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きみはギフト(Du hast ein Gift.)

 デスクに戻り、小ぶりのポーチを足元のカバンに仕舞い、顔を上げるとパソコンの端がぴかぴかと光っていた。椅子に座り直してクリックして、出てきた内容に私は思わず机に頬杖をつく。できるだけ何も思わないようにして、そのままかちかちとクリックを続けた。斜め前からざーっと音がしはじめる。私の机は紙が積み上がりすぎていて、少し顔を上げただけではプリンタの様子がわからない。ざーっという音が一定の長さで何度か区切られて、その音をなんとなく数えて立ち上がろうとすると、一瞬早く向かいの席に座っていた男の人がぱっと立ち上がってすたすたプリンタへ歩み寄っていった。あっ、と思う間もなく彼は書類を数枚持って戻ってきて、中身を確認して変な顔をしている。東さん、と呼んで顔を上げた彼に私は紙の塔の隙間から手を伸ばした。「そのリスト、わたしです」
「ああ」東さんはもう一度手元に目を落とした。「ごめんごめん」
 差し出されたリストにお礼を言って受け取り、手を引っ込めようとしたところで肘と塔の頂上が衝突した。私の方へ傾いてきた塔に「おおお」と慌てて東さんが手を伸ばす。塔は寸でのところで崩壊を免れ、私のパソコン周りは守られた。
「すみません、すごい反射神経いいですね」
「北野さん、そろそろ片付けの時期じゃない」
「だと思います」
「不思議だな。ギフト枠で入ってくる人ってやたら紙溜め込むんだよなあ。そういう特性って別にないよね? ギフトの人って」
「ないですよ。そこはほんと、たまたまなんだと思います」
「はは、うちの事務所の方がそういうギフトの人を呼び寄せてるんだな」
 かもしれないですね、と軽く返すと「でもマジで片付けはしてな」と軽く説教されてしまった。
 それから東さんはデスクに手をついて、少しだけ身を乗り出してきた。興味津々な目が見ているのは私の手元、延々と分けられた格子の表の、そのまたひとつひとつにびっしりはめ込まれた無数の人間の名前と数字。
「今年もそんな時期か。北野さんのいちばん忙しい時期だね」
 そういうことを、東さんから言われてしまうと私は名前のつかない不思議で複雑な気持ちになる。そうですねえと肩を竦めた。彼は「大変だね。まあ、頑張って」と無責任な答えで、それからすぐに私から見えなくなった。私が机の両端に積み上げた紙の塔と、パソコンと、そしてデスクの間の低い仕切りによって腰を下ろした東さんの体は隠されたのだった。
 私はため息とともに肩を落とす。力が抜けて、背もたれに背中がぶつかる。ごく自然に太腿あたりに落ちた両手が持つリストを見下ろした。上から順に数えていって、だいたい五十人。だいたい、去年と同じくらい。
 そのまま顔を上げて、パソコンの画面を見た。課長のメールが開きっぱなしになっている。この人はまたCCに係長を入れ忘れている。
 出張の申請をしなければ、と私は思う。とりあえず朝から晩まで、ひとりあたり三十分、それで一日十人に会うとしたら必要なのは五日間。土日も出なきゃならないかしら、休日出勤承認おりるかしら。何を着て行けばいいかしら。この黒縁プラスチックフレームのメガネは幼く見えるしなめられてしまうかもしれない。ということはコンタクト。ああ、また目は乾くしごろごろする。目を使う仕事なのに。そんな一日が連続する。来週から。
 私は背もたれから体を起こした。とりあえず、出張の申請をしなければ。

 玄関に立つとすぐにカレーの匂いが漂ってきて、靴を脱いで居間へ出ると祝がソファで爆睡していた。
 わざと音を立ててカバンを置いても起きる気配がなかったので、私はそのままキッチンへ向かった。使った道具は何ひとつ片づけられておらず、まな板も野菜の芯も平等にほったらかされている。IHヒーターの上に置かれたルクルーゼの鍋は蓋が閉まっていなくて、覗き込むと顔にふわりと湯気がかかった。くもるメガネを取ってもう一度覗き込むと、一口では食べられなさそうな大きさのじゃがいもやにんじんがごろごろ漂っているのが見えた。
