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早稲田ちえが私を作った、あとは一緒に灰になるだけ

早稲田ちえの漫画はもはや私の血を成し肉を成し、あとは死んだら一緒に燃やしてもらって同じ灰になるだけだ。


私は早稲田ちえの漫画の一部になりたい。私は早稲田ちえの表現する激情の一部を成したい。私はあの激情そのものになりたい。そのためには、私が死んだときには一緒に燃やしてもらう他ない。同じ灰になりたい。だから死ぬまで、これから何度引っ越しを経験しても、どんな災害に見舞われても、失くそうとも、絶対にどこかでも買い直すし、死ぬときまで私の本棚に彼女の漫画を仕舞い続けるし、私の死に立ち会う人には絶対に言っておかなくてはならない「背表紙に早稲田ちえの名前が入った漫画は全て棺桶に入れてくれ」と。
瑞々しい菊の花なんて要らない。花が邪魔をするくらいなら最初から花なんて要らない。
花なら漫画の中にある。早稲田ちえが描いた満開の桜、咲き乱れ紙面いっぱいに花びらを散らす桜がそこにある。花ならそこにある。何も心配しなくていい。


作家、早稲田ちえ

早稲田ちえという漫画家について、2020年時点で知っている人というのもあまり居ないかと思うので、なかよしKCコミックスの「作者の素顔」欄を引用しておく。

3月11日、うお座生まれ。AB型。神奈川県出身。1987年、第5回なかよし新人まんが賞入選の『北風と太陽と』で、「なかよしデラックス」(1988年お正月号)よりデビュー。
代表作は『高慢チキ子ちゃん』『バージン・ショック』『NERVOUS VENUS』など。
趣味は、おいしいものを食べること、ねること、友だちとの楽しいおしゃべり。


彼女の描く絵柄の特徴は、とにかく線が細い。全て丸ペン1本で仕上げているのではないかと思うほど、全ての線が平等に細い。そして人物もまた男女問わず、誰も彼も病的なほどに細い。一切の肉を削ぎ落とした、直接骨の硬さに触れられるような、同時に指先を切りつけられそうな鋭さがある。骨へと直に触れながら、氷点下の刃に切り刻まれながらでしか、彼女の絵柄には触れられない。
なかでも私が彼女の描く絵で最も好きなパーツは手だ。標本のように細くて長い指。それが絡まるときの、不思議な艶かしさ。


私はこの漫画たちと一緒に死にたいとずっと想っている。
一緒に死んでしまいたい漫画をふたつ選んで書いてみたいと思う。


NERVOUS VENUS 


水泳の強豪、かつ高偏差値の高校に進学した関谷ハルと関央司の暴力的な恋愛の物語である。
暴力的というのは、確かに「手を上げる」描写はいくつかあるもののそういう直接的なことではなくて、ハルとセキの感情のやり取りそのものが暴力的なのだ。
互いに土足で入り込み、踏み荒らし、抵抗し、逆上する。セキがハルに好きだとでかい声で言うたびに、ハルの心はズタズタに傷ついていく。


ハルにはかつて好きだった同級生がいた。その同級生は彼女の14歳の誕生日を目前にして、自動車事故で死んだ。本当は互いに好きだった。互いに告白しなかっただけで、ずっと両思いだった。
自分がこんなに彼を好きなことを、彼は何一つ知らないままに死んでしまった。
二度と会えない。もう言えない。伝えるすべは永遠に失われてしまった。
彼女の心は一度砕けた。砕けて、元どおりになった。14歳だった心を復元して、自ら時間を止めた。もうここに変化は要らないと、時間の止まった心を抱えて高校生になった。


笑いがあって みんな仲よし
部活も最高
毎日 めちゃくちゃ面白い
変化はいらない
二度と誰にも侵入させない


入学した高校で出会ったのが関央司だった。入学式に遅刻してやってきた彼は、体育館裏で一人タバコを吸って泣いていたハルに一目惚れする。
それからは清々しいまでに直球に、人目もはばからず、場所も選ばず、セキはハルに好きだと言いまくる。彼女を手に入れるためなら何だってする。泳げないくせに水泳部にも入る。ピアスなんかつけてチャラチャラしてるやつとか嫌いと言われたら、何の躊躇いもなく嵌めていたピアスを窓から放り投げる。


セキにはかつて好きだった女性がいた。その女性は自分の兄の婚約者だった。
学校での成績が悪いセキの家庭教師を頼まれた彼女は、彼の答案を一目見て、彼がわざと頭悪く振舞っているだけであることを見抜く。
セキは頭がよかった。運動神経も抜群だった。そして何より彼はとても美しかった。
彼は子供の頃から大人に褒められて育った。何でもできる子として、綺麗な子として、どこにいても、何をしても褒められた。
褒められる子でいることに、セキ本人が飽きてしまった。
そこに現れた兄の婚約者は、そんな彼の態度を見抜き、「カッコつけるのは好きな子の前だけにしなさいよ」と持論を展開する。今まで一人も出会ったことのないタイプの彼女に、14歳のセキは惹かれていく。
それでも兄の婚約者である以上、彼女がすでに妊娠している以上、そして何より、彼女が兄を心から愛している以上、セキに打つ手はない。
それが彼にとっての初めての挫折の経験だった。欲しいものは何でも手に入れてきた彼が初めて手に入れられなかったのが彼女だった。


