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主催者の自己紹介記事の準備 #1

「ゆっくり本を読む会」がどんな会なのか、紹介記事を書くためにまずは主催者の自己紹介を書いく。この記事は自己紹介記事の準備編である。

名もなきぼくをどんな人間か知ってもらうにはどうすればよいのかちょっと考えみた。知らない人がどんな仕事をしていて、どこに住んでいて、、、みたいな自己紹介よりもやっぱり、どんな作品が好きで、ここがとても良い!と熱く書いている方がぼく自身興味がでるし、好きな作品で人となりがわかるような気がする。

なので、自己紹介として好きな作品とどこが好きなのか書いていく。

ただ書いていてちょっと膨大になりそうなので、何回かに分けてゆっくり書いていく。以下が自己紹介として書こうと思っている内容である。

  • 海外文学

  • 日本文学

  • 批評・評論

  • SF

  • その他の本

  • 漫画

  • アニメ

  • 映画

  • その他作品(ドラマなど)

  • 好きな言葉

とりあえず今回は好きな海外文学から紹介していく。

ドストエフスキー『悪霊』

ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』よりも『罪と罰』よりも『悪霊』派。キャラクターの造形、物語の破綻具合、すべてがたまらない。特に好きな人物は自殺をすることによって神を乗り越えようとするキリーロフと、ただただ世の中に混乱をもたらしたいだけのピョートルの二人だ。どちらも過激思想の持ち主である。

ドストエフスキーの魅力の一つに過剰な語り口にある。キリーロフは静かに自身の思想を語るイメージだが、ピョートルは熱をおび過剰に自身の思想について語る。そのシーンに身震いするほど狂気を感じ、それが快感になってくる。

通しで3回ぐらい読んでいるが、読めば読むほど謎が深まる作品である。

セリーヌ『夜の果てへの旅』

原書が第一次世界大戦直後に出版されたこともあり、当初反戦小説として受け入れられたらしい。が、この小説のポテンシャルは反戦という言葉からイメージされる善的なメッセージにはない。戦争だけでなく、全てのものに反する小説である。主人公バミュダルの認識ではいくら進化しようが人間とはウジ虫にしかすぎず、どこまで行っても世界は「くらい、きたない、くさい」ところでしかない。

主人公は戦場、アフリカの植民地、フォードの工場など色々なところへ旅をするが、どこへ行っても、これでもかというぐらい世界への呪詛の言葉を吐く。

なので、この小説は単純な反戦小説ではない。しかし、むしろ反戦はこのレベルまでいかないと成り立たないのでは、と思わせる。ほとんどの人間は戦争が好きではないが、どんな人間も信じている正義と悪のもとで行動している。その限りにおいて他者と永遠に闘争し続けるしかない。
人間を否定し、捨てさる境地までいかないと、結局戦争したがる人たちと変わらないのではないか。

ヌルい正義を叫んでいる人に送りつけて読ませたい小説ナンバーワンである。

フランツ・カフカ『火夫』

カフカを読んでいると「一体これは何なんだろう?何を読んでいるのだろう?」という不思議な気持ちになってくることがある。特にこの『火夫』はそれを強く感じる。
『火夫』という作品は長編『失踪者(アメリカ)』の序章に当たる作品である。冒頭、16才の主人公は女中とのあいだに子供ができたため、両親によってアメリカにやられてしまう。
当時アメリカがどういったイメージであったかわからないが、夢をおいかけアメリカに行ったのとは程遠く、主人公は不本意ながらアメリカに追いやられてしまったのだ。

まさにこの冒頭がこの作品を表している。登場人物たちは目的を持って行動するが、その目的がどんどん蒸発していき消え去っていく。

『城』とどちらにしようか迷ったが、『城』は空虚であるが城という中心があるのに対し、『火夫』はわずかな中心性すらも拒否していく。
一体カフカはどんな気持ちで、『火夫』を書いたのだろう?

ハーマン・メルヴィル『バートルビー』

現行のシステムを変えたいどんな革命家だってシステムの恩恵を受けているし、システムの内部で革命を起こさざるおえない。また、孫悟空がお釈迦様の手のひらから逃れられないように、革命を起こし外部へ行ったつもりが、システムに取り込まれてしまうことがある。

ハーマン・メルヴィルの『バートルビー』を読むと、本当の革命を起こす人は何にもしない人間ではないかと思える。それも、「断固として何もしない!」というストライキ的な拒否ではなく、「わたくしは、しないほうがいいと思うのですが(I would prefer not to.)」というゆるい拒否がシステムを凍らせ、瓦解させる。

構造主義的に考えると、われわれの行動はすべて構造の中に組み込まれており、自由意志は存在しないことになる。だとしたら、何かをすることよりも、何もしないほうがはるかに自由の可能性があるのではと、そう思わせる作品である。

訳はどれが良いかはわからないが、読むとしたら、ジョルジュ・アガンベンの批評がついてきている『バートルビー―偶然性について』をおすすめする。

続きはまた次回!


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