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不思議な裁判官人事 第2回「国敗訴」退官間際の一撃

取材・執筆:木野龍逸、フロントラインプレス

「国家賠償請求や公共事業の差し止め請求などで国に不利な判決を出した裁判官は、その後の人事で左遷されるのではないか」。そんな“都市伝説”を検証するため、フロントラインプレスは記者2人で取材チームをつくり、膨大な数の判決と格闘してきた。

 判例データベースでチェックの俎上に乗った判決は数千本。実際に判決文を読み込んだのは数百本。文字数に換算すればおそらく何百万字にもなる。そうした作業を経て、「その後の人事異動」を評価する対象として141人の裁判官をピックアップし、判決と人事異動の因果関係をデータ的に解析しようとした。その結果、双方の関係は「ある」とも「ない」とも言い難かったが、考えてみれば当たり前である。判決と左遷人事がわかりやすい形でリンクしていたら、もはや“事件”だ。

 ただし、「よくわからなかった」なりに、見えてきたものもある。原発関連訴訟に限定した場合の判決と人事の関係だ。今回はそれを見ていこう。

東京電力福島第一原発の事故に絡んだ訴訟は、数多くある=「子どもの脱被ばく訴訟」の判決、福島地裁前。2021年3月1日(撮影:木野龍逸)

原発関連訴訟 判決で「国に責任あり」は半々だが…

 国のエネルギー政策に直接関わる問題を手がけた裁判官は、どんな経歴をたどっていくのか。その傾向を検証するため、まずは、東京電力福島第一原子力発電所の事故に関わる判決を調べることにした。

 その前に東電原発事故の訴訟の現状を、ざっとおさらいしてみよう。

 2011年3月11日の東北太平洋沖地震とそれに伴う津波を引き金に、福島県から首都圏に電気を送っていた東電の原発は3つの原子炉がメルトダウンするという世界史に残る事故を起こした。今でも7万人近い人が住み慣れた故郷や家を捨てて、避難したままだ。マスコミでの報道は減ったかもしれないが、事故の被害は全く終わっていない。原因究明のため国会に設置された事故調査委員会は「この事故が『人災』であったことは明らか」と結論づけている。

 ところが東電はこれまで、原発事故の被害者に対して一度も公式に謝罪していないことをご存知だろうか。「ご迷惑をおかけしている」と言うだけで、謝罪はない。加えて賠償金の支払いも渋っている。不祥事を暴露された政治家は「ごめんなさい」ではなく、「遺憾です」と言って責任所在を濁すことが多い。それと似ている。東電は自らが被告になった裁判では、最初から現在まで一貫して、「事故が起きたのは残念だったが、津波は予測不可能だったし、被害を避けることもできなかった」という主張を崩していない。

 原発事故後、国は東電の発行済み株式の過半数を保有し、実質国有化した。東電のオーナーであるにもかかわらず、避難者対策はとても十分とは言えない。責任を認めず、東電と二人三脚で被害者感情を逆なでしていると言っていいだろう。全国に散らばっている原発事故の避難者たちが各地で集団訴訟を起こした要因には、こうした国・東電の姿勢がある。

 集団訴訟の数はおよそ30件と見られている。そのうち、少なくとも15の訴訟では、東電だけでなく国に対しても賠償を求めており、2021年3月までに地裁で15件、高裁で3件の判決が出た。それらの判決で「国の責任」を認めた件数は以下の通りだ。

 地裁:15件の判決中、8件で国の責任を認める

 高裁:3件の判決のうち、2件で国の責任を認定

 国の責任を認める判決の割合は、ほぼ五分五分だ。似たような訴訟でありながら、どうして判断が真っ二つになってしまうのか。裁判が控訴審に進み、高裁の判決が出始めたると、この疑問はますます深くなった。それは、ここ半年ほどのことである。

 高裁で最初の判決は、2020年9月30日の仙台高裁だった。『「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟』(生業訴訟)の控訴審判決だ。裁判長は司法修習40期の上田哲(うえだ・さとし)。国の責任を認めるだけでなく、一審判決よりも責任の割合を広げるという原告寄りの判決だった。

 2件目は今年1月21日、群馬県に避難している原告らが起こした『群馬訴訟』の東京高裁判決である。裁判長を務めた司法修習38期の足立哲(あだち・あきら)は国の責任を否定し、避難者たちの言い分を認めなかった。

