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本を愛する俳優、中江有里さんに聞く「ノンフィクションの重みを知ってほしい」

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 俳優で歌手の中江有里さんは、自身でも数々の小説やエッセイを執筆する作家でもあります。読書家としても知られ、テレビやラジオでブックレビューコーナーを担当する一面も。読書への尽きない愛、本との付き合い方、そしてノンフィクション、調査報道に期待することなどをお聞きしました。
(聞き手:SlowNews 熊田安伸)

ネットで注文して、わざわざ書店に行く理由

熊田 中江さんは、NHKの『ひるまえほっと』で「中江有里のブックレビュー」という本の紹介コーナーや、数々の雑誌で書評コーナーを担当されています。本日も、NHKでの出演のあとに来ていただきました。

日頃、本はどのように選んでいるのでしょうか。

中江 基本的には、書店に行くことが多いです。店頭の特集コーナーや書店員さんのポップを見て惹かれることもありますし、実際に手に取ってじっくりと吟味することもあります。
こういった仕事をしていると、出版社や著者の方が新刊を送ってくださることも多いんですよ。本当に様々なジャンルの本をいただくのですが、中には「この本を私に読んでほしいって思って送ってきたのだろうな」と強く感じるものもあるんです。そういった本はやはり気になりますね。

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熊田 最近ではインターネットで本を購入する人も多いですが、ネットは活用していますか。

中江 もちろん急いでいる場合はネットで注文することもあります。でも、ネットで注文しておいて書店に取りに行くというパターンが一番多いかもしれません。
「わざわざ注文するぐらいなら、ネットで購入すればいいのに」と思われるかもしれませんが、出版の世界に身を置く人間として、こんな大変なご時世でも開いてくれている書店さんに少しでも貢献したいという思いがありますから。
書店に行けば、新たな本との出会いがある。でも万が一、いい出会いがなかった時に、事前に注文して確保しておいた本があれば、無駄足だとがっかりすることにはならない。そういう意味もあります。

本を読むことは「誰かの視点を借りること」

熊田 本を選ぶにあたって、気になるトピックはあるのでしょうか。

中江 その時々によって変わります。たとえば、昨年は母を亡くしたこともあり、病気や医療に関する本が気になりました。
病気に関する本とひと口にいっても、知識を得るための実用書だけでなく、登場人物が病に侵されている小説などもありますよね。そういった小説を読んでいると、登場人物を通して自分にはなかったような視点が得られる瞬間があるんです。
基本的に私自身が考えていることってたいしたことじゃないので(笑)、他の誰かの視点を借りるというのは、大きな財産になると思うんですよ。

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熊田 他者の視点を獲得できるというのは、得難い経験ですよね。その分、自分がより豊かになれるということでもあります。

中江 ええ、私にとって本は不安な気持ちを支えてくれたり、疲れた心を豊かにしてくれる存在です。興味を持っていたテーマの本はもちろんですが、自分がそれほど関心がなかったようなテーマの本でも新たな気付きを与えてくれることがあります。本は、自分の手で開ける窓のようなもの。本との偶然の出会いが自分の世界を大きく広げてくれる。もちろん、人との出会いも重要ですが、一度きりの人生の中で深く付き合える人って限られていますよね。その点、本なら人との付き合いのように相手の時間を奪ったりしないので、誰にも遠慮せずに、深く付き合うことができるように思います。

熊田 本を通して、それを著した人と出会い、付き合うということでもあると。

中江 初対面の人に会う時には、お目にかかる前に何冊か読みます。「この人はこんな考え方をしているのか」といったように、その方のバックグラウンドのようなものを把握しているだけで、より話がはずむこともありますから。実際、私自身も本を書いているので、お会いした時に相手の方が拙著を読んでくださっていることを知ると、とても嬉しいですし、気づくと深い話になっていることが多い気がしますね。

ノンフィクションならではの「重み」

熊田 読書好きの芸能人の方は、主に小説などをよく紹介されているイメージなのですが、中江さんの場合、ノンフィクションやルポルタージュのようなものもたくさん紹介されていますよね。