とりあえずボウルに水を張ってそこにまな板と包丁を突っ込み、散らかった野菜の芯は大きなものだけ適当に拾って捨てた。キッチンのカウンターから様子を見ても彼女はやっぱり身じろぎもせず爆睡していたので、私は諦めて居間へ戻ることにした。
きっとあのカレーを作り終えて、ソファで休憩しているうちに爆睡してしまったのだろう。
「い、わ、い、さーん」
 かがみこんで頬を叩くと、五回目くらいで彼女は案外すっと目を覚ました。
「あら。ま、つ、り、さーん」
 彼女が私を呼ぶ。
「ただいま」
「おかえり」
 祝は寝転がったまま一度ぐーんと大きく伸びて、両足を大きく振り上げて勢いよく起き上がった。真っ黒の長い髪は、そんなにぼさぼさにはなっていなかった。彼女はそのまま立ち上がり、腰に手を当てながら台所へ向かっていく。じきにカウンターからテーブルへ向かって濡れた布巾が飛んできて、私はその布巾でテーブルを拭いた。
 私に生活に関するギフトは全くと言っていいほど無かったので、この家の暮らしはほとんど祝が取り仕切っている。私は、家に帰ればこんな風にテーブルを拭いたりお風呂を洗ったり、そのくらいしかやっていない。
 本当は祝の生活ギフト値もそこまで高くはない。だけどこの家はいつも綺麗で、おいしいもので満たされている。
 ふたりそれぞれお気に入りの皿にカレーを盛って、向かい合って座る。ぱちん、ぱちんとまるでお詣りみたいに手が鳴って、「いただきます」は綺麗に揃った。
 祝の作ったカレーはやっぱり具のひとつひとつが大きすぎて何度も口周りを火傷しそうになった。食べてみて気付いたけれど、ごろごろしたじゃがいもやにんじんの他に昨日余らせたキャベツやナスまでもが入っていて、これ一皿食べていればそのまま一日分の野菜をクリアできそうなカレーだった。この中にもうひとつ、わたしの大好きなかぼちゃが入っていてくれたら完璧だった。だけど残念ながら、かぼちゃは昨日のポタージュ作りで綺麗さっぱり食べつくしてしまっていた。
 私たちは基本的にテレビもラジオもつけないので、部屋に音を作るとしたらふたりの会話くらいしか材料がない。迷ったけれど、ただの会話の材料として、言うことにする。
「祝、今年もあの時期がやってきたよ」
 皿とスプーンがぶつかる音に私の声が覆いかぶさった。
「どの時期?」
「わたしがスパイになる時期」
 祝が手を止めて視線だけを私によこし、「ああ」すぐまたカレーに目を落とした。
「祭の本領発揮な時期だね」
「そんな言い方したらわたしが本領発揮したらスパイになるみたい」
「祭が先に言い出したんだよ、スパイって」
 祝が傍らのグラスを手に取って、水を一口。
「今年もいい子を見つけてあげないとねえ」
 その、何も考えていないような一言に、私は昼間の東さんのことを思い出した。
「大変だね」と「頑張って」しか思いつかないような東さん。私が私のギフトを鍛えている間に、標準教育だけを終わらせてそのまま働き始めた東さん。だから私よりもいくつか年下なのに、年次が上なのでぽんと「先輩」になれた東さん。仕事はするけど、自分の知識以上の世界が見えない東さん。
「そうだねえ」
 東さんの回想は終わり、私も水を一口飲んだ。水が口の中にいる間だけカレーの味を忘れて、飲み込むとすぐにまた喉のあたりからカレーの味が上がってくる。
「祝、具はもっと細かく切った方がいいよ」
「なあによ自分ぜんぜん料理しないくせに。たしかに私もちょっと思ったけどさ」
「次に期待だね」
「任せてね」
「美味しかった」
「当たり前」
 私の目の前、真ん中の模様が見えるようになった皿を見て、頬杖をついた祝がにっこりと笑った。
「洗うとしたらお皿かお風呂、どっちがいい?」
「僅差でお皿」
「お風呂にしてよ」
「オッケー」
 私たちは同時に立ち上がり、それぞれの持ち場へと向かっていく。

