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9条改正賛成は100%でいい

 こんばんは、もう今年も残り数日となりました。今年は様々なことが立て続けに起こった大変な年であったと思います。しかし、国内的には前向きになれるような、希望が湧くようなニュースも少なく…今年は物価の高騰もあったのでコロナの後ということもあり苦しい思いをした方は多かったのではないかと思います。

 さて、今日は憲法9条について。日本人にとって、戦争というのはかなりデリケートな問題であり「防衛費増額」や「ミサイルの導入」などと聞いただけでも嫌悪感や恐怖心を抱く方も多いのではないでしょうか。私も学生時代などはそうでした。なぜなのか?
 答えは、多くの国民が知るように日本は第二次世界大戦で破滅寸前までの被害を被りました。生き残った方も原爆の後遺症や敗戦国としての人種差別、物資の不足などの貧困、シベリア抑留など戦争の二次的被害でも悲惨な結末を迎えました。
 この戦争についての考察はまたいつかしたいとは思いますが、こんな戦争を2度としないために、武器を捨て平和を希求する国として生まれ変わる、そういう願いを込めて日本国憲法、憲法9条は制定されました。

 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 憲法の全文です。簡単に言えば、「日本は2度と戦争はしない、武器も持たない。平和の国であり続ける」ということです。
 一見素晴らしいものに見えますが、最近多くの国民も気づき始めたように「侵略されたらどうするの?」ということです。
 よく言われるのが「必要最小限度の実力で反撃できるから大丈夫」という意見を聞くことがありますが、これは実は憲法解釈ではなく国際法から引っ張ってきたもので、あくまで「実力」。ここでいう実力とは軍事力による「武力」ではなく、警察力による「実力」だそうです。なので、ミサイルや戦闘機や戦車で戦うことは想定されていません。日本国憲法では武力行使は禁止されているので、反撃は「実力」に限る。こういう解釈ですね。なんだか誤魔化しのような、屁理屈のような。かなり苦しい解釈です。

 この辺りの説明でも、戦えない、国を守ることのできない憲法ってなんなの?これで平和が保たれるの?と思うでしょう。その通りで、これは日本の平和のために作られたのではなく、最後まで連合国にしぶとく抵抗したアジア最強の国だった日本国を、米国が2度と戦争させないように力を奪うために作った憲法です。
 この辺りのプロセスも、なかなか面白い裏話があるので書きたいのですが今は置いておきます。とにかく、戦後77年日本人は自らの力を奪うための憲法を、平和のためだと疑うこともなく必死に守ってきました。

 憲法9条が危険であると最もわかりやすいエピソードを、今年暗殺された安倍晋三元総理がしていた有名な話があります。
 小泉政権時代の2002年、北朝鮮は日本人に対する拉致事件を認め、生存者5名が帰国しました。
 ここでポイントとなるのが「北朝鮮が認めた」ということです。国が認めたということは、日本と北朝鮮の国同士の問題となります。「国の交戦権は、これを認めない」こう認めることによって、北朝鮮は憲法の制約で日本が強行的な手段に出ることを封じたのです。そこからは、調査を要求してもうやむや、現在に至ります。

 有事の際に、自分達の国土や民を守れない憲法は必要ありません。ロシアのウクライナへの侵攻を見ても多くの人が気付きましたが、同盟国とは言え、米国は若いアメリカ人の兵隊達の命を、日本のために差し出してくれるでしょうか?また、それを大統領が自らの責任でもって容認するでしょうか?台湾は?そしてアメリカにとっては単なる岩場にしか映らないであろう尖閣諸島は?ウクライナで起きているように、日本への支援に終わる可能性の方が十分に高いのです。
 それでも綺麗事の「平和」のために、憲法9条を守るのか?私はそんな意味も込めて、タイトルに「9条改正は100%賛成でいい」と書きました。日本が独立して国を守るための一番の障壁は、間違いなくこの憲法9条です。これを変えなければ防衛3文書を変えようが、ミサイルを増やそうが何も機能しません。
 野党の政治家には反対をする議員が多いですが、その人たちの主張は日本国民を守ると言いつつも、結果的には何を守ることになるのか?北朝鮮のように9条を利用する悪辣な国家の肩を持ってはいまいか?

 一人一人が現実問題として考え、気がつくことが、日本の未来を守ることにつながっていくと思います。

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