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私のギャルはスウェットにサンダルで真冬を歩く

「動きにくい服を着て、きちんと着飾らないと、女の子は街に出てきてはいけませんよ」という圧力に対抗して、ギャルは「気合いの入った格好をしない」という方法で戦闘力を高めていたのかもしれない。心地いい格好をしても街に勝てるということを証明したかったのかもしれない。
(はらだ有彩『百女百様 街で見かけた女性たち』より)


私のギャルは雪さえ降らなければ、いや、たとえ雪が降ろうともユニクロの上下黒スウェットにおざなりにマフラーを縛り、裸足に便所サンダルをつっかけて、息を白くさせながら私の家へやってきた。私のギャルはギャル度を上げていくにつれ、時間を守らなくなった。私のギャルは何の予定もない昼間に唐突に私をカラオケに呼び出し、「うちらオール明けで二人とも寝るとやばいと思ってちーちゃん呼んだの」と何食わぬ顔で言った。もう一人のギャルもまた上下スウェット姿で、個室の長椅子に横たわって爆睡していた。

私のギャルは、何も外見が変わらない私を隣に置きながら、小学生から中学生へと移る時間の中で、ギャルへと羽化していった。




美千花はそもそもギャルではなかった。小学2年生で出会い、5年生で初めて同じクラスになったとき、美千花は全くギャルではなかった。
美千花の外見は冴えなかった。妙に浮いているところがあるのと、妙に気が強いときがあるのとで、美千花はずっと男子からいじめられていて、女子からもなんとなく除け者にされていた。

同じクラスになり、その美千花が私に接近してきたときは、困ったことになったと思った。しかも美千花は私を目の敵として接近してきたのだった。目の敵であるなら遠ざけておけばいいのに、美千花は毎日遠慮なく私に近づいてきて「気取ってる」だの「その服ヘン」だの、しまいには「絶対私の方が可愛いんだから」とまで言うのだった。しかも彼女はわざわざ家に電話までかけてきて同じことを言った。そんなことを言ってるから嫌われるんじゃないのか。

けれど私は腹を立てながらもそのうち呆れが怒りを追い越して、まとわりつかれるのも気にならなくなった。そしてなぜか、私と美千花は一周回ってめちゃくちゃに仲良くなった。美千花は毎日のように私の家に遊びに来て、私の母が揃えていたプレステのバイオハザードシリーズを全てクリアした。私はもっぱら、隣に座って攻略本片手に彼女の道案内をしていた。美千花は私の家が好きだった。適度な広さがあって、適度に片付いていて、適度に新築だった私の家が好きだった。



中学生になり、私は一度美千花を裏切ったことがある。愛想を尽かしたという表現でもいい。
中学生になっても美千花は変わらず浮いていて、じきに女子たちからのハブの対象になっていった。私は彼女に何度も大人しくしていろと言った。そうすればそのうち皆のシカトの対象は移ろっていくはずだからと。それでも美千花は私は行動する、誰がリーダーになっているのか突き止めると言った。私は美千花のその気の強さ、意固地さが理解できなかった。そんなことをして意味があるとは、私には全く思えなかったのだ。

だったら勝手にしたらいい。私は美千花に手を差し伸べることをやめた。学校でも、学校を出てからも、美千花と口を聞かない日が続いた。私、何かした? と聞かれても、私は何も答えなかった。私は一度、美千花を裏切ったのだった。

けれど美千花はまた私のもとに戻ってきて、私もまた美千花を受け入れた。これという明確な何かが起きたわけでもなく、私たちはまたふたりになった。私はごめんねとも言わず、美千花はいいよとも言わず。



中学2年生になった。私と美千花は変わらずクラスは別れていた。夏休みの半ば、美千花はふらりと私の家にやってきた。どこか所在無げな様子で。
私は、今日の美千花は静かだな程度にしか思っていなかった。美千花が私の家にやってきたのがまあまあ久しぶりだったことにも気づいていなかった。

私と美千花はお茶を飲んでお菓子を食べて、しばらくとりとめのない話をした。途切れがちな会話、どちらかが話の端を拾い上げて、思い出したようにまた続く細い細い会話だった。

そして美千花はトイレに立ち、戻ってきておもむろに切り出した。
彼氏ができたんだと。その彼氏とはかなり歳が離れていて、もう何度も、彼と寝たんだと。

突然の告白に、私は言葉も見つからず、ただ、ああ、そう、なんだ、みたいな、会話を途切れさせないことだけに注意して、曖昧な返事をした。けれど私はどこかで、いずれ美千花は「そっち」に行くのだろうと自分でも気づかないところで予感していたのだろう、私は言葉を見つけることはできなかったが、驚いてはいなかった。

私がそこまで大げさな反応を見せなかったことに安心したのか、美千花は彼と自分がどのようにして出会ったのか、どんな経緯で付き合うに至ったのかを堰を切ったように話し始めた。正直自分が彼のことを好きなのかどうかまだよく分かっていないということも、14歳で早々に初体験を済ませてしまったことへの言いようもない罪悪感も、洗いざらい、私に打ち明けた。しまいには私たちの町にいくつか存在しているラブホテルがそれぞれどんな雰囲気で、どんな内装をしているのかも教えてくれた。

