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春、月光の隙間を煌めいて生涯忘れ得ぬ夜

神戸の冬はコンバースで歩ける。
冬とはすなわち曇天であり、雨であり、雪であった。そんな冬しか知らなかった私にとって、神戸に移り住んで初めての新しい冬には驚きを通り越してえも言われぬ喜びがあった。
こんなにぴんと張り詰めた空気、雲ひとつない青空、春夏秋と何も変わらない足元、水浸しがどうして起こり得るだろう! 故郷のコンバースは冬になると封印された、だけど神戸は、冬になってもコンバースを許してくれる!


けれど、じきに私は神戸の冬の厳しさを知る。六甲山から吹き降りてくる風は強く、冷たく、それでいてひどく乾いていた。乾いた空気はすれ違いざまに頰を刺し、目が眩み、何よりこの両手、指先から温度を奪い過剰なまでに乾燥させていくのだった。
私の手は常に乾いた皮膚が粉となって白み、罅の入った荒涼たる地面のようで、常に乾いた氷に触れているかのごとく、冷たくて、痛かった。
「地元の冬はもっと寒いやろう、雪国なんやから」
あの水浸しの冬を知らぬ友人たちは口々に言った。私は曖昧に首を振り、「冬にも種類がある」とだけ答える。
どちらも紛れなき冬だった。故郷の冬は循環する空気に人間を閉じ込めスノウ・ドームのように守ってくれた。神戸の冬は拡散し、人間の体を突き刺していく。神戸の冬はきっと生物が嫌いなのだろう。
神戸に移り住んで初めての冬、私は毛糸の手袋をもらった。


神戸はいきなり雪が降る。突き抜ける快晴の下を歩くとき、ふと視界にちらつく煌めきがある。
雪と言うにはあまりに細かい、むしろ氷の塵と表すのが良いかもしれない。それが前触れなく、唐突に、快晴の世界に舞い散ることがある。塵は陽光にぶつかり視界一面で瞬き、ものの数分で消滅する。
何千倍にも拡大された光の粒子そのものが可視化されるいっとき、真昼の星屑。
これもまたあるひとつの冬。



神戸に来て最初の夏から秋、そして冬は倦怠のうちに過ぎた。
演劇に打ち込みながらも、気だるく、無意識のうちに憂鬱であり、恋愛に心身を振り回されいつもくたびれて、体は痩せ、昼を疎んで夜を好んだ。
大学に向かっても、目に入る顔ぶれ、顔ぶれは一様に没個性的であり、自分もまたその没個性の一部であると構内のあらゆる物陰から指をさされているようで居心地が悪く、教室からは足が遠のき、講義に出席する頻度も日に日に減った。
私はあの時、幽霊だった。幽霊のように生活をしていた。
男の部屋で一日の大半を過ごし、たまに大学へ行き、講義のほとんどの時間を寝て、またふらりといなくなる。演劇のために集団に属していても、結局どこにいても、そのあり方は幽霊だったように思う。



下り坂の途中にある別の男の部屋は常に鍵が開いていて、私は家主がいないその部屋をたまに訪れて勝手に昼寝した。とにかくあらゆる家事をしない男であって、台所に沈められた食器は永遠に引き揚げられることはなく、床には埃が散りばめられて、ビールやチューハイの空き缶が常に転がっていた。あの部屋の、ものが腐る手前の饐えた匂いを今でも思い出すことがある。


下り坂の男は夏休みを終えてすぐに「自主休講」に突入し、私と彼は幽霊になった。
日が落ちると幽霊たちは坂を下り、学生向けに乱立した定食屋やラーメン屋を渡り歩き、駅前のドトールで何時間も話し込み、日付が変わる頃にカラオケに向かう。
夜を好む幽霊は、眠りを拒否し夜を引き延ばす魔法をかける。6時間後には確実に解けてしまう魔法を飽きもせず、信じもせず。


ジョークは笑うのが礼儀さ
呆れるなよ 笑ってよ
聞き飽きてるとしても

男が歌うthe pillowsの当時の新曲が私のお気に入りであったことを、彼が知っていたかはわからない。のちに私のことを好きだと言ったその男の声は美しく、それでいて汚く乾いており、なのに歌手の歌い癖を繊細に理解し、しかし決して真似ではない、人に聴かせるための声だった。男の歌声は毎日のように私のそばにあり、あの時の私を囲むどんな歌手のそれよりも、私は彼の声を好み、愛していたように思う。the pillows、Syrup16g、RADWIMPSの音楽は、今も彼の歌声で私の中を鳴る。

思ったより遠くまで来た


気だるく、無意識のうちに憂鬱であった私はごく自然の流れで幽霊となり、私がかつていかなる人間であったかを忘れつつあった。

故郷に生きていた18年間、拠り所としていたものは体から滲み出て霧散していった。
私がかつてどんな人間であったかを、何を好み、何を書いてきたのかを、美しい声の男についぞ話すことはなかった。
話さないことでさらに忘れていった。身も心も限りなく幽霊であることを、私は認め、そうであるなら仕方ないと、無意識の憂鬱をさらに深めた。今や私は憂鬱が実態を持った見事な幽霊だった。私は何者でもなかった。

前ばかりを見てたから
キミの顔忘れたけど




2010年3月31日 水曜日 未だ真冬の空気


演劇の海に潜っているあいだは、一日はとても短くて長い。
次の日には4月だというのに今年の神戸は未だ寒く、こんな日になっても私は真冬用のファーコートを脱ぐことができない。
それでも、寒さの中にもふと暖かい日差しを感じることがあったのか、それとも木の中にも時間感覚があったのか、学生会館へと向かう階段の一段め横に一本だけ植わっている立派な桜の木は徐々に開花し始めていた。こんなに寒いのに桜は咲くんだねと、階段を登るたびに演劇の仲間と話した。
桜は、日に日に、咲いていく。春が近いと桜が語る。