 人間はそれぞれ違う能力を持っている。足が速い、絵が上手い、声がきれい、頭がいい。そういう能力のことをギフトと呼ぶ。私たちは生まれてすぐに遺伝子情報とか脳構造とか、よくわからないけれどとにかくいろんな検査を受ける。そうして出てきたデータを出生届と一緒に提出する。するとそのデータは国民管理課に送られ、ここからユダヤの選民思想よろしく怒涛のカテゴライズと順位づけが始まるのである。ここで、あるカテゴリにおいて異常に数値の高い子供、つまり、なにかひとつの物事に特化し、それは今後もますます成長するだろうと思われるような子供はこの時点で抽出される。ご家庭に手紙が届く。「おめでとうございます!」子供は晴れて将来の「枠」を与えられ、これから先の人生は彼らのギフトを伸ばすためだけの超! 集中的な(悪く言えば超! 偏った)教育で埋め尽くされることになる。そうして彼らは順調に成長し、立派なアスリートに、ピアニストに、画家に、研究者になっていく。もちろん彼らの待遇は良く、たとえ就職するとなっても世の中の企業には必ずギフト枠というものがある。その枠で入社できれば給料もいいし昇格も早い。世界はこのギフト枠を使ってのさばる人と、そこから弾かれた平々凡々なる有象無象で構成されている。
「選ばれ」た人たちを、その他大勢の人たちは「ギフト」と呼ぶ。ギフトとは概念であり、名前でもある。
その人が何を「持っている」のかは、生まれた時点ですでに決まっている、のである。大抵は。
 だけども、そんな単純な二元論で人間を二分化するな! と言い出す人がある日現れたらしい。当然っちゃ当然である。だって、ギフトは誰もが持っているものだ。たとえば電車に乗ったとき、私の隣に私よりもきれいな人が座ってくることなんて大いにある。それもその人の立派なギフトだ。だけどその人はギフト枠じゃなく平々凡々有象無象のうちのひとり。おそらく、彼女よりもきれいな人が居たという理由でギフト枠から落ちたのだ。こんなことは往々にしてある。つまり「ギフトは誰もが持っている。程度の差があるだけだ」という話。
加えて、声を上げ始めた人たちはもうひとつ別の理論を引っ張り出してくる。
「子供の頃に選ばれ、エリート教育を受け、自動的にギフト枠に入ったとしても、その人たちは百パーセント素晴らしい成果を上げているのか? そこに本当に、『想定ミス』は居ないのか?」
 つまりは、「自動的にギフト枠に入った人よりも、時としてそれ以外の人たちがもっといい成績を出すのではないか」という話。
僻みである。完全に言いがかりである。断言できる、これを言い出した人は絶対に「ギフト」じゃない。こういうことはギフト枠の人から言い出さないとなんにもかっこよくないのである。
しかし、そうも言ってられないほどに有象無象の鬱憤は募り、デモは起きるわストは起きるわ、このままでは国がひっくり返ってしまうと怖れをなした国民選抜局はある日ものすごい法律を制定した。
 それこそが私を年一の周期で激務に陥れる、「申告制ギフト法」である。
 これは、生まれた時点では「ギフト」になれず、かつ大人になってもまだ「ギフト」になりたいという夢を捨てきれない人たちのための法律だ。彼らは大抵、生まれ持ったギフトの数値自体は悪くないが、おしいところで枠から外れてしまったような人たちの群れから出てくる。彼らは大人になり、「ギフト」として生きるために年に一度選抜局に申請する。幼少期からギフト枠に入ることは叶わなかったけれど、自分なりに今まで努力して、陸上でこんなにいい成績を出しました! とか、こんなに歌が上手くなりました! とか、彼らは自分で「申告」するのである。
 そんな彼らのプレゼンを、生来の「ギフト」が審査するというわけだ。彼らが本当に、自分と同じ種族かどうか。
だけど陸上だとか歌だとか、(素人の偏見かもしれないけれど)ある程度明確な基準というか点数がありそうな分野だけの話だったらまだよかった。この申告制ギフト法によって有象無象たちは調子に乗り、あれもこれもと言い出した。たとえばこつこつ努力できること、粘り強いこと、負けず嫌いなこと、思いやりがあること、これだって立派なギフトじゃないですか? スポーツとか芸術の分野では戦えないけど、一般企業で働くとしたらむしろこういう人こそ「ギフト」じゃないですか? だからそういう枠を作ってください。もっと国民のことを顧みてください。もっと国民ひとりひとりを愛さなくてはなりません。