 3件目が2月19日の『千葉訴訟』である。裁判長は司法修習36期の白井幸夫。一審では否定された国の責任を認め、原告の逆転勝訴となる判決を出した。

 実はこの3つの裁判は、弁護団が互いに協力して裁判に臨んでいる。そのため提出した証拠や証人の証言内容の多くが重複している。それにもかかわらず、『千葉訴訟』『生業訴訟』の2つは国の責任を認め、『群馬訴訟』はそれを認めなかった。裁判官は一人一人考え方が違うので判決が異なることは当然あるにしても、真逆はあまりに極端ではないか。「原発の裁判では(国・電力会社に対する)裁判官の忖度があり、それが影響しているのではないか」という“都市伝説”が出てくるのも無理はない。

同じ証拠、同じ立証なのに「勝ち・負け」が割れる

 同じ証拠、同じ証人。それなのに真っ向から異なる判決が出る理由について、弁護士の間では、裁判官の資質を問う声も強い。例えば、『群馬訴訟』控訴審で一審判決をひっくり返し、国の責任を認めない判決が出た後の報告集会。弁護団事務局長を務める関夕三郎(せき・ゆうざぶろう)弁護士は、その場で語気を強めてこう言った。

「われわれは法律と証拠で勝負をする商売でして、裁判というのも、法律と証拠で真偽を明らかにする、確かめる、そういうものだとこれまで思ってきましたが、(今回の訴訟のように)証拠を片っ端から無視されてしまうと、どうにもならない。(中略)いったい、どこからこんな認定ができるのかと、愕然としました。担当の裁判官には誠に申し訳ありませんが、裁判官のリーガルマインドを疑いました」

 リーガルマインドは、平たく言うと法律を的確に解釈して柔軟に運用する能力を指す。それを「ない」と言うのは、裁判官に対する最上級の批判だ。

『群馬訴訟』の控訴審判決を前に、裁判所に向かう原告や弁護士。原告側は敗訴した=東京高裁前、2021年1月21日(撮影:木野龍逸)

『生業訴訟』『群馬訴訟』『千葉訴訟』という3つの控訴審で大きな争点となったのは、津波の予見可能性、つまり巨大津波の襲来を事前に予想できていたかどうかだった。国を勝たせた『群馬訴訟』では、ポイントになる証言を判決が完全に無視した、と関弁護士は批判しているのだ。

 少し詳しく説明しておこう。

 津波の予見可能性については、政府の地震調査研究推進本部が2002年に公表した『三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について』(長期評価)と、電力会社の社員も多数参加する土木学会の原子力土木委員会が2002年に策定した『原子力発電所の津波評価技術』(土木学会手法)のどちらに信頼性があったかが争われてきた。『長期評価』をもとにすれば大津波の発生は予想できたという原告側の主張に対し、国・東電側は『津波評価技術』では福島から茨城沖で大きな津波を引き起こす地震が起きることを想定していないので対策の必要もなかった、と反論している。

 そんな中、『群馬訴訟』では、『土木学会手法』のとりまとめに関わった委員の1人、東北大学教授(津波工学)の今村文彦(いまむら・ふみひこ)が国側証人として出廷した。すると、その今村は、福島沖で津波が起きる可能性について、土木学会では「詳細な検討はしていない。今後の検討課題だった」と証言したのだった。国側のオウンゴールとも言える内容は、法廷内の関係者を驚かせた。

 原発事故の情報を扱うウェブサイト『Level7』でサイエンスライターの添田孝史(そえだ・たかし)は、この時の法廷の様子を詳述している。それによると、今村証言に驚いた東電側弁護士は、その証言に間違いはないかと何度も確認の質問を繰りだした。それにもかかわらず、証言の内容は変わらない。国・東電側が頼りにしていた『土木学会手法』は、当の土木学会関係者によって、津波の予見性をそもそも検討していなかったと暴露されたのだ。この証言通りなら、国・東電の主張は根本から崩れ去ってしまう。

 ところが、この今村証言を東京高裁の裁判長・足立哲は、控訴審判決で一切、考慮しなかった。同じように考慮されなかった証拠は他にもあり、その理由の説明もないまま、日本土木学会の『津波評価技術』は確度の高いものだったと判断したのである。だからこそ、関弁護士は報告集会で怒り、これ以上ないくらい厳しい言葉で批判したのだった。