だめなのに「好きだ」という
この気持ちはどうしたら消えるのか
誰が教えてくれるのか
教えろよ
お前ら教えてみろよ
ガキの頃からほめられた
チヤホヤされた
無関心なフリをして
おれは
おれは
何でも手に入ると思ってた


その彼女からもらったのが、真っ赤なルビーのピアスの片方だった。「もし今、央司くんが26歳でも あたしは亨が好きだから」と彼女から告げられた上で、彼はピアスを受け取った。
彼はそのピアスを1年半、片時も外さなかった。このピアスを教師から四の五の言わせないため、成績の学年トップを死守して卒業した。
そして入学した高校で、彼はハルに出会った。



しかし私が『NERVOUS VENUS』を好きなのは、そのスピンオフたちの物語の豊かさにある。
というのもハルとセキの恋愛がなかなか、ひとつも進展しないからなのだが、彼らを取り巻く脇役の一人一人にも早稲田ちえはきちんと物語を与える。敏腕マネージャーであるひーちゃんには弟の友達である年下の彼氏がいるし、セキの兄である友也にもかつて子供じみた、それでも眩しい逃避行の記憶があった。セキといつも一緒にいる神田夏葵にもかつて名前のつけられない関係の、大事な友人がいた。ちなみにこの神田夏葵(通称:神ちゃん)は個人的にはアロマンティック(もしくはクォイロマンティック)でありアセクシャルなキャラクターだと思っている。


『NERVOUS VENUS』の世界にいる高校生たちは、激情にあふれている。それしか伝える手段を知らないかのように、大声で、小細工もなく、好きだと叫ぶ。自分の激情に振り回されて傷ついて血を流しながら、彼らは生きている。
彼らの青春は出血している。誰も彼もの血が混じり合った、真っ赤な青春なのだ。



純情事情 −春と修羅−


英語を一切話すことができないハーフの高校生、新庄マリアは道端で外国人に道を尋ねられ窮地に陥っているところを小林敬司に助けられ、一瞬で恋に落ちる。偶然にも小林敬司は新庄一家が越してきた家の隣に住んでいた。
何とか彼とお近づきになろうと、持ち前の明るさと行動力で小林敬司に接近を試みるマリアだが、彼からは相手にもされない日々。しかし根負けした敬司は自分には好きな奴がいると告げる。
その人の名前は「シノブ」。


この作品も実はスピンオフである。本編である『純情事情』は小林敬司が中学生だった時の、そして主人公もまた小林敬司ではない、卒業式を目前にした藤村ちはると葛西恣伸の物語だ。
藤村ちはるはずっと葛西恣伸に恋をしていて、しかしその葛西は告白されると決して断らないタイプであって、彼女が入れ替わり立ち替わり、気づけばちはるは3年間で16回失恋してしまっていた。
それでも彼女は、そんな葛西だからこそ、自分は「友達」のままでいい、「友達」という関係であれば振られることもなくずっと隣にいられると自分を納得させて、卒業の日を待つ。
しかし卒業式直前に、葛西がまた新しい彼女と別れたという話を聞かされて、思わず彼女は逆上する。逆上して、初めて葛西を怒らせてしまう。
けれど葛西もまた戻った教室で、同級生の小林敬司に目を覚させられる。


つきあう女なんかだれでもよかったくせによ
どれでも同じって思ってたくせに
アレじゃねえならどーでもよかったくせに
なんかいってほしくていちーち報告してたろ
そーゆー自覚ゼロのバカ一途なトコ見つけてから
おれ おまえのこと
すげぇ好きだったぞ


かくして、卒業式の日に藤村ちはると葛西恣伸は付き合うことになる。



『春と修羅』はその小林敬司の物語である。
彼が一途に想い続けていたのは同級生の葛西恣伸だった。それを知ったマリアは彼にかける言葉を見つけることができない。同性を好きになったこともない自分に彼の気持ちなど理解できるはずもない、また、よしんば自分にその経験があったところで、「小林敬司」に「新庄マリア」の気持ちは役に立たない。


互いに袋小路に陥るふたりに、季節外れの桜が狂い咲く。


最近付き合いが悪くなった敬司のことを心配して、葛西は屋上に一人佇んでいる彼のもとを訪れる。そこで葛西は先日の同窓会でのいざこざについて謝り、自分は人の気持ちに鈍いところがあるからと弁解する。
それを聞いた敬司はごく自然に、彼にキスをする。
2ページ丸々使って、早稲田ちえは彼らのキスシーンを丁寧に描いたのだ。
キスのあと、どうあっても自分の気持ちは葛西には伝わらないのだと納得した(「もぉいーよ じょうだんだよ おまえ藤村大好きだからな」)敬司は屋上を後にしようとする。
その背中に葛西は叫ぶ。


おれは あしたもおまえにあいさつするからな!
あしたもあさっても その先も ガンガンあいさつするからな!
こんなんでかってに離れていくなよ!?
わかったな!!



