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ロシアとウクライナが気になりすぎて 書いてみた。。Vol.79

就活生向けに2週書いてきたnoteで、
これからも しばらくは 就活生向けに書く予定だったけど、
今回は、一回だけ箸休めさせてもらって 
世界が注目してるロシア軍によるウクライナ侵攻の話
ちょと書きたいな~って思います。
俺みたいなやつが、軽々しく取り扱うテーマじゃないのは重々承知なんだけど、あまりにも気になりすぎちゃってるもんだから、一回だけお付き合いしてね。

はじめに

戦車➁

ロシアの侵攻から3週間ほど経った。
連日、メディアから流されてくる戦火の惨状で
一般市民が犠牲になる絵を見るたびに心が痛む。
特に、幼い子や妊婦の犠牲は見てられない。
何かしたいけど、何もできないのがまた歯がゆい。


いつの時代も、戦争というのは
おじさんたちの決め事によって 
未来ある若者たちが犠牲になる構図は変わらない

こんなに情報をたくさん取れる現代においても 
いまだ、互いの理解しえない領域があることに驚く
理解する努力をしてないのか、それとも、あえて理解しようとしてないのか・・・・
いずれにしても
なんとか、これ以上 犠牲が出ないようにいち早く 
停戦してほしいと切に願う。

本来、いい大人の仕事は「未来を作ること」だと、
理解をしてる俺からすると
未来を奪う大人たちがリーダーであることに何とも言えない気分だ。

大人 黒白


このウクライナ侵攻で 
大国が小国を武力で飲み込もうとする構図
プーチンが自国民に対して情報統制
国連総会での詭弁から
正義はウクライナで悪はロシアに見えちゃうのは仕方ないことかもしれない。
ロシアによる侵攻がなければ、被害者は出ないわけだからね。

でも、なぜか 
俺は、この物語がちょっと違うように見えている。

世界を小学校のクラスに置き換えた物語

小学校

小学校の時に、
クラスで、喧嘩の強い2人の子供がいた。

一人はクラスで人気だったグループ(NATO)のリーダー格のアメリカ君
もう一人は、昔はそこそこ仲間がいたけど
今では大半と考え方が違う変な奴扱いのロシア君だった。
二人は根本的に考え方が違ってて、 
長い間、警戒し合う関係(冷戦)だった。
二人が直接 タイマンを張ることはないけど、
時々、舎弟たちにはちょっかいを出させてた(代理戦争)。

ロシア君には数少ない舎弟だったウクライナ君がいたけど、
ずっと人気グループから 
「あんな奴とつるむなよ、こっち来いよ~」って 
誘われていて、 
ついにロシア君に「舎弟を辞めて、人気グループの人たちとつるむ」って
言ってしまった。
それを聞いたロシア君が怒って、ウクライナ君を屈服させるのに殴りだしてしまった

ウクライナ君に「こっち来いよ~」って けしかけた人たちは誰も 
この喧嘩に加勢する人はいないけど・・・。

殴る

そしたら、クラスの大半が
暴力を振るうなんて ひどい奴だと言い出して、
皆、ロシア君とかかわり(経済制裁)を持つのを
やめ出し始めた

多分、この喧嘩が終わっても、ロシア君は当面クラスの皆から
無視されるんだと思う。 

ウクライナ君を殴ったことはクラス(世界)で大騒ぎになったんだけど
よく考えたら、
イラク君なんて、言う事を聞かないからって 
武器(核)を隠し持ってる と 
アメリカ君から因縁をつられて 
ボコボコに袋叩きにされたのは、ついこの前(2003年)のことだ。


ロシア軍によるウクライナ侵攻から感じること

暴力はどうあってもいけないというのは 
誰もが確実に同意するけど
物語はいつも、善悪とか 白黒とか そんな単純なモノゴトじゃないと思うんだよね。

こうやって、世界を小学校の一クラスに置き換えたときに 
喧嘩が強いとは言え、
人気の多勢グループが無勢グループにちょっかいを出して 
けしかけてる様にも見えなくはない
からね。

んで、さらに違和感を感じるのが
シリアもアフガニスタンも 戦争をしたけど
なぜか アラブの人たち(イスラム圏)の戦争と
今回のウクライナの人たちの戦争(キリスト圏)では
世界、メディアの騒ぎ方が全く 別物のように思えることだ。

世界で歌われる SDGs の平等って何のことなんだろう?

画像4

平和だし、ボケてる日本に居る俺が 
何をほざいてんだって 俺自身も思いながら書いてみた。

誰が良いんだとか誰が悪いとかは
大人たちの思惑が張り巡らされてる世界では
ちょっと立場を変えれば 
いかようにでも正義は歌えるし、いくらでも悪を断罪できる

俺はただ単に
同じクラス(地球)に居て、
もめ事を起こされると、 
その場所の空気が悪くなるから ほんとにやめてほしいと思うんだよ。 


追伸

台湾生まれの俺は日本語が一言も話せないまま
小2から日本人学校に転校した。

周りの皆が話してる日本語が分からなかったから 
友達もなかなかできなかった
気が付いたら「やい 台湾人!」って 複数の子らから馬鹿にされだした。

それが続いたもんだから、
ある時、俺は怒って殴りかかって喧嘩になってしまった
それは多勢に無勢。
しまいに、ほうきとかで叩かれだしたもんだから
仕返しに 椅子を持ち上げて 投げつけようとしたところで
先生が教室に入ってきて、椅子を持ち上げてる俺の、それだけを見て、
俺だけ めちゃくちゃ怒られた

納得できない俺は それからよくケンカして、
クラスの皆の嫌われものになった
ま~こうやって 徐々に尾崎豊の15の夜 みたくになって行ったんだけどね。

尾崎豊Youtube