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イチョウ並木の下で。

そこにすれ違い想いを伝えられないまま別れを迎えた一組の男女がいた。
「何で彼らはお互いに気持ちを伝えなかったの?」と少女は純粋な疑問を口にする。
「人の感情っていうのは厄介なもんだからねぇ。」と男性が答える。
たった2文字の言葉を相手に伝えることができない。こんなことなら好きにならなければよかった、出会わなければよかった。忘れることができたらどんなに楽だろうか。

翼は小学3年生の時に連れて行ってもらったミュージカルに感動して以来、いつか自分も表舞台で観ている人を感動させたい、元気を与えられる存在になりたいという夢を持つようになった。
毎日たくさんの音楽を聴いて、歌の練習をして、親にねだって舞台やコンサートを観に連れて行ってもらって中学時代を過ごした。
教育が厳しかった親に将来の夢を話せなかった翼はそのまま地元の進学高校に進学した。
高校に進学して、歌うことが好きでギターを弾く葵と翼は出会った。2人は意気投合してすぐに仲良くなった。放課後一緒に勉強したり、休みの日にはよく一緒にカラオケに行った。いつも学校帰りには並木道がある公園のベンチで翼と葵はたくさんのことを語り合った。そこの公園の並木道は秋になるとイチョウが綺麗に色づく。気づけば2人はいつも一緒にいるようになった。他愛もない話やくだらない冗談から悩みごとや将来の夢、誰にも話せなかった話も葵には話せる。翼にとって葵は一緒にいると心を許せる親友のような存在だった。
「葵は将来、デビューしたいっていう思いはないの?」
「俺なんか全然だよ。」
「葵、歌上手いしめっちゃいい声してると思うよ。」
不意に褒められて戸惑う葵。
2人でカラオケに行った帰り道、渋谷を歩いている時の会話だ。
「あの、すみません。」突然、スーツ姿の男性に声を掛けられた。
その男性の話を聞くと、芸能事務所のスカウトのようだった。
翼の童顔で可愛い見た目に惚れ込んだスカウトの男性は5分ほど翼を説得した後、名刺を渡して立ち去っていった。
「おお、すごいじゃん!翼、かわいい顔してるもんな。」とキラキラ輝かせた目で葵が翼を見つめる。
ちらっと葵の方を見た翼は頬を赤らめていた。

翼はなんとか親を説得した後、学校の許可を得て事務所に所属することができた。
それからは演技や歌、ダンスレッスンが入るようになっていった。
事務所のレッスンの日々、だんだんと忙しくなっていく中で翼にとって葵と一緒に居られる時間が唯一の普通の高校生で居られる、高校生の自分を取り戻せる時間だった。


高校3年生になり周りが受験勉強で忙しくなる中、ついに翼は同世代の事務所のメンバーとデビューすることが決まった。
「彼女かぁ。そんなのいたことねぇつうの。」翼は事務所からの帰り道、1人呟いた。
その日、翼と他の4人のメンバーは事務所で正式にデビューが決まったことを知らされた。
デビューを知らされた後、1人ずつマネージャーと面談が行われた。
「翼は今、彼女はいるのか?」「これから大事な時期になってくるから、プライベートはくれぐれも気をつけるように。」
グループの顔になってくるであろう翼、そのことに事務所も大いに期待していた。
デビューが決まって、これから先の自分のこと、向き合うことから避けていた自分の感情、現実に改めて思い悩みながら翼は帰路に着いた。

翌日、いつもの公園のベンチで翼は葵にデビューが決まった報告をした。
「おぉ、おめでとう!!!」と口にするもののどこか浮かない表情をする葵。
「実は俺も報告することがあって。」木々の隙間から差し込む夕日の眩しさに目を細める翼は葵の表情をきちんと読み取ることができなかった。
申し訳なさそうに口を開いた葵は「彼女ができたんだ。」と翼の目を見ずに言った。
「そうなんだ…俺の知ってる人?」「うん、美玲だよ。」沈黙が続く中、まだ冷たさが残る春風が2人の頬を撫でる。

