愛より深い海 deeper than love
日本海側の小さな町には町を飲み込むほどの大きな海があり、穏やかな春の日には蜃気楼という幻を見せてくれたりするものの、常に海は鳴り響き、海鳥は落ち着きなく海面を飛び交い、波に打たれた石たちは全てまるく削り落とされ、波が引くたびにがらがらと音を立てる。反対側の立山連峰から昇ってくる太陽はこの海へと落ちてきて、遠く、遠くに赤い火種を、蝋燭の火のような赤い火種を揺らめかせながら、太陽は海に溶け、海は太陽を飲み込み、光源がいなくなってしまった空を毎日悼む。どれだけ天高く昇った太陽であろうとも、時間が来れば必ず、私の町の海を求めるように、緩やかに落ちてきて、互いに手を伸ばしあうように、手を取り合うように、抱き合うように溶け合って、水平線の境界を揺らめかせて、毎日静かに、息を引き取っていく。太陽と抱き合い飲み込んだ海は、残り火を残す世界に、変わらぬ波音を響かせる。弔いの波音。
私の生まれた町には海がある。私は、波音響く小さな町で、人間よりも、町よりも、山よりも、大きな海が佇む町で生まれ、18歳までを育った。
海にも種類がある。観光地になるような海、それは青く透き通っていて、眩しい砂浜を持っていて、そしてゆっくりと深くなっていく、もしくは遠浅の海。埋立地を作れそうな海、それは波も穏やかで、あまり天気に左右されない海。そしてこの町の海。基本的に荒波。遊泳禁止。防波堤のすぐ向こうはコンクリートもしくは砂利。そして捨てられ打ち上げられた、見渡す限りのゴミ、ゴミ、ゴミ。青色というよりは、濁った質の悪い翡翠のような色。波打ち際の向こう側にはテトラポッドの群れ。羽根を休めるカモメたち。遠く、遠くに浮かぶ漁船と運がよければ蜃気楼。(世界中探しても数か所でしか見られないとかどうとか、この町は精一杯自慢しているけれど正直僕はまだ一度も見たことがない)
海水浴に出向くような海ではなく、生活の一部としての、当たり前になってしまった海。
それでも、家を出て細い道を下り、突き当たりで開けた視界と目の前の水平線と、全身を突き刺してくるような波の音には今でも一瞬足が竦んでしまう。
海はいつもそこにある。ゴミを食おうと、鳥を食おうと、人を食おうと、食ったことすら気づかないような広大さで海はいつもそこにある。
ただ、そこにある。
(『ミニチュアガーデン・イン・ブルー』)
海はただそこにある。そこにあって人間を顧みることはない。人間が生きていることも、町が営まれていることも、きっと何にも興味がないままで、毎夜落ちてくる太陽だけを待ち、そこにある。
私は家を出ておよそ20分ほどを歩き、水平線と波音だけにそぎ落とされた世界に行く。私の町は海道をランニングコースに整備していて、そこを歩けばジョギング中の人たちと何度もすれ違う。誰もが目を、耳を、海と波音でいっぱいに満たして、走っていく。私はその背中たちを目を細めて見送る。私は堤防の上に座り込み、吹き寄せる風に帽子を押さえて、真正面から海と向き合う。打ち寄せる白い波を見ている。透明な波の下で揺れている石たちを見ている。テトラポッドの上で羽を休め、海面に脚をつけながら飛ぶ海鳥たちを見ている。水平線のほど近くに佇んでいる小さな漁船の影を見ている。蜃気楼を、いつも探している。
海は私に気づかない。堤防に一人座り込んでじっと自分を見ている小さな人間に思いを馳せることはない。私の視線は海面に反射して、揉まれて、揺らめいて、消えてしまう。
それでも私は、私の町の海を訪れずにはいられない。私の存在を、きっと私の生涯ずっと認識することのない私の町の海を。
*
私の生まれた町は富山県の東側にあり、その富山県と新潟県のちょうど県境にある海は親不知と呼ばれている。
切り立った絶壁に打ち付ける海で、かつての旅人はその崖にしがみつきながら、荒波に体を濡らして、死を間近に感じながらその海を通行していたという。母は子を顧みる余裕がなく、子は母を顧みる余裕がないことから「親不知」という名前がついた海だ。
かつての道路工事においても、この海は北陸道最大の難所だと呼ばれていた。この絶壁に道を通すということ。少なくない人が命を落としながら、道を通した歴史があるということ。
この海には「親知らず子知らず」という合唱曲がある。父のもとへ、この海を通って帰ろうとする母子がこの親不知の波に飲まれて命を落としてしまう嘆きを歌った曲だ。
荒磯の岩かげに
苔むした地蔵が
かすむ沖をじっと見つめている