 裁判官の資質の問題か。

 それとも裁判所が国・東電に忖度したのか。

 いずれにしても、同じような争点と証拠、論理展開でありながら、判決内容が180度も変わってしまうと、被害当事者の原告からすれば、「裁判官も人だからいろいろな判断がある」では済まされないはずだ。

国と東電を一刀両断した高裁裁判長、半年後に辞職


 ここで3つの高裁判決を離れ、全体の様子を把握するため、集団訴訟の判決に関わった裁判長17人の経歴と判決を一覧にしてみた(表参照)。連載の第1回で用いた「エリート度」「冷遇度」を軸にした評価である。評価を担ったのは、裁判所人事を究める明治大学政治経済学部の西川伸一(にしかわ・しんいち)教授だ。『増補改訂版 裁判官幹部人事の研究』(五月書房新社)という著作があり、この分野では第一人者と言ってよい。

 表を見てほしい。「冷遇度」の「判定不能」とは、判決を出した後に人事異動がなく(2021年3月26日現在)、判決と人事の関係を評価できないことを示している。それを除いて西川教授の評価を眺めると、エリート度が最高の「4」だった裁判官のうち、国の責任を認めた人は3人、認めていない人も3人いた。同数である。エリート度「3」の裁判官は同じく1人ずつ。「2」では、国の責任ありが4人、責任なしが3人。これもほぼ同数であり、エリート度「1」も1人ずつだ。つまり、エリートの度合いとは関係なく、国の責任あり・なしの判断は見事なまでに拮抗しているのである。

 判決の中身を個別に見ていこう。

 気になった裁判官の1人は、仙台高裁の裁判長だった上田哲(うえだ・さとし)である。2020年9月30日に『生業訴訟』で国の責任を認める判決を出した半年後、2021年2月末日で依願退官したからだ。

『生業訴訟』は、事故当時に福島県内外に住んでいた避難者ら約3700人が原告になり、国と東電に損害賠償を求めた裁判である。全国の避難者訴訟の中では、原告の数が最も多い。控訴審判決は国の責任を認めただけでなく、一審判決の「国の責任は東電の半分」という中身を変更し、国の責任を「東電と同等」にまで拡大した。集団訴訟では初の高裁判決であり、かつ、国の不作為を明確に批判した意味はかなり大きかった。

 私はその控訴審判決の言い渡しを廷内の傍聴席で聞いた。印象的だったのは、裁判長・上田の言葉遣いだ。原告の避難者らは法律の専門家ではない。それに配慮して、わかりやすい、丁寧な説明で判決の要旨を語っていく。原子力安全・保安院が東電の言い分を「唯々諾々と」受け入れて規制当局としての役割を果たしてこなかったこと、東電が保安院の要請に「40分くらい抵抗」して従わなかったことなどを厳しく批判する言葉もあった。一刀両断という感じで、国・東電の責任を認めたのだ。閉廷後、外に出た原告の中には涙を流す人もいた。

 そうしたことがあった後の依願退官であり、退官を知ったときには「退官を決めていたから厳しい言葉も出てきたのか。やはり、退官覚悟でないと、国に対してあれほどの厳しい判決は出せないのか」という思いが頭に浮かんだ。国を敗訴させるのは、退官間際の裁判官に多いという“都市伝説”そのものではないかと。

 では、その上田の経歴はどんなものだったのか。

 1988年に司法修習40期で裁判官に任官し、多くの期間を最高裁で刑事局付や調査官として務めた。2006年に千葉地裁判事、2012年に名古屋地裁の部総括。東京高裁判事を経て、2019年に仙台高裁の部総括に就任している。このうち、最高裁調査官は最高裁判事の補佐役で、上告申立があった場合などに内容を調べて判事に報告を上げる役割を持つ。最高裁が上告を受理するのかどうかの判断材料を提供するのである。

 調査官の位置付けについては、『原発に挑んだ裁判官』(朝日文庫)の中で元最高裁判事の園部逸夫(そのべ・いつお)が「調査官がいないと、最高裁判決は出てこない。判決をどっちに持っていくかは調査官しだいというくらいです」と記し、その重要性を強調している。最高裁判決の行方は調査官の判断に大きく左右されるのだから、その役職の大きさがわかる。最高裁調査官はエリート中のエリートなのだ。園部はさらに、「日本のように、職業裁判官のエリートコースを歩む調査官が『失敗したら大変だ』と無難にふるまったら、どうしても司法の流れは保守的になりますよ」と述べている。

