人がいて、ストーリーがある。その逆じゃない。
この記事読んでよかった。ストーリーをつくったり伝える仕事をしている人は必見だと思う。
ストーリーは人をひきつける。それは間違いない。だからといって、
「都合の良い部分だけを切り取ったり、継ぎ接ぎしたりして、テレビ局側が言いたいことを僕らに言わせるような番組構成になっていたこともあった。(中略) “あ、僕は素材だもんね”と感じた。そういう酷い扱いに疲れちゃった、もう加担したくないと思った」。
ストーリーありきでこのような乱暴で無神経で思いやりも愛もない報道がおこなわれていいわけがない。
人がいて、ストーリーがある。その逆ではないのだから。
記事を読んでいて、ふとオリンピックのことが浮かんだ。近年のオリンピックは「スポーツでつながろう」や「感動をありがとう」的な、選手や競技と関係のないストーリーが手前に来ているように感じ、どうも気持ちが悪い。
やっている選手に非はまったくない。彼らは走りたい、泳ぎたい、勝ちたい、その一心だろう。選手から離れたところにストーリーを仕込みたくてしょうがない人たちがいる。よかれと思ってやっているのか、無意識の悪意が潜んでいるのか、色々だろうけど。観客を楽しませることに目が行き過ぎて、選手や競技が置いてけぼりということは、ある。
走る。泳ぐ。戦う。それでじゅうぶんじゃないか。あとは観客が勝手に感動するなり絆を感じればいい。それを最初から仕込もうとしないでほしい。
椎名林檎は「開会式はただ入場行進すればいいのでは」と提案したというが、すごくいいと思う。オリンピックは地球規模の大運動会である。核は選手と競技だ。派手な演出や大そうなメッセージなど周辺の盛り上げはこれまではあってよかったかもしれないが、コロナのいまはそういうことじゃない気がする。本質があればいい。本質しか欲しくない。お祭りの賑やかしやきらびやかな装飾は、世界がまたイケイケに戻ったときに思いっきりやればいい。それを楽しみにしている人がいるのは理解できる。
自分も気をつけないといけない。過去にこんな記事を書いたくらいストーリーが好きだ。ストーリーを知るのも好きだし、つくるのも好きだ。気がつくとストーリーを探している。ストーリーマニアだ。
だからこそ、ストーリーが主役でなく、人が主役なんだという至極当たり前のことをいつも忘れないでいたいと思う。そして、あらゆるストーリーはその主人公をハッピーにするものでなければいけないと思うのだ。
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