「ちーちゃんは絶対このホテルが気に入ると思う」
知らねえよ。行かねえよ。



そして美千花はひとしきり話し終えて、ぽつりと言った。
「でも、何がどうってわけじゃないけど、初めてエッチしたとき、私はもう絶対大丈夫なんだって思った」





美千花は大丈夫になった。大丈夫になった美千花は、みるみる変わっていった。外見も、話し方も、人間関係も。それまで美千花を遠ざけていた女子たちの中に美千花は入っていった。もう美千花をいじめる人間は誰もいなかったし、何より美千花には自分を大丈夫にしてくれた彼氏がいた。

そして美千花はギャルになった。休日になればユニクロで買ったスウェットの上下に便所サンダルを履き、ママチャリで私の家にやってきた。「そんな格好で来たの?!」と驚くのもじきに驚き疲れるのでやめた。家からどこかへ出かけるにしても躊躇いなくスウェットで行こうとするので、きちんと服を選ぶ私の方がバカみたいだった。スウェット姿の美千花の隣を歩くのにもだんだんと慣れた。スウェット姿の美千花ときちんと私服を着た私のプリクラが何枚も残されていった。


つまり、私が何となく「着心地がいい=油断している」と思い込んでいたスウェットは、むしろ勝負服、というかチームの勝利に貢献するための服だったということになる。着心地や動きやすさなどの機能は、身体の邪魔をせず、最高のパフォーマンスを発揮するための武器だったのだ。盛れていないどころか、勝利によって最高にイケている状態になるための服だったのだ。
(はらだ有彩『百女百様 街で見かけた女性たち』より)


そういえばあのときは、美千花に限らず同世代の町のギャルはだいたいスウェット姿でゲーセンやカラオケを歩いていた。




まあまあ勉強ができた私と全く勉強ができなかった美千花は当然のように別の高校に進学したが、それでも関係は途切れなかった。簡単には会えなくなった分、メールをして、電話をした。

ずっと私が美千花を支えているようでいて、助けられていたのはずっと私の方だった。高校生の私は美千花とやり取りすることでバランスを取っていた。来る日も来る日も勉強ばかりの、テストの点数がそのまま生徒としての価値になるような環境にいて、私は美千花がいなかったら、きっと押しつぶされていた。全く違う価値観とルールの世界で生きている美千花の存在を感じることができなければ、私はきっと、押しつぶされていたのだ。美千花は私の天秤の、常に片方に乗っていてくれた。ここだけが、今、この目に見えている世界だけが世界すべてではないのだと、美千花の在り方すべてが私に示してくれていたのだ。私が毎日の勉強に明け暮れている間も美千花はギャルだった。家の近所のスーパーでバイトして、ギャルの仲間とオールして、男は入れ替わり立ち替わり、美千花はどこまでも美千花だった。14歳にして全部が大丈夫になった美千花はどこまでも自由だった。勉強はできなかったけれど、YUKIとCHARAと椎名林檎と岩井俊二を愛した美千花だった。その美千花に、私は演劇部で抱えていた書きかけの脚本を持って何度も相談しに行った。思えば私が演劇部で脚本を書き続けられたのは、半分以上が美千花のおかげだった。



そんな美千花とも、成人式後の同窓会以降、一度も会っていない。連絡先も気づけばわからなくなってしまった。
美千花については共通の友人からこうなった、ああなった、と数パターンの近況を聞いたが、どれもが本当のようにも思えたし、噂に過ぎないもののようにも思えた。私は今の美千花のことを何も知らない。どこでどうやって生きているのかも、誰と一緒にいるのかも、そもそも、生きているかどうかも。そして、よしんば再会できたとしても、10代の頃に存在していた強固な繋がりがまだ私たちの間を横たわっているとも限らない。

随分遠くまで来た。それでも毎年、7月17日には美千花の誕生日を思い出す。私も美千花も、もう30歳だ。





「(件名なし)
 私には自分の意見がないんだ。人の意見が全部本当に思えてくる」
「Re:
 じゃあちいちゃんはさ、カップルが別れるのは何でだと思う?」
「Re: Re:
 お互い好きでいようとする意思が足りないせいでしょ」
「Re: Re: Re:
 それがちいちゃんの意見でしょ。私はね、いろんな摩擦のせいだと思うのね。ずっと転がっていられるボールはないでしょ。摩擦で、いつか絶対止まってしまうでしょ。物理で習ったよ」
「Re: Re: Re: Re:
 わからん」
「Re: Re: Re: Re: Re:
 だからー、ちいちゃんは意思の力ってゆったでしょ、私は摩擦のせいってゆったでしょ。違ったでしょ。ちいちゃんにはちいちゃんの意見があったでしょ。だから大丈夫だよ」


美千花の理論が詰め込まれた私のガラケーは、スピーカーが壊れて買い換えてしまった。私の携帯はその後も機種変を繰り返し、美千花の痕跡は10年をかけて私のデジタル世界から消えた。あとは忘れていくに任せるばかりの、10代だった私と美千花。


私のギャルは、雪さえ降らなければ、いや、たとえ雪が降ろうともユニクロの上下黒スウェットにおざなりにマフラーを縛り、裸足に便所サンダルをつっかけて、息を白くさせながら私の家へやってきた。私が毎日の勉強に明け暮れている間も私のギャルはどこまでも自由にギャルだった。勉強はできなかったけれど、YUKIとCHARAと椎名林檎と岩井俊二を愛したギャルだった。

夏に生まれた私のギャルを思い出すとき、そこにいるのはいつも上下スウェット姿の真冬の彼女。






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