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父さんはBUMP OF CHICKENが好き

うちの父さんは50代も半ばにして、BUMP OF CHICKENの熱心なファンでいる。


きっかけは自分の子供が聴き始めたからで、わたしと弟がいつもバンプの話で盛り上がったり飽きもせず毎日CDコンポで流しているとそのうち「このバンドはいいな」と自分から言い出して、熱心に聴くようになった。中高生に人気のバンドをいきなり中年の父さんが「良い」と言い出して聴き始めたことに、わたしと弟は顔を見合わせ母さんは「オッサンの若者趣味もいい加減にしろ」と呆れていた。
それでも父さんはせっせと嬉しそうに藤原基央の音楽を聴いていた。


父さんが初めて好きになったアルバムは『ユグドラシル』で、車に乗れば延々とかかっていて、今になってもバンプのアルバムの記憶を並べてみたとき、『ユグドラシル』だけは流石にもう聴きすぎたと思ってしまう。
父さんに言わせれば「fire sign」はミスチルの域に到達していて「銀河鉄道」はこんな歌詞はなかなか書けなくて「Butterfly」はウォーキングにぴったりのテンポで「話がしたいよ」はとてもいい曲らしい。


誰かの為に生きるという
思いを込めた旗を抱き
拾ってきた笑顔の中に
自分の笑顔だけ見当たらない
  BUMP OF CHICKEN 「fire sign」


わたしがちょうど高校生だったとき、バンプが初めて地元、富山にやってきた。しかも父さんも母さんも知っているくらいに昔からあるライブハウスで、母さんにバンプがあそこでライブしたんだってと話すと「あんな狭いとこ来たの!」と驚いていた。
わたしの同級生たちの中にもそのライブハウスに参戦した子が数人いて、とても羨ましくて、ふと思いついて、夕飯の席で父さんに「こないだバンプが富山来たんだよ」と言ってみた。
すると父さんは「なんで言わんかったんや」と言ったきり黙り込んでしまった。まさか事前に伝えておいたら参戦するつもりだったのか、ほとんど高校生くらいの年齢層の、しかもスタンディングライブに。今思い返しても、あの時の父さんの反応には笑ってしまう。

しかしそれから数ヶ月後、父さんに幸運が舞い込んだ。今度は全国ツアーで金沢にバンプが来るという。
「父さん、今度バンプが金沢来るんだってよ」
今度はちゃんと事前に伝えてみた。すると父さんはまた黙り込んだ。何かを考えているようだった。その数日後、父さんはチケットの抽選に申し込んでいた。家族4人分のチケットだった。やがて届いたチケットは2枚がBブロック、残り2枚がDブロックだった。近くで見れるBブロックは子供二人に譲り、Dブロックの2枚が父さんと母さんに割り当てられた。
この金沢のツアーはわたしの同級生たちもたくさん参戦していて、皆当然のことながらチケット代も金沢までの交通費も全て自費であったところ、わたしたち家族はチケット代は全部父さんが払い、しかも車つきだった。


誰もがそれぞれの
切符を買ってきたのだろう
今までの物語を
鞄に詰めてきたのだろう
  BUMP OF CHICKEN 「銀河鉄道」


そういえばあのライブがどうだったか、感想を今まで聞いていないことにこれを書いていて初めて気づく。初めて藤原基央の歌を生で聞いて、彼の存在を同じ場所に感じて、あの日Dブロックの隅っこにいた父さんは、何を思っていたのだろう。面白いほどに涙もろい父さんなので、「ダイヤモンド」か「天体観測」あたりで泣いていたのかもしれない。

(このライブのことは高校3年生のわたしがレポート(にもなっていない感想)を書いていた。試しに当時のホームページのURLを叩いてみるとまだ存在していたので供養のためにここに置いておく。凄まじく気持ち悪い、ザ・高校生な文章、ご笑覧ください)



このままだっていいんだよ
勇気も元気も 生きる上では
無くて困る物じゃない
あって困る事の方が多い
でもさ 壁だけでいい所に
わざわざ扉作ったんだよ
嫌いだ 全部 好きなのに
  BUMP OF CHICKEN 「プレゼント」


