ナイアガラの日を終えて
嵐のような1日だった。3月21日午前0時に大滝詠一のサブスクが解禁されると、Twitterはたちまちファンの喜びで溢れ、私も早速ロンバケからアルバムを聴いていった。まぁ曲順等に関して各アルバムで思う所は無きにしもあらずだが、サブスク解禁によって単純に多くの(初めての)人に大滝さんの楽曲が聴かれるのはファンの端くれとして凄く嬉しい。後は今回の解禁から漏れてしまったアルバムの中で1st『大瀧詠一』については、何としても権利関係をクリアしてサブスクで聴ければというところ。大滝さんを知る上で、あれを聴くのと聴かないのとではアーティストとしての印象が全然異なると思うので。
さてロンバケ発売40周年の今年、ソニーミュージック(と関係者の方々)の行った記念プロモーションは贔屓目にみなくとも見事だったと思う。『君は天然色』のMV公開から始まり、息をつく暇も与えないラジオ・雑誌特集の連打があり、NHKでは特集番組まで組まれる事となった。盛り上がりに盛り上がった40周年記念イヤーの1つのピークが3月21日未明であり、私自身『楽しい夜更かし』をした。今ようやく気持ちも落ち着いてきたので、このお化けアルバムについていくつか思う所を書いておきたい。
まず改めて特筆すべきなのは、大滝さんのキャリアにおけるロンバケの重要性だ。ここでの重要性とは中身云々ではなく、要は大ヒットしたということである。細野さんが度々披露する「ロンバケが発売された年の始め、細野さんの自宅を大滝さん訪れて、今年は俺の年にすると決意表明した」話からして、ご自身も狙って作った一曲入魂のアルバムであるのは間違いない。そしてファン以外にも知名度の高いこのアルバムの存在によって、40年経っても大々的なプロモーションが可能という事実もある。
そして又、この大々的なプロモーションに際してある人物の「忘れられっぷり」について考えてしまった。音楽的にはすっかりナイアガラの日(+YMO『BGM』の発売日)となっている3月21日生まれの音楽家・加藤和彦さんである。大滝さんははっぴいえんど、加藤さんはフォークル+ミカバンドと伝説的バンドのメンバーであり、その後それぞれソロで趣味性の強いアルバムを発表し、他のアーティストへの楽曲提供・プロデュースを多数手掛けた。デビュー直後のフリッパーズ・ギターに興味を示し、60代で亡くなってしまった等の共通点もある。
ロンバケが大ヒットしたのは大滝さん御本人の力は当然として、同じ釜の飯を食った気心知れてかつ大衆の心を掴む歌詞を書ける作詞家や、70年代末から盛り上がっていた若者の持つアメリカ西海岸への漠然とした憧れを完璧に具現化出来るイラストレーター、その他多数の人々の想いが奇跡的に結実したものだった。加藤さんが自らのアルバムを「ヒットさせる」という事にどれ程自覚的だったのか、本当の所は最早伺い知れないのが残念だ。
加藤さんの自らのキャリアに対する想いは急逝直前までインタビューを受け、没後に纏まった『エレガンスの流儀』(河出書房新社)に率直に綴られている。没後10年以上を経て加藤さんの業績が忘れられつつある今、改めて同書を読み返さねばと思った。
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