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感情は音楽の形(宇多田ヒカル『初恋』について)

隣のデスクの人と宇多田ヒカルの話をしていたら一日が終わった。
最近、朝晩は必ず宇多田ヒカルの新譜『初恋』を聴いている。仕事中もずっと頭の中を流れているので実質寝ているとき以外は宇多田ヒカルを聴いている。わたしは別に彼女の熱心なファンというわけではなく、幼い頃に突如彗星のごとく現れた「なんだかよくわからないがすごい(らしい)人」としてテレビや車のステレオから聴こえる音楽をぼんやり聴いて、だいたいの変遷をなんとなく追いかけていた程度の人間に過ぎない。しかし、昔はたしかに「なんだかよくわからないがすごい(らしい)人」だったのに自分が20代に足を乗せ、彼女のデビューから20年を経て、ようやく、うまく言語化はできないが宇多田ヒカルのすごさを実感できるようになってきたような気がする。
『初恋』も本当は買うつもりはあまりなかったのだが、twitterを眺めているうちにだんだん気になってきて、一体何年ぶりかもわからないタワレコに気づけば来ていた。売り切れではと思っていたがさすがタワレコ、そう簡単に在庫切れにはさせない気概しかなく案外簡単に手に入ってしまった。(財布の中をあまり確認しないままにレジに持っていったので残金2,000円しか残らなくなってしまった)
以来、ひたすら『初恋』を聴いている。
音楽の良さは以前から知っている(と思っている)が、歌詞が、とにかく歌詞が、20年前の宇多田ヒカルはきっと書かなかったであろう、そして彼女以外の作詞家が今後書く、書けるとも思えない。自分でもぺらいことだと思うが「嫉妬」「煩悩」「謙遜」などなどなんだか、ちょっとひねって言い換えたくなりそうな単語を平然と使われてしまうとやっぱり小細工はいけないなと妙な反省をしてしまったり、あと歌い方によるところも大きいのだろうが、宇多田ヒカルは音楽を介して「語っている」のだろうと思う。彼女の母語は文字ではなくて音楽なのだろうと割と本気で感じる。何かしらの未分化な感情があって、それを言葉で説明しようとする、そういうことではなく、感情がそもそも音楽の形をしている人なのではと思えてくる。そういう人に世界はどう見えているのかわたしには想像がつかない。想像がつかないから、ずっと聴いていたくなる。気づけば聴いている。寝ているとき以外は聴いている。
わたしは「Play a Love Song」「Good Night」「夕凪」「嫉妬されるべき人生」が気に入っている。ラッキーなのかどうか、わたしの声域は彼女の曲にちょうど合っているので、「Good Night」「夕凪」は歌ってみると喉に気持ちいい。あと、Audio TechnicaのイヤホンよりもSONYのヘッドホンが間違いなく向いている。というか、宇多田ヒカルの曲には基本的にSONYが向いている。立方体の密室部屋に閉じ込められて、そこがムラなく音楽に満ち溢れているような感覚でもあるし、一切の遮りのないここは宇宙か?と錯覚してしまいそうに音が突き抜けていくような感覚でもある。

しかし歌手によっては絶対にAudio Technicaの音の方がいいと感じることもあるのでオーディオ製品は未だによくわからないし、奥が深い。

それにしても「嫉妬されるべき人生」なんて言葉、一体どこから出てくるのだろう。この曲の歌詞を読んだときの衝撃は当分忘れないような気がする。「Good Night」だって、ほぼGood ByeとGood Nightのロングトーンだけでなぜこんなに突き抜けるのか、なぜこんなにもペンギン・ハイウェイなのか。何万字もかけて、何時間も読者を付き合わせる小説とは一体何をやっているのだろう。はて。
会社にいる時間が果てしなく地獄に思えても、夜ひとりヘッドホンをかぶる時間があるならとりあえず家に帰ろうと思える。明日も明後日も聴きたいから、明日も明後日も生活しようと思える。明日も明後日も夜更かしをするのだと思う。

#日記 #diary #宇多田ヒカル

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