そして作られてしまった、「気質型ギフト」という新しい枠組み。これができたことによって、それまで存在していた本来のギフトは「能力型ギフト」という名前に置き換えられた。
「ギフト」は爆発的に増えた。世界は、いわば「純血ギフト」と「なり上がりギフト」と「その他大勢」に分けられた。
今ではいたるところで聞こえてくるような気がする。「わたしだって立派なギフトだ、お前らが見抜けなかっただけで、わたしだって立派なギフトだ!」
だ・ま・れ。
こうして私は多忙を極める。私のギフトは「他人のギフトを見抜く」。いつもは国民管理課の事務職をしながら、年に一度、あの忌々しい気質型ギフト枠の「審査官」として暗躍する。ちなみに、担当は一次審査。来る日も来る日も、エントリーしてきた連中の自己PRを聞き、判決を下す。そして次の審査官へ合格者の情報を引き継ぐ。
もちろん私は「純血ギフト」だ。そういう教育を受けてここまで来た。今では顔を見ただけで、その人のギフト数値がおおよそわかる。まだ精度が上がる余地もある。だからそのうち二次審査官になったり、もしかしたら最終審査官まで出世したり、するのかもしれない。

 祝のことも話そう。
 「純血ギフト」でありながら、それを自分で捨てた人間だった。
 彼女のギフトはピアノの中にあった。出生後検査で音楽感受性と指の筋肉の柔軟性を示す項目においてすばらしく高い数値を出した彼女はそのままギフト専門の音楽学校に送られ、ありとあらゆる楽器を与えてみた結果、ピアノが選ばれたのだった。
それから数年、彼女が持つ数値は予想以上の上昇を見せ、音楽学校始まって以来の優秀さだと周りをいたく喜ばせることになった。
 数値は上がり、日々は進んだ。彼女は十代後半に成長した。
 隣の練習室を使っていた少女が自殺した。
 学校での定期審査会を終えた数日後のことで、少女の成績は二位だった。その審査会は、練習に練習を重ねた祝が入学してはじめて一位を取れた記念すべきものだった。

 私は、祝がピアノを弾かなくなった経緯については知らない。その日を境にぱったり弾かなくなったのかもしれないし、日が経つにつれて徐々に弾けなくなっていったのかもしれない。とにかく、彼女はピアノをやめた。今ではもうピアノどころか音楽の話もしない。だから私もそんな話題は選ばない。
彼女の数値は日々下がっていく。私はそれを黙って見ている。彼女のギフトがその日の分だけ死んでいくのを、私は毎日しめやかに看取っている。
私と一緒にいることを、彼女はどう思っているだろう。私の目に見つめられることを、どんな気持ちで受け入れているのだろう。今でも「純血ギフト」として生活をして、仕事をしている私の姿は彼女にはどう見えているのだろう。
祝のことを愛している。彼女のピアノを愛していた。だから私には時々何もかもがわからなくなる。いいのか悪いのか。自分で答えを出せた日は一日としてなく、今日も私は祝と眠り、明日になったら仕事へ向かう。

「では改めまして、申告ギフト枠へのエントリーありがとうございました。担当いたします北野祭と申します。これからだいたい三十分、お話しさせていただきます。私のお話をすることもありますが、基本的には私は聞き役だと思ってください。あまり緊張せずに、自分の言葉でお話ししていただければと思います。それでは、あなたの自己紹介からどうぞ」
 そして私は審査官へと変身した。いつもの着古したワンピースや半額以下で買った古着はやめて、黙っていればそれなりに見える服をわざわざ選んだ。足元もヒールの高いパンプスにして、メガネもやめてワンデーのコンタクトを引っ張り出した。私は審査官になった。
 それでも私のもとを訪れる候補者たちにはどうしても負けた。彼らは一様に真っ黒なスーツ、真っ黒なパンプス、革靴、そして真っ黒な髪。表情も緊張のせいで人形のようになっていて、私は一体何を相手にしているのだろうと何度も疑問に思った。私はギフトの審査官ではなく、これから葬式へ向かう人の服装チェックをする人と言い表した方がよっぽどしっくり来た。服装をあんな風に規定するのは、外見での勝負は一切無効ということを表したいのだろうか。それでも美人な子はすぐにわかるし、ブスはどうしたってブスなのだけど。何十人を相手にする審査官にとっても印象のいい子はイコール美人だ。人間が何を持っているかは、生まれた時点ですでに決まっているのだ。やっぱり、そう。