『生業訴訟』で国を敗訴させた上田は、まさにエリートコースに乗っていた。西川教授によるエリート度の判断も最高位の「4」。冷遇度が「判定不能」になっているは、『生業訴訟』の判決後に退官しており、判決と人事の関係を評価できないからだ。

『生業訴訟』で仙台高裁は「国を敗訴」させた。その仙台高裁前で。「被害救済前進」などの「びろーん」が見える(撮影:木野龍逸)

 エリートの上田はどんな裁判に携わってきたのだろうか。

 過去の判決を検索してみた。TKCローライブラリーの検索画面で『上田哲』と入れると、判決文か、もしくは調査官時代に執筆した報告書など186件がヒットする。そこから『被告国』『代表者法務大臣』のワードで判決を絞り込むと、民事10件と刑事1件が残る。このうち裁判長として処理した裁判は民事の6件で、原告の請求を認め、国側の主張を退けたのは『生業訴訟』、および、死刑確定囚が信書の内容を拘置所の職員に漏らされたとして賠償請求をした事件の2件だけだ。陪席として担当した刑事事件では、帝京大学の内科部長を被告とした薬害エイズ訴訟があるが、結果は無罪で、経歴に影響するようなものではなさそうだ

 エリート街道を順調に歩み、目立つ訴訟も扱っていなかった上田が初めて手がけた大きな裁判が、退官間際の原発避難者による集団訴訟だったことになる。そして、最後に国側を敗訴させた。元最高裁判事の園部は上掲書の中で、エリートによる判決の保守化を懸念しているが、少なくとも上田は裁判官人生の最後、『生業訴訟』の判決において園部の言う保守化に抗ったことになる。

「左遷」パターンと思いきや

 もう1人、集団訴訟の裁判官で気になった人がいる。2021年2月20日に東京高裁で『千葉訴訟』の判決を言い渡した白井幸夫だ。その日の様子は連載第1回で触れた通りである。『千葉訴訟』の一審判決は、国の責任を明確に否定しており、東京高裁で「国敗訴」を言い渡すことはかなり難しいのではないか――。そうした大方の予想を裏切り、白井は国の責任を認める判断を下した。定年まで残り1年余りという時期だった。

 東京高裁の裁判長だった白井は、司法修習36期。1984年に裁判官に任官し、最高裁人事局付(2回)、司法研修所の教官、裁判所職員総合研修所長などを長く務めてきた。いわゆる裁判をしない裁判官だった。その後、2010年に東京地裁部総括になり、在任中の5年4カ月で約190件の裁判を扱っている。最高裁の司法行政部門が長いため、西川教授はエリート度を最高の「4」と評価した。評価時は『千葉訴訟』の判決から間もないこともあって、冷遇度は「判定不能」としていた。

 東京高裁での判決後、私も取材チームのT記者も、そして西川教授も、白井はそのまま定年退官するのだろうと考えていた。ところが、判決からほどなくして白井の新しい人事がニュースとして届いた。首相官邸ホームページの閣議のページに「判事白井幸夫を高等裁判所長官に任命することについて(決定)」が掲出されたのだ。それよると、3月5日の閣議で、白井は名古屋高裁長官になることが正式に決まったという。判事、判事補、それに簡易裁判所の判事と同様、高裁長官も最高裁が指名し、内閣が任命する。高裁長官はそれに加えて、天皇が認証することになっている。

 この異動を知った前出のサイエンスライター添田はTwitterに次のような投稿をした。

「東電と国の責任を認めた東京高裁の白井幸夫裁判長は、5日の閣議で名古屋高裁長官に就任することが決まった。東電原発事故で国を負けさせてもしっかり出世できるので、各地の裁判官は安心して判決を書けますな」

 高裁長官への就任ともなれば、かなり前から人事異動の内示や内々示は出ていたはずである。栄転が決まっていたからこうした判決になったのか、判決の方針が決まった後に栄転が決まったのかはわからないが、「原発事故の訴訟で国を負けさせたら左遷」という単純な“都市伝説”には収まらないケースだ。

原告が控訴審で勝利した『千葉訴訟』の報告集会=2021年2月20日、日比谷コンベンションホール(撮影:木野龍逸)