中江 そうですね。もちろん小説も大好きで、やはりフィクションでなければ表現できない世界を描ける点は、小説の魅力の一つです。
一方で、ノンフィクションには膨大な取材に基づいた作品ならではの重みを感じます。
知り合いにもノンフィクションの作家さんがいますが、本当にシビアな世界なんですよね。
基本的には、取材相手を探したり、取材交渉もすべて自分でやらなければならないし、取材費も自前。しかも、そこまで時間と労力をかけたからといって、必ずしも取材が成功するとは限らないし、本として出版できる保証もない。「絶対にこれを世に出すんだ」という強い意志がなければ続けられない仕事だと感じています。その意志と努力の過程が結実して、一冊の本になるわけですから、まさに“一冊入魂”ですよね。

熊田 おっしゃるように、調査報道の現場は非常に厳しく、書き手もどんどん減っているのが現実です。そのため、SlowNewsでは、ジャーナリストの手助けとなるよう取材費を提供するといった取り組みも実施しています。

中江 とても重要なことだと思います。ノンフィクションに限ったことではないかもしれませんが、たとえば芸能の世界では、今は時代劇も制作できる場所がかなり少なくなってしまっているんですよ。
時代劇には、衣装、セット、所作など各方面のスペシャリストが欠かせません。ですが、とにかく制作に時間とお金がかかるので、次第に制作本数が減り、それによって技術を継承する人も少なくなってしまう。だから、いざ作ろうとしてもノウハウを持った人がいないという事態が起こってしまうんです。

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それは、ノンフィクションや時代劇だけでなく、伝統工芸や伝統芸能など日本の様々な文化に通じる課題といえるかもしれません。
守っていくためには、いろいろな要素が必要ですが、まずは制作側の情熱を受け取ってくれる人が不可欠なんですよね。そうでなければ成り立たない。ノンフィクションでいうなら読者です。いかに、より多くの読者のもとに届けるかが大事ですよね。

熊田 調査報道の未来を中江さんはどのように捉えていますか。

中江 調査報道は、なくなってはならないものだと思うんですよ。最近は、「手軽に短時間で突端の情報だけ知りたい」というのが時代の流行になっていますよね。でも突端に至るまでの土台がなければ、突端を知ることはできない。誰かがその土台を地道に作っていることを忘れてはならないと思うんです。
それに、過去を振り返って検証するのはとても大事なこと。今回の東京オリンピック・パラリンピックをめぐる課題や、新型コロナウイルスへの対応についてもそうですが、起きたことをきちんと検証して、未来へ残していく。その役割を担うのが調査報道だと思うんです。

あらゆる人が本に触れる「とても民主的なこと」

熊田 SlowNewsでは読者にもっとノンフィクションを読んでもらいたいという思いから、ノンフィクションの定額制読み放題サービスを展開しています。実際に使ってみて、いかがでしたか。

中江 本と読者の一つの出会いの場になっていると感じました。ネット環境とデバイスさえあれば、世界中のどこにいても、あらゆる人が本に触れることができる。それって、とても民主的ですよね。コロナ禍でオンラインの活用が一気に進んだことで、デバイス格差が減り、一人ひとりの手に届きやすくなったのは喜ばしいことだと思います。
それに、書店で見かけて気になっていたけれど、買わずにいるうちに店頭から姿を消していたものがいくつもあって嬉しくなりました。SlowNews は、“すれ違ったものに出会える場所”ですね。

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熊田 それは光栄です。出版社さんからは「名作なのに、最近あまり読まれなくなっているノンフィクションがたくさんある」というご相談をいただくこともあり、そういったものを広く世に届けられたらと思っています。

中江 電子書籍はとても増えてきましたよね。クリックしたらすぐに購入できて読み始めることができ、とても便利だと思います。一方で私は、紙で読む本の良さも感じています。お気に入りの本を手に取って、その装丁やページをめくった時の感触を楽しめるのは、紙の本ならではですから。
本だけでなく、音楽も同じかもしれません。たとえば、私はCD世代なので、配信の便利さも知りつつも、CDが好き。音楽そのものだけではなく、CDのパッケージなど“物”としての良さも楽しめます。懐古趣味かもしれませんが、モノに愛着を持つのは、人間の本質なんじゃないかなと思うんですよ。
紙とデジタル、どちらがいい悪いということではないので、その時々に自分にあった方を使いながら、本を楽しみたいですね。

熊田 SlowNewsでは、1冊の本を読み切るのが難しいという人のために、さまざまなサービスを用意しています。長編なのに短編集のように読むようなこともぜひしてほしい。ページごとに「お気に入り登録」できるシステムもあります。あえて中盤の山場から読者に「おすすめ」するような取り組みもしています。