この読み切りが掲載されたのは2000年なかよし増刊号はるやすみランドであり、当時私は9歳だった。9歳の私には、この葛西の発言の意図がわからなかった。
けれど今ならわかる。あいさつをするということは、その人とのつながりを保とうとする、その日一日を、その人と関わろうとする、最も原始的な意思表示なのだ。
葛西はあしたもあさってもおまえにあいさつし続けると言った。葛西はこれからも敬司との関係が続いていくことを望んだ。それを伝えた、彼なりの表現で。
葛西の叫びに、敬司は、自分が今までどれだけ彼を好きだったか、どれだけひたすらに、彼だけを想っていたかを知る。彼の、そういうところが好きだったのだと、深く、気づいてしまう。
認めなければならないその瞬間の痛みは計り知れない。


以前自分がいない隙に、腕時計の裏面にマリアが勝手に自分の携帯番号を彫った。


うちがこまってたとき 助けてくれたやんか?
いつでもドコでも恩返しにいきまスで!!(笑)
ツライときには なぐさめてもさしあげーる!


敬司はぼろぼろと泣きながら電話ボックスに駆け込み、その番号を呼び出す。


いますぐこいよッ すぐこいよ! なぐさめてくれんだろ!!



約束どおりにマリアはチャリをぶっ飛ばし、敬司のもとに参上する。自分の体など指一本まであんたのもの、好きにしてええと彼女は平然と言う。
敬司は彼女の肩を借り、静かに泣く。それは今でも、息を呑むほどに美しい画面だ。彼らのやり取りも含め、こんなに美しい画面を、私は他の漫画で見たことはない。

あんた 男前やねんから
女なんかドーカドカ利用したったらええねん 許されるで?(笑)
そんで うちのことは時間かけて ゆっくり好きになってくれればええねん
十年たって
二十年たって
死にぎわでも ええねん


二人の頭上を、季節外れの桜が狂い咲く。



9歳の私は、この二人が「付き合う」という関係にならずに物語が終わってしまったことに驚きを禁じ得なかった。これから二人がどうなっていくのか、マリアは本当に、死にぎわまで彼を待つことができるのか、敬司はマリアのことを好きになってくれるのか、だれにもわからない。この物語が「ハッピーエンド」なのかすらも、わからない。
それでも私は今に至るまで、この物語が頭に焼き付いて離れない。ボロボロになるまではるやすみランドを何度も読み返し、はるやすみランドが資源回収に出されたあとは単行本を買い、その単行本を人に貸してそのまま借りパクされたのでまた買い直し、いくつもの引っ越しを経て一度も実家に送り返したことはない。
『春と修羅』ほど心臓に直に、この物語に出会ってしまったという痕跡を、焼き付けられた作品はない。



だから私は一緒に灰になりたい

早稲田ちえはロックで、型破りな作家だ。読者の平均年齢層が小学生、それも低学年〜中学年程度のなかよし、しかも「はるやすみランド」なんておめでたい名前の増刊号にこの、100ページもある(そう100ページ、しかもスピンオフの方が長いのだ)まごうことなきBL漫画をぶっこんでくるような、破天荒な作家なのだ。
私は早稲田ちえ以外にそんな漫画家を知らない。この先もきっと知らない。早稲田ちえは私にとって唯一無二の、生涯焦がれ続けることも厭わない作家だ。
私は彼女の描く激情の形に恋をしている。ずっと恋をしている。

『春と修羅』は私の中にあった少女漫画のイメージを覆し、私に大きな焦げ跡を残し、『NERVOUS VENUS』はその後の私の作品づくりや考え方に大きな影響を及ぼした。
私は彼女の描く激情を、どうしても手に入れたいと思う。彼女が紙面に叩きつけてくるその激情の形を、どうしても、この手でも表現してみたいと思う。
私は彼女の激情の温度に一度心を溶かされて、それ以来、ずっと恋をしているのだと思う。



だから私は彼女の漫画と一緒に死にたい。
死んで一緒に燃えたい。同じ灰になって、彼女が紙の中に閉じ込めた激情と私の体とがひとつになったらいい。同じ灰になって初めて、私は彼女の描いた激情の形を正確に捉えることができるのだろう。だから私は、死ぬなら彼女の漫画と一緒がいい。

早稲田ちえは私の思春期を土足で踏み荒らし、消えようもない跡を残した。私の10代は彼女の漫画とともにあった。彼女が土足で踏み荒らした地面を踏み固めて私は育った。彼女は私を作った。あとは一緒に灰になるだけだ。私は今でも、いつまでも、彼女の漫画に恋をしている。今の彼女の生活がどうであれ、もう一生漫画は描かないと宣言されたとしても、それが一体どうした。そんなことはもうとっくにどうでもいい。私は彼女が残した漫画に恋をして、あとは一緒に燃やしてくれればそれで充分なのだ。


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