 高裁長官への栄転が決まった後、改めて白井の異動歴を確認していたら、裁判所人事についてさらに興味深いことが見えた。白井は過去に「裁判所職員総合研修所長」を経験している。西川教授の『増補改訂版 裁判官幹部人事の研究』によれば、白井の前にそのポストに就いた裁判官は6人で、そのうち5人は高裁長官に栄転した。特徴的なのは、5人がいずれも11カ月~1年半という短期間で高裁長官を退官していることだ。しかも全員が、ほぼ初めての勤務地。裁判官になって判事補として初めて赴任した先が高裁長官に就いた場所と同じだった人が2人いるが、初任地から長官まで40年もの間がある。他の3人は初めて行く高裁管内だ。西川教授によれば、東京、大阪以外の高裁長官には名誉職的な意味があるという。東京と大阪の高裁長官は、その先に最高裁判事になる目がある。それに対し、その他の高裁長官のほとんどは、そのポストを最後に退官するからだ。

 西川教授は言う。

「高裁長官は天皇の認証を必要とする認証官なので、名誉度は高くなります。叙勲のランクも高裁部総括などより上になる。それに(長官は)裁判をするわけではないので、実はさほど忙しくないという話を関係者から聞いたことがあります。定年までの期間を考えると名誉職という側面はあるでしょう」

 名古屋高裁長官として白井の前任だった永野厚郎(ながの・あつお)は、2020年5月にそのポストに就いた。在任は11カ月。白井も定年まで約1年なので、名古屋高裁長官の在任も1年前後にしかならないと思われる。失礼な言い方だが、初めての土地で挨拶回りをしているうちに時間が過ぎてしまいそうだ。

 一審判決を覆して国を敗訴させた『千葉訴訟』の東京高裁判決。裁判長・白井の名古屋高裁長官への栄転。そうした一連の出来事と関係がありそうな動きは、その後、思わぬところで出てきた。高裁長官への就任が閣議決定されてからおよそ20日後、場所は福島県いわき市だった。

国を負かしても “栄転”人事のパターンもある?

 2021年3月26日午後、福島地裁いわき支部の前に集まった原告やメディア関係者は、しびれを切らしていた。午後2時の開廷からすでに1時間近く。それなのに結果を知らせる「びろーん」が出てこないからだ。原発関連訴訟で、判決の結果が関係者に告知されるまで、これほどの時間を要することも珍しい。

 この日、私は別件の取材で現地に行くことができず、原告団よるZoom中継を東京で見ていた。午後3時前。ようやく、動きがあった。聞き取りにくいZoomの音声中継から「出てきた」という声が聞こえる。続けて「おー」「わー!」という歓声。ほどなく、「びろーん」がパソコンの画面に映し出された。

「国の責任認める」

「一部勝訴」

「被害救済は前進」

 地裁で国の責任を認めたのは、15件の判決の中、これが8件目だった。原告らに結果を伝えるまで長い時間を要したのは、裁判長が読み上げた判決の内容がわかりにくく、結論が見えるまで時間がかかったためらしい。

 この裁判の名称は『いわき市民訴訟』という。最大の特徴は、原発事故の時に1400人余りの原告全員が避難指示区域外のいわき市に住んでいたことだ。原告側弁護団によれば、避難指示が出ていない地域の住民だけによる裁判はこれしかない。その判決では、国がそれまで示していた指針を超え、被告の国・東電に対し、総額で2億円余りの賠償金を住民側に支払うよう命じた。

 裁判長は司法修習52期の名島亨卓(なじま・ゆきたか)。2018年に福島地裁いわき支部長として赴任し、裁判長を務めてきた。西川教授によるエリート度の評価は「2」。一度、裁判所から外へ出て、法務省で仕事(転官)をしたことがあるためだという。

『いわき市民訴訟』の判決前、弁護団や原告団の予想は悲観的だった。この判決が出る少し前、名島を裁判長とする同じ合議体が出した原発関連訴訟の判決が、いずれも原告にとって最悪の内容だったからだ。1つは2020年11月18日に判決が出た南相馬市の原町区訴訟、もう1つは2021年2月9日に判決が出た川俣町の山木屋訴訟だ。この先例2つは避難指示区域内や、避難指示区域と接する地域に住んでいた住民が原告であり、請求を認めやすい環境にあった。それでも原告の主張を退け、東電の悪質性を否定し、避難に伴う慰謝料は国が定めた賠償基準からの増額を認めなかった。判決後の「びろーん」は2度とも「不当判決」だった。