 外見の査定が終わったところで、降ってくるのは再生しすぎで擦り切れたテープのような自己PRの洪水。
 わたしの強みは、粘り強いところです。僕の長所は、目標に向かってこつこつ努力できることです。負けず嫌いなところです。絶対に諦めないところです。人の気持ちを思いやれるところです。人のために動くことができるところです。きちんと人の話を聞けるところです。わたしの長所は、強みは、ギフトは、僕は今まで、だからこれからは。
 その程度の数値しか持っていないでよくそんな調子のいいことばかり言えるなと思ってしまうような子が多すぎる。
 頭が痛くなってくる。彼らの相手をしていると、ギフトという言葉にはもう何の価値もないことがよくわかる。彼らに私のギフトの価値までも下げられているような気がする。こういう子たちの相手が続くと私の性格は悪くなる。もちろん、数人に一人はすばらしいギフト値を持った子がいる。私の周囲にいる「純血ギフト」と肩を並べるくらいの数字を持った子たちが。この子たちの話を聞くと私の性格も持ち直す。私は自分の性格の振れ幅の大きさを感じながら、ひとりひとりの目を見て話す。聞く。頷く。微笑む。

「やっぱり大変だったことは、グループの中にそういう、リーダーシップのある子が何人もいたりすると舟が山に登っちゃう感じになるんで……わたしはその中で、ひとりひとりに話を聞いて何が不満なのか、誰にどうしてほしいのかっていうのを丁寧に集めてまわったんですけど」
「留学の経験が大きいですね。向こうでは英語ができて当たり前、ドイツ語ができて当たり前、あ、わたしドイツに留学してたんですけど、やっぱりそういう環境の中で自分が『できない』ってことがすごく悔しかったので、授業をレコーダーで録音したりとか、毎日絶対三人には話しかけるとか、自分でルールを決めて過ごすことにしたんです」
「バレーボールのチームにいたんですけど。わたしが入ったところは経験者が多くて、その中で初心者だったわたしは最初ぜんぜんできなくて。もともと負けず嫌いだったのですごいたくさん練習して、そのうち試合にも出してもらえるようになったり、経験者の人から『わたしに負けると悔しい』って言ってもらえるようにまでなりました」

 一日が終わる頃、私の頭の上には石が乗り、足元は液状化する。ふだんはあまり使わない自分のギフトをフル稼働させて数字を記録しているからではあるが、それ以上に、人間ひとりひとりの体の中にこんなにも全て違う選択と歴史が詰め込まれているその一端を目の当たりにして、私はその途方もなさと果てのなさに疲れているのだ。追いかけきれないのだ。彼らの選択を、そこにあった理由を、そこを起点に歩んだ道筋を、過程に出会ったさまざまなものを。
 みんな似たような言葉を使って話しているはずなのに。
 だけどそれを、指定された様式の記録票にひとつひとつ書き込んでいくと、途端に霧散してどこかに飛んでいってしまう。結局、私は自分の文字の中に彼らの何をも閉じ込めることができない。彼らの歴史は、彼らだけのものということなのだろう。中身に何も入らない文字で、数字で、彼らをこうして審査しているのだ。ごめんねと呟きながら。
「ありがとうございました。時間になりましたので、ここで終わります。今日の結果は後日ご連絡させていただきますので、それまでしばらくお待ちください。では、今日お話しできたことに感謝いたします」

 四日目。そろそろ面接の空気にも慣れて、ペース配分も頭に入ってきた。ちょっとした合間に、雑談をして肩の力を抜くこともできるようになっていた。
 その子は、四日目最後の子だった。
「西田マミです。私のギフトは、相手の立場に立って行動できることです」
