見出し画像

本の紹介『学校で命を落とすということ』

『学校で命を落とすということ』
安達 和美著 あっぷる出版社 1500円+税

 中学生、高校生の自殺のニュースを聞くたびに、いたたまれなくなる。日本の中高生の自殺は、海外に比べて多い。その多くは学校に原因がある。
 この本の著者も息子を自殺でなくしている。中学2年生の時であり、学校での不適切な指導が原因だった。著者は18年前を冷静に振り返り、思いを素直に語りかける。学校で子どもが自殺するなんて、あってはならないと誰もが思う。しかし現実は、子どもの自殺は続く。著者は、優しい言葉ですら子どもを傷つけてしまう、と言う。

 息子の雄太は、突然自殺した。著者は現因がわからず、学校で何があったのかを追求した。その結果、不適切な指導があったことがわかった。事件発生後、第三者委員会が設置されたり、子どもが悩みを相談できる外部機関の設置がされたりといった変化があった。しかし、表面的な取り組みでは解決につながらない。事件を受けて形の上では変化が生まれても、関係者の考え方が変わらなければ事件は再発する。この本を読めば、古い体質を引きづる学校関係者の体質が透けて見えてくる。

 典型的な例をいくつか挙げよう。
 校長は、親に報告するよりも記者会見を重視し、事件の翌日に「指導は適切だった」と公言している。
 PTA会長は、緊急保護者会で「指導のあり方について疑問はない」と発言している。
 スクールカウンセラーは、事件から約2週間後の保護者会で「雄大くんは以前から死にたいと悩んでいた」と発言した。
 長崎市教育委員会は、事件や事故ではなく、悩みの多い思春期の「自殺」だと報告している。

 クラス担任、学年主任、校長、スクールカウンセラー、PTA、教育委員会といった学校関係者が、自身の属する組織の都合で物事を決める。学校や教育委員会は事件を大きくしたくない。PTAは、残された学生が早く普通に生活できるようにしてほしいと言うが、ホンネは、ものごとを大げさにしたくないのである。
 スクールカウンセラーも、学校という顧客から頼まれたことだけを無難にこなす。弁護士でさえも自身の実績に繋がらない仕事は引き受けない。子どもの教育より自分の利益優先、原因究明よりも無難にけりをつける。再発防止よりも何事もなかったように忘れ去る。こうした隠蔽体質だから学校での自殺が無くならないのだろう。

 学校とは何を行う場所なのか。当然、教育である。教育基本法の第一条では、教育を以下のように定義している。

 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

文部科学省「教育基本法」(https://x.gd/ijpud)

 つまり、教育を通して平和で民主的な社会を形成することができる人に育むこととしている。これが教育を行う学校に課されている使命である。
 では、親に報告もせずに記者会見を開いたことや、親や本人から話を聞いたことのないスクールカウンセラーが、雄大くんが自殺願望を持っていたと発言したことは、教育という観点から適切であったのか。
 不適切であっただろう。強いものが自分たちの都合で物事を決め、弱い者の話は無視する。これは明らかに教育基本法の精神に反する。 
 教育に携わる人間は、自分の都合ではなく、子どもの話をしっかり聞きながら教育するべきだろう。この本はこうしたことを気づかせてくれる。

 著者は、学校は子どもの教育が中心ではなく、組織の都合で物事が決まるところだと気付いた。しかし、息子に起きたエピソードや著者の批判が中心で、何が課題なのか、どうすれば教育を取り戻せるのか、についての独自の提言や主張は見られない。
 頭の固い大人たちを変えるのは難しい。だから、そんな大人に振り回されるのではなく、教育改革は、当事者である子どもたちに中心を定め考えるのである。
 特に著者は息子の事件を通じて、優しい言葉ですら子どもを傷つけてしまうことを知ったのだから、子どもに必須の教育課題として、傷つけられても乗り越えられる強さ、と言って欲しかった。

WA

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?