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Still 2023

「あなたに会えて本当に楽しかった。生きていてよかった」
 届いたDMの控えめな結びに涙が滲んでいた。私の存在をして「生きていてよかった」とこの人に言わしめたことに、私は私の存在の、不確かさしか感じたことのなかったこの存在の、どこかに息をひそめていたのかも知れない煌めきのことを思った。私は私にわからなくても、いや、そろそろ「わからない」と言ってしまうことにも歳を取り過ぎている、けれどやっぱり、普段は意識することのない領域で、私は光っているのかも知れなかった。
 大雨警報が発表され、朝から雨が降り頻るその雨音を聴きながら、私は今日とは正反対の、突き抜けるような東京の青空と暑さを思い出している。約束した恵比寿のベトナム料理店に行こうとして、地図アプリですら読めず、恵比寿駅の同じところをうろうろして、駅から抜け出せてもやっぱりうろうろして、目的地のお店を一度通り過ぎて引き返して、ようやく辿り着いたそこで私はその人に出会った。グレイのオールインワンに黒髪のショートボブで、私を見るなり「初めまして」と満面の笑みで言った。


 インターネットの海で、ボトルレターを拾うようにして彼女の文章と出会ってからというもの、私はこの人の文章にずっと惹かれ続けている。決して暴発することのない、けれど確かに感じる深くて濃い感情は画面の無機質な文字から滲み出して、いつも、群青の色をしていた。彼女がひとり、文章を書いているときの姿を想像すればそこに澄んだ鈴の音が鳴るような気がした。鈴の音、あるいは、しんしんと降り積もる雪の鳴き声、遠くから聞こえてくる雨の音、とにかく、そんな、静謐な音ばかりを聞いた。どうしたらこんな文章が書けるのだろう、私は彼女の文章を読んではいつも同じことを思った。どうしたら、何をしたら、どんな人生を歩んでこれば、こんな文章が書けるようになるのだろう。それは強い憧れとなって私に刻み込まれたが、けれど、私にこんな文章を書ける日などこの先絶対に訪れることはないだろうとわかっていた。わかっていた。私と彼女とでは、何もかもが違うのだ。


 窓際の席に通された私たちは互いの文章を褒め合った。
 初めてインターネットであなたの文章を読んだ時、こんな人がいるなんて、とすごく感動したんですよ。それは私も同じですよ。私の文章には勢いしかありませんから。いや、勢いが大事なんですよ。読んでてだれちゃうな、読めないなって思うときは大抵文章の勢いの問題ですから。
 そして彼女は「私は哀しみがないと書けないから。哀しみが私の動機なんです」と語った。そっと額に手を当てて、窓の外どこか遠くを見て、そっと、語った。
「だけど、普段、そんなに哀しいことはなくないですか?」
 私は問う。それに彼女は小さく笑って、「私はいつも哀しいよ」と答えた。
 私は何も言えなかった。

 いつも哀しい、と、そう語るこの人のことを思う。そして私も少しだけ哀しくなる。だけど何が哀しいのだろう。私にこの人の人生を歩むことはできない。歩むことは叶わない。そのことが哀しいのか。それを哀しいと感じる資格はあるのか。私がこの人の人生を歩んだところで何になるだろう。哀しいなんて、そんなこと考えられるほど私は私の人生に余裕があるというのか。そんなものどこにもないのに。私は私の人生だけで既に手一杯で、なんにも、持ってあげることはできないのに。哀しい、なんて。
 だけど私は考えてしまう。もしもこの人の連れ添った人が今も生きていたなら、もしもこの人の娘に病が訪れることがなかったなら、そんな身勝手なことを、考えずにはいられないのだ。この人のしあわせはどこにあるだろう、この人が失ったものにどれほどのしあわせの欠片があったのだろう、と。
 お前に何がわかる。そうだ、その通りだ。私には何もわからない。わかるはずもない。
 見えるのはこの人の感情の色。それは群青。どこまでも沈んでいける海の色。