 彼女が面接室に入ってきた瞬間、「この子はだめだろうな」という直感があった。それは実際に面接を進めるうちにきちんとした確信になった。身だしなみもきちんとしていたし、全く会話が成立しないというわけでもなかったけれど、彼女の話は「つまらなかった」。どこかで聞いたことのあるようなエピソードの連続だったし、自分のギフトが何なのかという説明も要領を得ないし説得力がまるでなかった。実際、私の目に見える彼女のギフト値も全く高くはなかった。「落ちる」人間の典型だった。有象無象が無理に背伸びをして、結局歯牙にもかからないパターンだった。
 今日の締めくくりがこれかあ。私はため息をこらえ、だけど話を聞くのはやめていた。時間をきっちり守り、面接を終わらせようと思った。せめて最後はにっこり笑って。
 だけど、設定した面接時間が時計の針と重なり、私が「それでは」と口にした瞬間、彼女は顔色を変えた。
「もう時間ですか」
「はい。これで面接は終了です」
 すると西田さんは椅子から立ち上がりかけた。
「待ってください。わたし、まだ話してないことがたくさんあるんです」
「できればわたしもお聞きしたいですが、すべての候補者さんの持ち時間は同じなので」
「聞いてください、お願いします。今日わたしが最後ですよね?」
 それまでとは打って変わった必死さに私はたじろぎかけたけれど、すぐに気を取り直して首を横に振った。気丈さを心に増やした分だけ、少しずつ腹が立ってくる。往生際が悪いのは大きな減点だ。
「できません」
私はきっぱりと答えた。
「いかなる理由があっても、時間の延長は認められません。ご自分の持ち時間をしっかりと計算してお話していただくのも課題のひとつです。わたしも、他の候補者さんへの不公平はしたくありません」
 すると彼女ははっきりと怯み、小さな声でぽつりと「じゃあわたし、落ちるんですか」と言った。立ち上がろうと浮かせた腰が、ゆっくりまた落ちていく。
「それはわかりません。これからわたしたちも審査に入るので」
 少し焦って答えても、彼女は完全に背もたれに背中をつき、唇を噛んで項垂れるばかり。そこから全く動こうとしないので、私も私で苛々してきて、少しうるさく椅子を鳴らして立ち上がった。
「……北野さん、わたしはギフトです」
 彼女の声はテーブルの上を転がり、私はそれを見下ろした。
「それを審査するのはわたしたちです、西田さん」
 そこに落ちていく私の声。
「わたしはそれで去年落ちました」
「今年の結果はまだですよ」
「わかりますよ、落ちます。相手が北野さんだったから」
「……どういう意味?」
 彼女はゆっくりと顔を上げ、ふうっと笑った。疲れ切っているのに内側から憎悪が燃えている、ぞっとするような口元だった。
 話し出す、彼女。
「わたしはギフトなんです。みんな、分からないだけなんですよ。こんなの不公平です。こんなやり方じゃ、本当はギフトなんて持ってなくても話すのが上手だったらそれで通っちゃうじゃないですか。わたし、そういう子何人も見てきました。わたしより全然なんにも持ってないのに、大したことないのにギフト枠に入っちゃうようなクズが。そういう子って、ちょっと見た目がきれいで明るくて、話しやすい雰囲気があってって、それだけなんですよ本当に。中身、何にもないんですよ。不公平です。審査官を替えてください。わたしのギフトをきちんと評価できる人にしてください。わたしはギフトです。あなたじゃだめです、あなたには分からない、不公平だわ。わたしばっかり損してる!」
 目眩を、必死に抑えた。立ち昇ってきたのは恐怖だった。今、何に足をつけて立っているのかがわからなくなった。どうにかして立っていなくちゃと足に力を入れてみる。すると強張った足先が吸い上げてきたのはすごい色をした怒りだった。体の熱さが頭にまで届いて、ふっと汗が噴き出して、真冬のように息が震えた。
なんとか、ちゃんと答えなきゃ。自分の声がおかしなところからきこえてくる。それはたぶん理性だった。それでもかき消されてしまう。押さえつけた目眩が足元を揺らす。血が揺れる。汗が滲んでいるのに鳥肌が止まらない。
(なにがギフトだ)
「去年の審査官も、わたしだった?」
 彼女がわずかに顔を傾けた。解れた髪の束が頬にかかって揺れる。
「誰と話したって、あなたの場合じゃ結果は同じだよ」
 目が戦いて、ひきつるように見開かれたのを見た。彼女の体が小さく揺れて、私の目に見えている小さな数字たちも一緒に揺れた。くだらない。そんな数字しか持っていないで。そんな数字を、伸ばそうともしないで。