 2つの判決をかいつまんで言うと、判決理由は次のようになる。

 津波対策について東電が事前に相談した専門家はその必要性を強く認めていなかったから、賠償額を増やすほどの悪質性はない。津波対策を講じていれば事故を防ぐことができたと原告は主張するが、コストを考えて対策を立案することは非常に不合理でもない。工事も大変なので、対策しなかったのは悪質ではない――。

 ここまで東電の責任を否定する判決も珍しかった。このため山木屋訴訟の原告団と弁護団は、抗議声明で裁判所の姿勢を次のように厳しく批判している。

「原発の規制や安全対策を定める原子力関係法令を正しく理解せず、原発の持つ壊滅的危険性と被害の甚大さに照らして原発の稼働には高度な安全性が求められるという認識が一切なく、原子炉という極めて危険な装置の安全対策を行うべき事業者の責任を免責したものであり、到底承服できない」

事故を起こした東京電力福島第一原発=2017年2月(代表撮影)

 実質的に東電を勝たせた2つの訴訟と『いわき市民訴訟』の裁判官は3人とも同じである。だから東電や、ましてや国の責任を認めるとは考えにくかった。そんな予想が見事に外れたのである。先例2件と同じように東電の責任については及び腰の内容だったが、国の責任は明確に認めた。

 判決後の集会で原告団長の伊東達也(いとう・たつや)は「きょうは非常にまずい判決が出る可能性があると(判決前に)言っていた。前言は取り消しだ」と興奮した様子だった。弁護団の弁護士・広田次男(ひろた・つぐお)は「いわき市には何十万人も(住民が)いる。この全員が(賠償を)請求できる状況になる。そのくらいの被害を受けたということを裁判所が認めた。影響はとてつもなく大きいと思う」と言い、避難者にとっていい意味での波及効果が広がるだろうと語った。

 先例2つと『いわき市民訴訟』。

 福島地裁いわき支部を舞台にしたこれら3つの裁判では、津波による原発事故の可能性をどう評価するか、という論点がほぼ同じだった。合議審の顔ぶれも同じだった。それなのに、直近の判決だけがなぜ180度も変わったのか。

 その要因の1つではないかと思われるのは、仙台高裁に続いて、原告を逆転勝訴させた東京高裁判決の影響である。しかも東京高裁で判決を出した裁判長は「国を敗訴」させた後もエリート街道をさらに進み、名古屋高裁長官に栄転した。裁判所では人事異動の内示は2カ月以上前に出ると言われている。東京高裁判決の内容がいつ定まったのかは不明だが、裁判所内の人間ならこの栄転人事を一定程度前に予想できた可能性もなくはない。いずれにしろ、「国を敗訴」させた高裁裁判長がエリートコースを外れなかった事実は、下級審や他の高裁にとって心強い“援軍”になったのではないだろうか。

裁判官の「人生観」

『いわき市民訴訟』の判決後、現役裁判官に取材することができた。テーマは「判決とその後に人事異動」。匿名が取材に応じる条件だった。

 新型コロナウイルスの感染は相変わらず収束の気配が見えていない。それでも、1都3県の緊急事態宣言は解除され、対面取材の忌避感はわずかに薄らいできた。そうしたさなかの取材である。ターミナル駅間近のホテルの一室。濃い目のブラウンをふんだんにあしらった、落ち着いた部屋で向き合った。50代の男性裁判官。明るい調子でざっくばらんだ。

――福島地裁いわき支部の『いわき市民訴訟』では、それまでの同種の裁判において、事前に津波対策をしなかったことは著しく不合理ではないなどとして東電の責任を過小に評価していた裁判長が、一転して、各地裁でも判断が分かれていた国の責任を認めました。いわき支部での変化を同じ裁判官としてどう見ていますか。

「判決を読んでいないのでご指摘の変化があるのかわからないのと、裁判中の事件でもあるので、一般論として聞いてください。原発事故の集団訴訟は(控訴審での)高裁の判断が出るまで、地裁では7対6でした。国の責任を認めたものが1つ多いだけです。それを考えると、(仙台と東京の)高裁での上田さん、白井さんの判決は一定の重みがあると思います」

――やっぱり、裁判官も上見ている、と?