 娘のことを話すとき、彼女はとても明るくなる。
「すごく仲が良いんですよ。私とあの子は本当に違う人間なので。私は本を読みますが、彼女はあまり本を読まなくて。だけど音楽をやっていて、曲や歌詞を書いたり歌を歌ったりしているんです」
 宇多田ヒカルさんや鬼束ちひろさんが好きなんですよ、と、彼女は朗らかに娘のことを紹介する。挙げられた私との共通点に、私も、仲良くなれそうですねと答える。娘のことを話しているときの彼女の目はきらきらしていて、本当に愛しているのだと、世界にたった一人のこの人の娘なのだと、伝わってくる。娘のことを語る彼女の声はうっとりしていて、母でありながら、一人の信仰者のようであるとも、その声を聞いて思う。
 この人は娘に恋をしているのだろう。「お母さま、ハウルに恋しているのね」記憶の淵から聞こえてくるマダム・サリマンの声。だけどそうなのだ、恋する人のことを語るとき、夢の中から語るとき、人はどんどん若くなってゆく。
 彼女と別れ、ホテルの一室で彼女との時間をノートに書き留めるとき、私もあの子の気配を感じる。彼女の目と語りを通して、会ったこともないその子の眼差しをどこかで感じている、ような。私もあの子に恋をする、ような。

 20代だった頃に書き上げた三冊の本を贈った。
 最高のプレゼントだと彼女は言った。
 だけど、これを書き上げてからの私はもうほとんど余生なんです。
 そんなことを言わないで。


「娘が音楽を続けてくれることが一番嬉しい」
 と、彼女は語った。
「私が親だったなら、あなたが文章を書き続けてくれることが、一番嬉しいと思います」

 私には、ものを書くことを、両親に祝福された記憶があまりない。
 私の故郷では、何も起こらないことこそが全てで、それ以外、日常を阻むようなものは悉く拒まれてきた。私は20代の頃、心血を注ぎ、文字通り心も血も惜しみなく注ぎ込み、長い長い小説を完成させた。そうして心を壊した。それ以来、私が文章を書くことは両親にとって好ましからざるものへと変わったはずだ。そもそも、書くことについて両親と何かを語ったことがない。両親にとっても、そして私にとってさえ、私が文章を書くことはこの世界の中においては取るに足らない、瑣末なことなのだった。瑣末なことであるからこそ、私は私の書くものに最初から興味などなかったのかも知れない。小説も脚本も、書き上げたそばから忘れていった。それは長い時間をかけて書いた長い長い小説も例外なく、そう。私の心に残るものはなく、どれもが平等に、書き上げられれば消えてゆく。それは弔いのようでもあった。どれだけ、これこそは書かずにはいられないことだと思ったことでも、書けば忘れてゆく。書いて、書いて、忘れてゆく。私はそれでよかった。それしか知らなかった。文章との向き合い方として、私は忘れてゆくことしか知らなかった。
 けれど、たとえ両親ではなかろうとも、私が文章を書くこと自体が嬉しいと、言ってくれる人はいるのだ。そうして気づく、私の能力、能力と言っていいのかもわからない、だけどこの能力は、もはや私だけのものではないことに。私は書くことを何度もやめながらも、それでも、思い出しては書くのだろう。自分のために書くだろう。けれど私が幸せを感じるのは、宛てることのできる人が存在することだ。だからこれを書けることもまた幸せだ。自分のために使う能力であってもそれを誰かに捧げられるというのは。


 どんなときに書こうと思いますか。
 彼女の問いに、私は、そうですねえと首を傾げる。
 でも、忘れたくないことがあれば書いておこうとは思いますから、今日のことも書くのかも知れません。
 ぜひ、書いてください。
 彼女がテーブルに載せた手を差し伸べる。

 忘れたくないから書くくせに、書いたそばから忘れていくのはどういうことだろう。だけどそうやって、文章によって私は私の記憶をこの身から切り離し、文章に形を変えた私の記憶は、私の肉体がいつかこのことを忘れても、お守りのように一文字変わらずそこにある。今日のことも、私の肉体はいつか忘れていくだろう。思い出さなくなるだろう。けれど残った文章が、私だけじゃない誰か知らない人の目に留まって、その人の記憶に留まり続けることもあるのだ。そうして私は自分の記憶を拡散してゆく。私自身がもう、忘れても大丈夫だと安心できるまで、どこまでも拡散するのだ。

 生きていてよかった。
 彼女のDMを何度も読み返している。
 そして、私も生きていてよかったと、柄にもないことを、思う。



***
2023年6月 凪さんにお会いしたときの記録です。


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kyritani
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