子供二人が家を出て、バンプのことを口にする人間が家にいなくなったことで、父さんは自然にバンプのことを忘れていくものだと思っていた。けれどたまに帰ってきて実家MacのiTunesを立ち上げてみると新譜はそのたび更新されているし、やっぱり父さんは一人でせっせと藤原基央の音楽を聴いていたのだった。

一昨年、年末に帰省した時になんとなくソファーテーブルの上の物を整理していると、まだ封も開けられていないバンプの2016年ツアーBlu-ray(限定版ボックス仕様)が出てきて思わずウワーッ!と声を上げてしまった。「母さん!バンプのライブBDあるやん!しかも開いてないやん!何やこれ!」
台所から出てきた母さんはもう全部諦めたような呆れ笑い顔で「どうせお父さんやろ」と言うばかりだった。

帰ってきた父さんにハコを見せて、せっかくだからみんなで観ようや!と父さんと母さんを集め、大きなテレビで2016ツアー『BFLY』を観た。
10年の間に、バンプはもう遠く遠くに行ってしまった。幕張メッセくらい大きな会場にしないと人が入りきらないほど、盤石で大きなバンドになってしまった。金沢の産業展示館の4号館だけで十分だった私たちのバンプはもういなくなってしまったのだった。

「すごいねえ、こんな大きなバンドになったねえ」
「もう金沢でも場所はないねえ」
「でも、そう思うと、金沢にも富山にも来てくれたことがなんか奇跡みたいに思えてくるよねえ。うちら行ったもんね、金沢」
「ほんとやねえ」

わたしと母さんが、まるで成長した息子を見るかのような会話をしている間、父さんはテレビの中の彼らをじっと、じっと見つめていた。昔からの癖で両手を胸のあたりで組んで、笑顔でも懐かしさでも涙でもない、ただじっと、藤原基央の声を聴いていた。
ああ父さん、本当に、バンプが好きなんだ。この家にバンプを持ち込んだ人間がとっくに巣立ってしまっても、後に残ったバンプのことを、ずっと大事に聴いてきたんだ。
じゃなきゃあんな顔でバンプの音楽なんて聴かない。


強く手を振って あの日の背中にサヨナラを
告げる現在地 動き出すコンパス
さぁ行こうか ロストマン
  BUMP OF CHICKEN 「ロストマン」


去年の夏、父さんがボロボロになったトヨタのISISから中古のBMWに買い換えて、そのBMWはbluetooth機能を搭載していた。早速わたしは自分のiPhoneを繋いで延々と菅田将暉を流した。父さんは別に菅田将暉のことは悪く思っていないので、「芝居もやって音楽もやって、なかなかできんことやなあ」と素直に彼の音楽も褒める。

けれどある日、父さんと二人で出かけることになって、その時は流石に行きも帰りも菅田将暉じゃ違う気がするなと即席でバンプのプレイリストを作ってそれを流すことにした。聞き慣れた声が流れてきた父さんは目に見えて機嫌が良くなった。『aurora ark』がリリースされたばかりの頃で、父さんはまだ新譜を聴いていなかった。

プレイリストが「話がしたいよ」に差し掛かった時、父さんはじっくりと噛みしめるように聴いて、聴き終わったあとに「これはいい曲だ」と声を上げた。そうだね父さん、わたしもそう思う。『aurora ark』の中に入ってみて、改めてこの曲の素晴らしさをわたしも感じる。


この瞬間にどんな顔をしていただろう
一体どんな言葉をいくつ見つけただろう
ああ 君がここにいたら 君がここにいたら
話がしたいよ
  BUMP OF CHICKEN 「話がしたいよ」



今この瞬間にあなたは何をしているだろうね、父さん。
わたしが父さんのことを思いながらこれを書いているこの瞬間、父さんはどんな顔をしているんだろうね。
今ではわたしや弟よりもずっと熱心なファンでいる父さん、流石にライブは難しいかもしれないけど、ずっとバンプが音楽を続けてくれるといいね。
話がしたいね、父さん。
いつまでも心は若いままの、わたしの父さん。


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(だからいつまでも音楽を続けてください、わたしの青春と、今なおわたしの父さんの生活を彩る素晴らしい4人)



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