中江 おもしろいですね。本の読み方って自由でいいと思う。実は私も、けっこう飽きっぽいところがあって、いつも数冊の本を同時進行で少しずつ読み進めているんです。途中でぐっと引き込まれるタイミングがあると、一つの本だけに集中してラストまで読み切るなど、気分に応じて読み方も変わります。
読もうと思って買いためて“積読”もたくさんやっていますよ。「必ず一冊読み切らなければ」という固定観念から自由になると、意外とすんなり読めたりするんじゃないでしょうか。

中江さんがSlowNewsで興味を持った本は?

熊田 SlowNewsでは、どのような本に興味を持ちましたか?

中江 松本創さんの『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』ですね。私は関西出身ということもありますし、福知山線の脱線事故のとき、たまたま関西に滞在していたので、この事故にはかなり衝撃を受けました。ですが、事故を振り返る機会がないまま16年もの歳月がすぎてしまっていて…。でも、この本を目にして、忘れかけていた過去の記憶がよみがえった気がしました。

熊田 『軌道』は講談社ノンフィクション賞を受賞した名作で、当時のJR西日本の社長に取材して本音を引き出しており、かなり読みごたえがあります。

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私の同期がNHKで報道局の社会部長をやっていまして、部会で記者たちに「これは必読だ」と紹介したとか。他の本はいかがですか。

中江 今後読んでみたいと思っているのが、森功さんの『最後のフィクサー 葛󠄀西敬之』です。

熊田 これは、現在連載中のSlowNewsオリジナル作品ですね。

中江 実は、葛󠄀西さんには以前、産経新聞の報道検証委員としてご一緒したことがあるんです。お名前は存じ上げていましたが、どんな方だろう、と緊張しました。もし、当時この本があったら委員会に出席する前に読んで“予習”しておいたでしょうね(笑)。

新井紀子さんの『AI vs. 教科書が読めない子供たち』も、気になる一冊です。周囲で読んでいる人がたくさんいて、評判はかねがね聞いていました。

熊田 『AI vs. 教科書が読めない子供たち』は、全国の子供たちを対象にした読解力の調査で衝撃の事実が判明し、今後の教育や、AIに代替されない能力について論じた本ですね。

中江 岩本裕さんの『世論調査とは何だろうか』にも関心があります。たしかに世論調査って実際のところ、仕組みをよく知らないなと思って。
こうやって、Slow newsのページをスクロールしていると、自分の知らない世界がまだまだたくさんあるんだなぁと気づかされます。

熊田 『世論調査とは何だろうか』は新書ですが、新書はよく読みますか?

中江 読みます。ある分野の勉強を始める際、手始めに概要を把握しておきたい時に、情報がコンパクトにまとまっている新書はうってつけだと思います。そのため、まず新書を読み、それを入り口にして、その分野の単行本を読み進めるというパターンが多いですね。
SlowNewsには新書がたくさんあるので、それも嬉しいポイントです。

熊田 中江さんは小説だけでなくエッセイなどもお書きになっていますが、ゆくゆくは取材を重ねて誰かの一代記のようなノンフィクションも書いてみたいと思いますか。

中江 いつかはやってみたいですね。ただ、いかんせん膨大な取材が必要なので、いつになることやら…。生きている間に実現したいです(笑)。

熊田 その暁には、ぜひSlowNewsでも連載していただきたいです。本日はありがとうございました。

写真:塩田亮吾  構成:音部美穂

中江 有里 女優・作家・歌手

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1973年12月26日生まれ。大阪府出身。法政大学卒。
89年芸能界デビュー。数多くのTVドラマ、映画に出演。02年「納豆ウドン」で第23回「NHK大阪ラジオドラマ脚本懸賞」で最高賞受賞。NHKBS2『週刊ブックレビュー』で長年司会を務めた。NHK朝の連続テレビ小説『走らんか!』ヒロイン、映画『学校』、『風の歌が聴きたい』などに出演。
著書に『トランスファー』(中央公論新社)など。初めての翻訳絵本『みんなスーパーヒーロー』(平凡社)、10月21日に新作小説『万葉と沙羅』(文藝春秋)発売予定。
文化庁文化審議会委員。19年より歌手活動再開。