春は近づき、姿を見せ始めているのに、私はどうしてもその訪れを祝福することができないでいる。
私は不安の只中にいて、背中に劣等感を背負い、怯えの詰まった部活着で、日毎軋んでいく体をどうすることもできないまま必死に今日を生きて、明日へと眠り、また今日へ目を覚ます。
思えば最初から自分には無理なことだったと、毎日の練習の中で私は私への絶望を深めていく。
できると思っていたことははるか遠く、もしかしたらと掴んだものは悴んだ指先の間をすり抜けて、どこへ向かうのか、足はまだ動くのか、私の声は届くのか、全てが霧に包まれたようで私には同じ舞台に立つ仲間の顔すらよく見えない。


自分の役まで走っていけるほどの力がない。
「彼女」は私を待っていて、私の目がないと彼女はこの世界を見ることがなく、私の耳がないと彼女は誰の声も聞こえず、私の声がないと彼女はたとえ2時間の命であろうと生涯を全うできない。
私が、きちんと立っていなければならないというのに、4月を目前にして私の体は限界だった。
彼女のことを考える、彼女の声を落とし込む、彼女を体に写し取る自分の力を信じられない。
彼女もまた霧の中にいて、私は、決して孤独を感じてはならぬはずの、決して心を閉ざしてはならぬはずの演劇の世界で、ひとり、たったひとりだと、足元が沈み込んでいくのをどうすることもできないでいる。
彼女の考えていることがわからない。彼女がどうしたいのか推し量ってやることができない。体よりも先に頭が考えてしまうからますます体は動かないのだ。この、笑えるほどに使いものにならない体。
本番が迫る。乗った船からは降りられない。けれどこんな私にこれ以上、演劇を続ける資格などあるのだろうか。



夢の夜は、夢のようにやってくる。
午後10時、稽古部屋の鍵を閉めて学生会館を出る私たちはいつも最後の学生たち。
入り口の引き戸を開けた途端に吹き込んでくる真冬にも劣らぬ冷たい風に、私の指はコートの袖に潜り込む。次の日には4月だというのに今年の神戸は未だにこんなに寒い夜。
しかし今夜は、この夜は、それが夜というのに明るかった。
外に出た仲間たちから順番に歓声が聞こえてくる。寒さと孤独に俯いていた私にもその歓声は届き、ごく自然に顔を上げる。
外に出た仲間たちは、一様に空を見上げていた。
私もまた一様に空を見上げた。

星屑がこの地上に降っていた。その星屑を照らしているのは遥か高くから世界を包み込む満月。星屑は頰に当たり、その冷たさで雪だと知る。神戸の街がいきなり降らす、満天の氷の粒だった。

雪だ、と、満月だ、が、同時に空へと打ち上げられる。
桜はその下で、満開に咲き誇っていたのだ。



すごい、夢みたい、めっちゃ綺麗、あーでも写メはうまく撮れん、えー何これ、やばい、ほんまに綺麗。ねえ、綺麗やねえ「    」


あの時、振り返って私を呼んだのは誰だっただろう。誰が私の名前を呼んでくれたのだろう。
思い出せないのは、私が、私の中で、鳴り響く音に夢中で聴き入っていたからだ。仲間たちの、先輩たちの歓声、かすかに響く雪の擦れ、桜の花擦れ、すべてすべてが音楽となって。



すべては、この夜に溶けた。
練習のうちに傷ついた言葉も、トレーニングに締め上げられた体の痛みだるさも、寒さに震えながら装置を作る真っ赤になった両手の痛みも、色鉛筆を握りしめ光のイメージをひたすら描きつけていたノートの中の乱れも、頭の中を閃きわたる音響のきっかけも、私たちの3月31日は、すべてはこの夜、この瞬間が包括して夢の中にまるく包まれる。


(咲き誇る桜に積もりゆく)
(星屑みたいな雪)
(それらを照らす)
(この満天)


おお、すげえな。少し遅れて外に出てきた、愛する声の男が私の隣に来て言った。
その声を聞いて、私に鳴り響いていた音楽がさらに体内で大きくなったようなで、男がいつも歌っていた音楽もまた不意に私の中に流れ込んでくるのを感じる。

千年後の雨になって
僕らは降るだろう
太陽とも解り合って
虹を出せるかな


これは千年後の雨。いつか砂と消えた人たちが空まで届いてようやく千年後、今このとき、降った雨。私のもとに、確かに降ってきた雨。千年をかけて、もっと美しく形を変えて、ようやくここまで帰ってきた。開け放たれて二度と戻れることのない神戸の大気に、今、戻ってきた誰かがいる。


踏み外した崖っ淵でも
手を掴んでくれた
雨上がりに見た幻を
今も覚えてる


二度と幽霊から戻れることはないだろうと思っていた私に、何者でもなかった私に、3月31日は突然にやってきて問うた。
おまえは誰で、どこから来て、これから、どこに歩いていくのかと。


足跡の無い道を選んで
ずいぶん歩いたな
荒野の果て 何処かにきっと
足跡残ってる


それだけが
生きた証


書くだろう。私はこれを書くだろう。
これが舞台で実現する瞬間を、心の限りに夢を見て、体すべてで願うだろう、祈るだろう。そのときは男が歌った音楽たちが、私を助けてくれるのだろう。私はこれから、この夜のために、あらゆるイメージを求め、集め、生み出そうとするだろう。


書くだろう。私はきっと書くだろう。世界に一度きりの雪月花の夜を。私の生涯に一度きりの、このすばらしい夜のことを。


雨上がりに見た幻 / the pillows

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