(それでも、わたしはギフトだ)
「どういう意味ですか、それ」
 震える声めがけて、カバンの中にいつも入った「純血ギフト」の証明書をこのテーブルに突き付けてやりたくなった。こんな人間が出てきてしまったせいで「純血」というオプションまでついた私のギフト。だけどたしかに純血だ。その通りだ。こんな人間と比べてみたらやっぱり違う。何を持っているかなんて生まれた時点で決まっている。それをひっくり返そうとするゴミたちの、なんて、なんて、醜くてあさましくて図々しくて汚くて無価値で無意味で毒であることか。
「わたしがどうしてこの審査官をしているかわかる?」
 今まで、出会ってきた子たちの顔を、声を思った。まだまだ論理性に欠けて、粗削りで、自分で自分のいいところを話すことに慣れていなくて、恥ずかしそうで、だけど今まで自分がたどってきた道筋を話すときにはきらきらと目を輝かせていた、あの子たちひとりひとりのことを思った。
「わたしのギフトは、『他人のギフトを見抜く』。数値1052.43。なんなら見せようか? 証明書」
 私の向かいで仕事をする、東さんのことを思った。決して「ギフト」になれる数字は持っていなかった東さん、ギフト枠でもない東さん。だけどいつも明るくて、大らかで、たいていのことは笑って許してくれる東さん。私の紙の塔を支えてくれた東さん。自分が「ギフト」でないことを、自分の向かいに「私」が座ることを、ごく自然に受け入れて、それをよしとしてくれた東さん。あの人の、毎日見慣れた笑顔を思った。
「だけどわたしが、他のギフトが、何の努力もなしに過ごしてるとでも思ってるの?」
 最後に、祝のことを思った。自分のピアノで人を殺し、誰かに何かを打ち明けることもなくピアノを、音楽を捨てた祝。どんどん「純血」が消えていく祝。だけど、そんなに高くない他のギフト値で、私の部屋の掃除をして、カレーを作ってくれる祝。何度言っても野菜はごろごろ大きな形でしか切れない祝。一緒に生きると決めた祝。私と生きると言ってくれた祝。
 彼女と居るとわからなかった。彼女がいいのか悪いのか。私がいいのか悪いのか。「ギフト」はいいのか悪いのか。だけどたった今ひとつだけ腑に落ちた。

 「ギフト」であるということは、覚悟がいるということだ。

「あんたのギフト値、教えてあげようか?」
 それだけはだめだ! と叫ぶ声は、東さんのものによく似ていたような気がする。だけどそれは、私には遠すぎて、耳鳴りのように一瞬頭を細く刺して、終わった。
 目の前の少女の顔いっぱいに広がる恐怖。先走る絶望の色。だけど、もう少女と呼べるような年でもないはずだ。そこまで生きたんだから、自分の力で片付けなければならないのだ本当は。それができずにここまで来てしまったのだろうか。可哀想な子だ、哀れな子だ。だけど勝ち目がなさすぎる。怒りは燃えて、天までのびて、私は太陽にだってなれる。彼女の無様な蝋の翼は、ここで溶かし尽くしてしまわなければ私が「純血」でいる意味がない。この仕事は、この力は、そういうことでもあるはずだ。
 なにがギフトだ、それでも、わたしはギフトだ。これが私の生まれた理由だ。

 折りたたんだ新聞の端が風に吹かれてバサバサバサバサけたたましい。鉄橋を渡る私たちの足元、まっすぐに線路は伸びて、嵐のように轟く列車が通り過ぎていく。
「祭のせいじゃないんじゃないの」
 前を歩く祝が言った。顔を上げると、彼女の黒髪が風にあおられまるで旗が揺れるように左に流れていた。
「うん」私は声を張って返事をする。「そんなこと、わかってるよ」
 祝は振り返らない。彼女が両手に提げたスーパーの袋が新聞紙とは違う音で鳴り、彼女のパンプスが鉄橋を叩く音は足下を突き抜けるように響く。
 ごーーーーーーっと、電車が鳴る。
「引き継ぎは、終わったん?」
「まだ。金曜日とかかな」
「お疲れさんだったねえ」
「うん。ほんとにね」
 だけどそれでも祝が振り返らないので、新聞を持った私の腕は糸が切れたように垂直に落ちた。
「祝、怒ってるの?」
 ええ? と祝が素っ頓狂な声と一緒にようやく振り返った。「ぜんぜん」