翌日翼が学校に行くと、お調子者の健太が声を掛けてきた。
「よぉ!葵と美玲付き合ってるんだってな。」一部の間で葵と美玲が付き合ってることは噂になっていたようだ。
「俺はてっきりお前と美玲が付き合うのかと思ってたよ。」
翼と美玲は小学校からの幼馴染で仲が良くて、周りからはお似合いの2人だった。

可愛くて誰に対しても優しい美玲は男女関係なくみんなから好かれていた。
好きな人と大切な人が付き合う、翼にとってこれほど喜ばしいことはないはずだった。
その日以来、美玲のことを目で追う日々が続いた翼は複雑な感情を整理しきれないでいた。

恋心が僅かな亀裂を生み、名ばかりの友情から遠ざかってしばらくが経った。
11月に入り、順調に仕事が忙しくなっていく翼は学校に登校することも少なくなってきていた。
年が明ければ本格的に受験本番になり、学校も自由登校になるため翼がクラスメイトと会える機会も残すところ僅かとなってきた。
当然、このまま卒業式まで葵や美玲の姿を見なくても済むことになる。
すっかり外は冬を感じさせる寒さになり、本格的な冬の訪れが人恋しさとともにやってきた。
日が暮れて辺りが暗くなったいつもの公園の並木道のベンチで1人俯向く翼。このままでいいのだろうかと自問自答する翼。
冷たい風が頬を差す。
トン。物音がした方向に目を向けると街路樹の光に照らされて一冊のノートがそこにあった。
気になった翼は立ち上がりさっきまではそこになかったはずのノートを手にする。
手に取った白いノートの表紙には告白代行の文字。
気になって表紙をめくると、あなたの伝えたい想いは何ですかと書いてあった。
伝えたい思い、その言葉がずっと蓋をしていた翼の想いを蘇させる。
その翼の想いと会話するように新たな文字がノートに浮かび上がってくる。
どうしてその想いを伝えられないのでしょうか。その問いに翼は心の中で答える。
承知いたしました。あなたの想い代わりに伝えましょう。
ただし、当告白代行を利用するにあたって一つだけ条件がございます。

初めてその想いに葵が気づいたのはいつもの公園のベンチで翼と話している時、突然翼が葵の手を握ってきた時だ。
「葵、指の形綺麗だよなぁ」と葵の手を握りながら翼は無邪気に言う。まだ寒さが残る3月、葵と翼が出会って1年が経とうとしていた。
その時感じた翼の温度、ぬくもり、なんだか胸が温かくなると同時に心がキュッと締め付けられる感覚を葵は覚えた。
それ以来、一緒にいる時にふと身体が触れ合った時、無邪気に翼が葵に抱きついてきた時、いつも葵はドキドキしていた。
それと同時にこの想いが翼に悟られるんじゃないかという不安をいつも抱えていた。

真剣な顔、笑った顔、翼のどんな表情も葵には愛おしく写った。そんな想いを抱えて夏が過ぎて、秋になった。
綺麗に色づいたイチョウ並木の下、葵だけは翼の横で緊張していた。
「翼、良いくちびるしてるよなぁ」それが高校2年生ができる精一杯の言葉だった。
なんて返ってくるだろう、きっと気持ち悪がられるそう思っていた葵に予想もしない言葉が翼から返ってきた。
「キスしてみる?」そう言った翼はそっと葵の方に近づく。その一瞬、確かに葵と翼の唇は触れ合い、想いが重なった瞬間だった。
しかしその日以降もあの出来事について確かめることもできなかった葵は、今まで通り友情という形を守ることにした。
葵はずっと考えていた。それは叶わない想いだと思っていた。仮にあの一瞬感じ取った想いが嘘じゃなかったとしても、翼には将来がある。
表舞台で活躍することを夢見る翼との間にはそれは叶わない恋であることを葵は分かっていた。