「上を見ると言うよりも、裁判官は、同種の事件が他にあれば、先に出た判決を読むのです。その判決に従うということではなく、どういう判断をしたのか参考にするためです。だから裁判の中で、判決文を証拠として出してもらうこともあります。前例があれば同じような尋問の繰り返しも避けられますから。それに古い判例なら解説も出ているので、長い文章を読まなくてもポイントがわかりますしね。もちろん、その判決に対する適切な反論があれば、(自らが指揮する訴訟の中で)やってもらうこともできます。(一般論としても)上級審の裁判長が出した判決であれば、内容の面でも、地裁の裁判官には一定程度、『なるほど』と思う部分があると思います」

福島地裁。ここでも原発関連訴訟が争われてきた(撮影:木野龍逸)

 この匿名裁判官の語る通りだとすれば、なおさら疑問がある。

 原発事故の集団訴訟で国の責任を認めるかどうかの判断が、なぜ、ちょうど五分五分になっているのか。つまり、なぜ真っ向から対立するように二分されているのか。とくに高裁では、前述したように同じような証拠が出ていながら、判断は真逆になっている。

「裁判官によって証拠や事実関係の評価の違いはあると思います。同じ証拠であっても、例えば経済発展を重視するかどうかで判断は異なるかもしれません。裁判官それぞれで見方は違います。その人の人生観、社会観が判決に微妙に影響するんです。もちろん裁判官はそうしたことに影響されない客観的な判断を目指してはいますが、判断が分かれる問題では何を見てきたのか、何を経験してきたのかは大きいと思います」

 それはその通りだと思った。記者も同じようなもので、自分の経験した範囲内のことには感性が鋭くなるし、関心がないことには鈍くなる。何が大事かを理解する力にも違いが出てくる。人間、万能ではない。「人生観」という外から見えない裁判官の人生や特性によって、厳格であるべき法解釈が大きく変わっていいのかとも思うが、現実の判決内容を考えると腑に落ちるのも事実なのである。

 そうだすると、「どの裁判官が担当になるか」という入口が極めて重要になる。裁判所では新たな提訴があると、機械的に各部に回していく「配点」と言われる方法で事件を割り振っている。だから原告は、まずこの「配点」でいい裁判官に当たるよう祈るのが勝訴への第一関門ということになる。それなら、神頼みと変わらないではないか。

 匿名裁判官は「裁判官はそれほど愚かではありません」と反論した。

「合議体での裁判なら裁判官は3人います。そのうちの誰か1人にでも響けば、それが一番若い左陪席であっても(判決の方針が)変わることはあります。裁判官はそれほど愚かではありません」

 では響かせるためにはどうすればいいのか。匿名裁判官は「そこは、代理人や弁護団の力量もあるし、やり方次第だと思う」と言う。

「訴訟では、主張の説得力と証拠はもちろん、当事者や証人の尋問が大事です。どうすれば裁判官に響くような証言ができるか、やり方次第だと思います。大げさでなく、とつとつと話しても、事実は胸を打ちます。諦めてはいけないと思います」

 人間、諦めが肝心という言葉と、諦めなければ道が開けるという言葉のどちらを信じればいいのか。わらにもすがる思いで裁判所に訴え出る人々にとって、これほど曖昧模糊ことしたものはあるまい。ただ、背景に何があったにせよ、福島地裁いわき支部では同じ裁判官の判断が大きく振れ、判断が変わることはあり得ることを事実で見せつけた。匿名裁判官の言葉を幅広に捉えると、ある裁判で国側敗訴を言い渡した裁判長が順当に出世していけば、その判決の趣旨は後に続く裁判官にも相当程度の影響を与えそうだ。もちろん、原告にとっては逆の効果、つまり「国に有利・原告に不利」な判決が続く可能性もあることになる。ただ、匿名裁判官は「それは一番やってはいけないことで、自分で判断することが最も重要なのです」と強調した。

 原発事故の集団訴訟に関しては、国を敗訴させたからと言って必ずしも不遇な人事をされるわけではなく、約3000人の裁判官にとっては最高裁判事に次ぐポスト・高裁長官に就く例も現実には出てきた。それを考えると、「国敗訴=左遷」という都市伝説は、やっぱり、都市伝説ということになる……? しかし、話はこれで終わらない。原発事故の集団訴訟よりもさらに国家政策の根幹に関わる、原発の差し止め訴訟が残っている。その判決と人事の関係をひもとくと、どうなるか。次回は、差し止め判決に関わった裁判官の経歴や訴訟の位置付けをたっぷりと検証していく。

(本文中、一部の敬称を省略させていただきました)

つづく