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東京都中央区

スローリー余話
街の”なりたち”#1

これまで取材した「街の”なりたち”」について「スローリー余話」として綴ります。東京の下町は関東大震災後の区画整理や郵便配達を容易にするための法律(1962年)によって、江戸や明治の時代から続いた由緒ある、そして風情ある”街”の名前が消えました。例えば銀座の木挽町や日本橋人形町の芳町などの住所表記はなくなってしまったのです。しかしそんな歴史ある街には当時から続く美味しいものや伝統技術が今も健在です。

弊誌では2023年10月発売号「銀座洋食天国」や「築地本願寺とその門前町」

そして2024年3月発売号「日本橋・人形町料理名店手引き」

などの特集で『東京都中央区』の江戸から続く老舗の大店や名店そして飲食店などを紹介してきました。ちなみに銀座や築地、日本橋や人形町の行政区である『中央区』は1948(昭和23)年に日本橋区と京橋区が合併して誕生しました。つまり以前は「日本橋区室町」だったり「京橋区銀座」だったりした訳です。

築地の京橋区役所

昭和5年頃の京橋区役所(写真提供:中央区立京橋図書館)
現在は中央区役所があるところ

人形町の日本橋区役所

昭和5年頃の日本橋区役所(写真提供:中央区立京橋図書館)
現在は日本橋蛎殻町の「中央区日本橋特別出張所」

1980(昭和55)年発行の『中央区30年史』によると当時の新聞で合併後の名称に関するアンケート調査が行われ

「江戸区」や「大江戸区」

など江戸や明治の歴史や面影を感じさせる候補もありそれなりの人気だったようです。「スローリー余話・街の”なりたち”」は、老舗が今も続く町名の由来や街の”なりたち”とともに「東京Slowly²」で取材した”美味しいもの”や”粋なもの”を紹介するnote版の編集企画としてはじめたいと思います。