「しばらくの間彼女のフリをして欲しいんだ。」葵は自分の想いに向き合うことに精一杯だった。
「彼女のフリ、、、だけ?」彼女の表情は曇りしばらく黙っている。
「うん、わかった。理由は聞かないであげる。その代わり、月に一回はデートに連れて行ってね。」と彼女は強がった。

翼が自分の想いが告げることができた数時間後、同じ場所で葵も不思議なノートと会話をしていた。
”あなたの伝えたい想いは何ですか?”
大切な人に想いを伝えたいです。
”なぜその想いを伝えられないのでしょうか”
叶わない想いだと知っているからです。
”分かりました。あなたの想い、代わりにお伝えしましょう。ただし、当告白代行を利用するにあたって一つだけ条件がございます。あなたが想いを伝えることによって、あなたの中から伝えた相手の記憶を消すこと。もしくは伝えた相手の中からあなたの記憶を消すこと。どちらかを選んでいただきます。”
伝えたい想いとは隣り合わせに忘れて欲しくはないという願い。翌朝、葵が目を覚ますと一枚の写真と香りが届いていた。

「ねぇねぇ、さっきのってツバサくんだよね?」葵がバックルームから店内に戻ると女の子たちが嬉しそうに話していた。
今、人気のボーイズグループのメンバーがここの常連だということは以前から噂になっていた。
葵は大学3年生になり大学で知り合ったメンバーとバンド活動に勤しみながら家の近所のカフェでアルバイトをしていた。
「あ、スマホ忘れてる!」バイトの女の子が叫ぶと、さっきまでツバサという人物がいた座席にはスマホが忘れられていた。
「ちょっと私届けに行ってくる!」という女の子を制止するように店長が「待ちなさい!」という。
「ミキちゃんまたサボろうとして!悪いんだけどまだ近くにいるかもしれないから、葵クン届けに行ってもらえるかな」
分かりましたと言って、慌てて店を出る葵。店を出てすぐにそれらしき人物が見つけることができなかった葵は、道路を挟んだ向かい側にある公園に足を運んだ。
滅多に行くことがなくなったその公園に足を踏み入れた葵は、日差しに照らされて黄金色に輝くイチョウ並木を見て懐かしさを覚えた。
イチョウ並木の下、ベンチに座る男性を見つけた葵は声を掛ける。目が合う葵と翼。
「あの、これお店に忘れませんでしたか?」
「あ!ありがとうございます。」と言ってベンチから立ち上がりスマホを受け取る翼。
葵と翼の距離が近づいたその一瞬、お互いにある香りを感じた。それはかつてお互いの誕生日にプレゼントし合ったお気に入りの香水の香り。
消えてしまった、決して思い出すことのできない記憶の中からその香りが僅かな想いを湧き上がらせる。
その感情の正体が分からない葵と翼はしばらく見つめ合った。
我に返り「じゃあ」という葵に、「じゃあ」と返す翼。
「あの、またお店来てくださいね。お待ちしてます。」そう言って葵はその場を後にした。

「ねぇ、どうしてチャーリーはあの2人をもう一度会わせようと思ったの?」
黒のワンピースにセミロングの赤茶髪が似合う少女が問う。
「どうしてだろうね。運命っていうものを信じてみたかったのかもしれない」白のタキシード姿の紳士が答える。
記憶が消えたとしてもまた出会い想い合い、2人なら壁を乗り越えてくれる、そうチャーリーは信じたかったのかもしれない。
「あの2人、また想い会えるようになるかな。」その少女は純粋にそう願っていた。
かつての遠い記憶の中にあの2人を重ねるチャーリー。
眼鏡の奥の瞳にうっすらと涙を浮かべるチャーリーにその少女の声は届いていなかった。

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