 きょとんとして、けろっとした顔だった。だけど、振り返った祝の顔を見た途端、私の目に彼女のギフト値が映りこんできて、その数字が昨日よりも減っていて、だけどその数字は、日が沈んだあとの残り火のようなオレンジ色と青色の世界にとてもうまく溶け込んでいて、私はあらゆることを差し置いて、綺麗だと思ってしまった。数字の価値を悲しむ前に、どうしても、綺麗なものは綺麗だと思うことは、止められないのだった。
 世界とは。私は思う。世界、とは。
「ねえ祝」
「なあに」
「いろんな子に会ったよ。みんな、いろんなことを話してくれたよ。似たりよったりの数字なのに、みんな違うことをしてた。同じように考える子なんてひとりもいなかった。同じ子なんてひとりもいなかった。違う道筋があって違う歴史があって違う価値観があって、だけどみんなそれをむりにギフトにしようとするの。『思いやりがある』とか『粘り強い』とか『負けず嫌い』とか。そんなことのどこに意味があるのかな。みんなそれぞれが何かを考えて、何かを好きだと思って、何かをまっすぐ続けてきて、それだけじゃどうしてダメなのかな。それこそがギフトだって、なんでわかってくれないのかな。わたしが見てた数字って、あの子たちの一体何だったのかなあ」
 私と祝が立ち止まった地点、ちょうど鉄橋の真ん中。がたんがたんがたんがたん。また足元を電車が流れる。地鳴りに鉄橋が揺れて、私はあのときの目眩を思い出す。
「精神安定力マイナス200.17。情緒深化力89.10。対人開放力45.65。意志発言力146.27」
 私が並べ立てる数字を、祝は静かに体に入れた。
「祭のせいじゃないのよ」
 そして彼女は同じことをもう一度言った。
「自分のことしか考えられないで、大事なのは自分の都合だけで、他人のことを一ミリも推し量れない人間ほど、結局他人にぜんぶ依存してるのよ。そんな奴はね、勝手にさせとけばいいのよ。素直に死ねって思っていいのよ。わたしたちは、なあんにも悪くない」
 オレンジ色と青色になって飛んで行く、彼女の声。彼女は自分が言ったことを、そのまま素直に祝うのだろうか。
「じゃあ、祝はどうしてピアノをやめたの」
「そうきたか」
「わたしのせいじゃないんなら、祝のせいでもなかったでしょ」
「そうねえ」
 祝は空を見上げる。日が沈んだばかりで、太陽もいなければ星もまだ見えないがらんどうの空だ。そして祝は、なんともない顔をしていた。
「行くところまで行った! って、思ったんじゃないかな」
 彼女はにっこり笑った。本当に屈託なく、にっこりと笑った。
「帰ろう」
 祝のパンプスがカンと鳴った。彼女の長い髪が背中を通って横に流れていく。歩き出した祝を、私は少し遅れて追いかける。審査官が終わった私の足元はもういつも通りのスニーカーで、鉄橋の上ではまともな音も出ない。
「今日はね、ごろごろ野菜のポトフ。カレー粉入り」
「結局カレーじゃん」
「違うわよ今日のメインはコンソメなの。カレー粉はあくまでオプションよ」
「ふーん、野菜ちゃんと切ってね」
「そのためのポトフなんだから」
 鉄橋を渡り終える直前、私はふと右手から力を抜いた。ページ数の少ない夕刊はあっという間に手から離れて、幸せそうに、鳥のように世界を飛んだ。
 自由になった手で、私は祝からスーパーの袋をひとつ貰い受ける。
「ねえ祝、めちゃくちゃどうでもいい話してもいい?」
「いいよ」
「生理がさ、終わんないんだよね」
「やっだあんたそれ絶対ピルのせいだよ。婦人科で薬変えてもらった方がいいよ、低用量にもいろいろあるからさ」
「だよね、明日仕事休むわ。びょーいん行こ」
「いいね、テルキュー」
 足元の感触が鉄からアスファルトへと変わる。この道をまっすぐ行って、あのコンビニを右に曲がれば家はもうすぐそこだ。帰って祝のポトフを食べたら、係長から借りっぱなしにしていたDVDを今日こそ観よう。東さんには一言伝えておけばきっと大丈夫。のんびりしよう、明日は休みなんだから。

#小説 #短編

読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。