6/9 「書く会」で書いていただいた作品
「書く会」で書いていただいた作品について希望の方のみ公開しています。
また、ぼくの感想も載せています。
匿名希望さんの作品
主催者の感想
この作品を読んで、「人がわかるってどういうことだろう」と考えました。
人と互いにわかりあっている瞬間というのはどういう状態なのか、もし本当は人はわかり合うことができないとしたら、なぜぼくらはわかり合っていると思ってしまうのか、などです。
引用にもある通り、人と関わるときーー人だけではなくモノや事柄もそうですがーー「この人のことがわかる」や「あれ、この人のことがわからなくなってきた」というのは瞬間瞬間によって変わります。ある一瞬だけを切り取り、永続的に保持することはできない。しかし、そうと分かっていても、ぼくらはその素晴らしい一瞬を保持しようとして、保持したものと現実との齟齬に苛まれてしまうことがあります。友達でも恋人でも夫婦でも関係性は日々変化していきます。
「わかる」⇒「もしかしてわからないかも」に至るのはどの状態なのでしょうか。作品の中にある「君の考えに靄がかかっているような」という言葉がそれを象徴しています。もともと晴れていた状態だったのが、ふいに靄が相手を見えにくくすることがある。「靄」はその方がいるような気がするが、その方を形づくる枠がぼんやりとしていて、つかめないものとしてあります。
これは君の言葉が形式的なものか、本音かどちらかわからない状態だと思います。もし、最初から完全にわからない状態であれば「壁」というイメージになるような気がします。その方に至ることがないので。
ぼくたちは本音だけでは生きていけません。社会に属するには形式的な言葉を必要とします。その場合、言語は情報になります。しかし、しんどいときに必要な言葉は本音でなければ伝わりません。
ぼくは「生きている言葉」と「情報」であれば、「生きている言葉」を書きたい。改めてそう考えさせる作品でした。
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