子を呼ぶ母の叫びが聞こえぬか
母を呼ぶ子のすすり泣きが聞こえぬか
悲しき人を
さらに悲しみで追いうちするを
人生というか
悲劇に向かっていどむ喜劇の運命を
神はにくむか…
(「親知らず子知らず」)
荒波で人を食い荒らし、幾多の命を海に沈め、今なお絶壁に打ち付ける海は悲しみに満ちている。悲しみと怒りが降り積もり、波がまたそれを飲み込んでいく。ここに人の、あらゆる感情は積もらない。全ては親不知とまで名付けられた海の波が飲み込んでいく。ここに人はいない。人は、海を前にして圧倒的に無力だ。
けれどそれは私の町の海と、根源的に何も変わることがない。親不知の海も私の町の海もひとつながりの、同じ海だ。人を人とも思わない、ただそこに、圧倒的にそこにある、人のあらゆるものが及ばない深い深い海だ。
*
海について語るとき、海について私の中にあるものを心から取り出そうとするとき、それはとても困難だ。私の意識に常にある故郷の海を思うという行為を語ることはとても困難だ。
海への感情を、あらゆる言葉を使って表そうとするとき、結局は、私は愛そのものを見に行っているのかもしれないと思う。海は愛よりも深い。愛よりも深い海は、それは、愛そのものなのだ。
家を出て30分歩き、防波堤の上に座り込んで私の町の海を眺めるとき、沈みゆく太陽を待つ親不知の海岸に立つとき、私の中には何もないと感じる。私の感情は、観念は、この精神に宿るそばから打ち寄せる波がそれを持って行ってしまう。海岸の石をさらっていくように、かつて絶壁を渡ろうとする旅人をさらっていったように、海岸に佇む私に手を伸ばし、私の肉体を貫いて感情だけを静かにさらっていく。
海を前にして私は、空っぽになる。中には何もない、ただの肉体になる。目と耳だけが眼前の海を捉えて後には何も残らない、がらんどうの身体になる。
見えるのは海だけ、聞こえるのは波音だけ。それだけの、がらんどうの私。
海への感情を、様々な形で足元に残してきた。私の生まれた町にあの海がなかったなら、私は私の10代を海への詩作に向かわせなかっただろうし、20代を20万字の小説に捧げることはなかっただろうし、同郷の友人とともに楽曲を作ることもなかっただろう。私の創作の原点には私の町の海があり、それは今も変わらない。今も脳裏に浮かぶ新しいイメージは、あの海の町に生きる少女たちだ。
海は全ての源だというのはあまりに手垢のついた言葉と思いながら、私は30代になっても、故郷の海を思わずにはいられない。空っぽの私を、私をがらんどうにさせるあの海を、それがなくては私は私を保っていられなかったかもしれないと思うほどのあの海を、私は。
どこにいても、この先私がどこに移ろうことになっても、私は荷物に海を入れていく。
私が死んだら遺灰を海に撒いて欲しいというのはあまりに感傷的でロマンチシズムに溺れたださい願望かもしれない。それでも私は、いつか私が死んだとき、たった一欠片の骨でいい、私の町の海へ投げ入れてくれたらそれを最期の、そして心底の幸いと思う。
「万物は流転する、って、言うじゃん」
陸が言った。
「倫理?」
「そう。ヘラクレイトス」
「万物の根源は、火」
「それも、ヘラクレイトス」
そこで陸は立ち止まり、今まさに水平線へ足をつけようとしている太陽を指さした。
「太陽ってことだよね、それは」
僕と陸は、そこで太陽が沈みゆくさまをじっと見ていた。眩しさと遠く離れていてもわかる熱さに目が焼けていく。太陽と僕たちは見つめ合ったまま、太陽だけがゆっくりと海に迎えられていく。
「今日の太陽と、明日の太陽は違うんだね、きっと」
毎日、違う太陽の下で生きていた。
だけど海だけは、と僕は思う。この海だけは、昨日も今日も、そして明日もずっとこの海だと思うのだ。波の様子が違っても、凪いでも、荒れても、この海だけは、この町の海だけは、ただこの町の海だけはここにある。
だから、別に悲しくはないのかと思った。太陽が沈んで気温が下がり、この命の温度が冷えて行っても、四季の巡りに身体を置いても、
この海が全部を持って行ってくれる。
世界の中で陸と出会った。偶然、出会っただけだ。そして、当たり前のように愛しただけだ。過ごしただけだ。世界は流転し、その中で、ただ生まれて、出会っただけだ。
海とともにありながら。
(『はばたく魚と海の果て』)
ゆれる列車 頬杖の窓に 雨が流れる
まなざしの先 水平線
耳に残る きみの波音
今なお響く きみの音楽
(「birthday」)
*