さんは何年も独り暮らしをしてきた経験があるじゃないか。そもそも無低入居は生活保護の利用条件ではありません。にもかかわらず、一部の福祉事務所でおかしなローカルルールがまかりとおっていることが問題なんです。自立を阻害するだけの“施設収容型福祉”はいい加減見直すべきです」

ここで、私が取材で出会った無低関連の声をいくつか紹介しておきたい。丸かっこ内の地名は無底の所在地である。

「生活保護を申請したら、相談員から『この中から選んでください』と無低のリストを見せられた」(千葉、60代男性ほか複数)

「昨年5月、コロナウイルスの感染拡大が続いているのに、1部屋に2段ベッドがいくつも置かれている無低に入れと言われた。感染が心配だったので、やむを得ず当時開放されていた体育館で寝泊まりした」(神奈川、40代男性)

「保護費の支給日になると、入居者全員がマイクロバスで福祉事務所に連れていかれ、保護費を受け取るとその場でスタッフに封筒ごと全額没収された」(埼玉、40代男性)

「部屋に鍵がなく、私物を盗られた。携帯を持っていることは誰にも知られないようにしていた。入居者同士の喧嘩や自殺する人もいて怖くなって逃げた」(東京、30代男性)

「入居からしばらくして厨房の仕事を任された。フルタイムで働いたが、『生活保護をもらってるでしょ』という理由で給料がもらえなかった」(東京、30代男性ほか複数)

「途中から無低のスタッフになった。給料は出たが、後になって保護費も継続して支給されていることが分かった。僕が福祉事務所に話して不正受給が発覚したが、その施設は今も普通に運営を続けている」(千葉、40代男性)

「毎朝、近所の公園を掃除をさせられたり、長期間入居している高齢者の介護をさせられたりした」(千葉、50代男性)

取材では、無低の劣悪さや違法行為を訴える声に次々と遭遇した。この問題の根深さは、こうした悪質な無低に強制的に入居させているのが各地の福祉事務所であるということだ。私の取材の範ちゅうでこの状態だから、目の届いていない実態は数え切れないほどあるだろう。

驚いたことはほかにもあった。瀬戸さんが言うところのローカルルールを発動して「無低一択」の福祉事務所が存在する一方、東京都がコロナ対応として住まいを失った人向けに用意したビジネスホテルを一時入居先として用意する福祉事務所もあるなど、自治体によって対応にばらつきがあったことだ。また、同じ福祉事務所であっても、瀬戸さんら支援者が申請者に同行すると、無低ではなくホテルが提供され、当事者が1人で申請に行くと無低に送られるという事例もあった。平等性や継続性、客観性が求められる行政サービスにおいて、こんな場当たり的な対応があっていいはずはない。

夕暮れの東京。イメージ(撮影:高田昌幸)

福祉事務所側はどう考えているのか。東京23区のあるケースワーカーに聞くと、こんな答えが返ってきた。

「うちでは、無低が嫌だという人を無理に入れることはありません。ただ住まいのない人をいつでも受け入れてくれる無低の存在はありがたくもあるんです。路上に追い返すという最悪の事態だけは避けることができますから。アパートですか? 東京は家賃が高い。生活保護の住宅扶助費内の物件をすぐに見つけるのは難しいです。正直、生活保護の利用者には貸したくないという大家さんもいますし。利用者が1カ所の無低に住んでいれば面談も一度で済むので、ケースワーカーの負担軽減になるというメリットもあります」

無低が嫌ならほかの区役所に行けと言われた人がいると伝えると、このケースワーカーは「それは許せないな」と憤り、さらにこう付け加えた。「そんなことされたら、ちゃんとやっている福祉事務所の負担が増えてしまいます。でも……、もしかしたらこの間、私たちも無低に安易に頼りすぎてきたのかもしれませんね」

コロナ禍以前より、生活保護申請の手続き現場が多忙を極めていたのは事実である。ただ、そうだとしても、「豚小屋」とも「強制収容所」とも言われるような悪質施設に申請者を放り込んでよい理由にはならない。

最近、取材で知り合った生活保護利用者の男性は、福祉事務所から無低への入居を断られたという。理由は「空きがないから」である。住まいを失った申請者が急増しているうえ、「3密」を防ぐために新規の入居を制限しているからだ。無低頼みの“施設収容型福祉”の限界があらわになりつつある。

つづく