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木登りの魔力

こんにちは。フィンランドで森の研究・仕事をしています、Ryo(@Slowland)です。

木を登ったことがある人なら共感してもらえると信じていますが、

「木登り」には異常なまでの高揚感があります。

木の上から地上を眺めるとき、

特別感、背徳感、非日常感の類が一気に湧き上がると同時に、

諦念に至ったような、何か一歩引いた目線をも体感することになります。

あの感じは何なのだろう。

木の上で考えてみました。

登ること以外の障壁が沢山あるから特別

木登り自体はそこまで難しくないのに「木登り」はめちゃめちゃ難しい。

第一に都市化が進んだ今日、多くの人が住んでいるエリアではまあ「木登り」ができない。

もっとも大きな障壁と言えるのが「人の目」だろう。

これだけ文明化した世界で、そんな野生的な行いをすることにはリスクしかない。

ベッドタウン以上に発展した街ともなると、

人の目を避けて大人が登れる木を見つけるのは至難の業。

第二に、怪我を恐れるということがある。

子供なら人の目なんて気にせず登れる、という訳でもない。

小さい時は「危ない」と親に止められるかもしれない。

人によっては小学生の段階ですでに分別が付いて、

心理的に前述の「大人」の仲間入りをするのかもしれない。

また、多くの木が人の身長以上の高さから枝分かれしているから、

最適な木を見つけるのが難しいという問題もある。

自由な木登りチャンスは一定レベル以上の田舎じゃないと、

圧倒的に不足している。

わかりやすい成功体験になる

樹種や形に依るものの、ある程度の高さまで登るには、

それなりに力がいるし、集中力も必要。

落ちたら怪我するヒリヒリ感は非日常体験だ。

枝分かれがちゃんとした木であれば、

建物の3階くらいの高さには安全にいける。

階段もエレベーターも使ってないのに、そこそこの見晴らし。

人工物以外でその高さまで上がる機会など他にないから、

上から周りを見渡すと、不思議な感覚に陥ることになる。

「自分で到達した感」がものすごくあるのだ。

距離や高さは面白いもので、わかりやすく達成感に直結する。

例えるなら、登山して山頂で味わうあの気持ちを極めて短時間で得られる。

本当に「自然と一体化」する

「自然と一体化する」という表現がありますが、

確かにそういった感覚ってあると思います。

木に久しぶりに登ってみると、痛烈にその感覚を味わいました。

文字通り、木の視点で辺りの風景を見ることになるので、

自分自身が木の一部になったかのような感覚を得ます。

文字に起こすと大袈裟に聞こえてしまいそうですが、木の上にいると、

「人間が室内で寝てる間も、気温−20℃だろうとこの木はここにいるのか」とか、

「この大きさだったら、控えめに言って40年はこの場所にいるな」

とか、壮大な事がリアリティを伴って感じられてくるのです。

自然に溶け込み、そこへ思いを馳せると、心が浄化されていきます。

普段自分の頭の中で練り上げられる悩みのちっぽけさを思い知り、

自然の偉大さに後押しされたように元気が湧いてきました。




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