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遺言(仮)

……とは書いてみたものの、何だかパッとしない。

「すみません」

謝罪から書き出してみるも、その先に続く言葉が出てこない。
何に対する「すみません」なのやら。
親か? 友人か?
“先立つ不幸を”ってヤツか?

頭が働かない。
色んな音が気になって。色んな昔話が出てきて。色んな弱音が噴き出して。

多分、叫んだんだろうな。喉はガラガラだ。
きっと歯も食いしばっていたのだろう。噛み合わせが悪い。
頭の中も外もうるさくて、とてもじゃないが耐えられなかった。
こんな頭で生まれた自分のせいなんだが。

頭が熱い。湯気でも出てるんじゃなかろうか。
ソファで横になってみる。

何か1つ理由があって、頭が焦げたんじゃない。
色々なものが溜まりに溜まって決壊した。
気晴らしに趣味の活動でも……なんて余裕は無い。

“死にたいならさっさと死ねばいい”

わかってますって。
ただ、自分も中途半端にビビリなもので。血とか、グロテスクなものが苦手で。

取り敢えず溜めておいた抗不安薬をいっぱい飲んでみた。眠くなるだけかもしれないが、今すぐ出来そうなのがこのくらいだった。

中途半端にビビリで、中途半端にロマンチスト。
効き目が出るまで、独り言を呟かせてほしい。

「終わりにしたい」と思ったのは、別にこれが初めてじゃない。大体8、9年の付き合いだ。

周りと何となく「合わない」という感覚があり、大きくなって溢れ出した。
アバウトに説明するとこんな感じ。
中身が無くなって、上っ面だけで生きてるような、アドバルーンになったような感覚だった。

心理学専攻の短大生で、卒業前に受けたのは精神疾患の授業。やっちゃいけないんだが、「気のせいだろう」と自己診断してしまった。

その結果、感覚だけだったのが行動にも出始める。
お気に入りのストールで、ちょっとだけ首を絞めてみた。
あんなヤワな生地でも、少し力を加えるだけで肺に送られる空気を堰き止められる。

怖かった。
肩で息をして、涙が止まらなくなった。

それが、時期を追うごとに恐怖が減っていく。

やはりグロテスクなものが苦手なので、方法には制限があるが、自分の体を苦しめる行為に対する躊躇がなくなった。

怖いのは痛みや苦しみ。「自分という存在が消える」ことに関しては何も感じていない。

誰しも1度しか体験出来ないことだ。だから「他人と一緒に」みたいな気持ちも出てこないし、誰かに何かされるのも癪に触る。

通勤中。
人混みの中、タオルで首を絞める。ペットボトルの蓋に頭を打ちつける。ただし子供がいる場所を除く。

涙を流すほど恐れた行為を、躊躇いなくやるようになっていた。
しかし目的が違う。
人混みでパニックになりやすく、過呼吸になるのを抑えるために選んだ手段だった。
それもあって躊躇いの気持ちも薄かったのだと思う。命を断つことが目的ではなかったから。

人間に囲まれた最期なんてゴメンだ。

自分は静かに終わらせたい。だから今、頓服薬を多めに飲んで、眠るように……なんて童話みたいなラストを演出しようとしたのだが、周囲の音が気になって落ち着かない。

あなたからすればほんの小さな音でも、自分の鼓膜はブルブル震えて、側頭部に猛烈な不快感をもたらす。

(感覚過敏が続くので抗不安薬追加)

ボーっとしてきた。

本音を言えば、やりたいコトがまだある。

まだ形にしていない作品が沢山ある。……見てくれる人間は数人にも満たないが、それはさておき、自分にはまだまだ描きたい絵も書きたい物語もある。

今朝。
泣いて叫んで、歯を食いしばって、腕に爪を立てて、自分で思考回路を燃やしてしまった。それも、創作とは無縁の理由で。

こんなんじゃ何も作れない。
最初に終わらせようとした時も、創作があったから踏み止まっていた。
自分を構成する要素の大半を占めるのが、何かを作るという行為なのだろう。

それが無くなったら、後は何が残る?

「気がきくよね」
「頼りにしてる」
「助かってる」

まぁ、頼まれてもないのに、他人の手伝いとか散々やってたからな。
言われて悪い気はしないが、嬉しくも何ともない。

人様の手伝いをしていたのは、頼り方がわからなかったからだ。
自分から誰かに助けを乞うというのは難しい。あまり言い訳にしたくないが、自分は生まれながらの特性で、考えを言葉にするのに苦労する。
自分が困っている状況を言葉に変換するのに4日かかる(実話)。

小狡い考えだが、人助けをしていれば、いつか困った時に誰かが助けてくれるのでは。そんな気持ちを抱いていた。

世の中、自分に都合良くは出来ていない。
それぞれが、それぞれの人生を懸命に生きているのだ。自分を助ける余裕など持ち合わせてはいない。

そんな中でも、時間をかけてでも言葉にした方が応えてくれる人がいる。
ここに気づいていたら多少は変わっていたのかもしれないが、頑固な自分は「それなら自分も、自分の足で突き進む」というよくわからない結論に至ってしまった。
その結果が今のガタガタの体調である。
反省、反省。

……さて、話は逸れたが、「人の役に立つ」なんてことは自分のアイデンティティには程遠い。
これは他人から見た“メリット”であり、自分自身の核には成り得ない。

創作だ。
ものを作ることこそが、自分の核なのだ。

その核を、自分で壊してしまった。
どれがキッカケだったか覚えていない。
周囲の物音や気配に鼓膜をくすぐられる不快感か。
過去のトラウマに脳の表皮を焼かれる苦しみか。
それか、それか……。

小さなことから大きなことまで、色々なものがつもりに積もって、今朝、頭の中で何かが切れた。

気分を変えなくちゃ。
物語を書こう。絵を描こう。

……無理だった。映像が出ているのに、指が動かない。熱と痛みが邪魔をして、思考が作品のアイデアと繋がらない。

“そっか。じゃ、終わりにするか”

随分と飛躍した決断だが、ちょっとした経緯がある。

先月、ある日突然、大量のフォローを貰った。
SNSでは、フォロワーが増えるのは良いことなのだろうが、自分は正直複雑だった。

自分のページに固定していた、小説の1話に「スキ」してくれるのだが、その「スキ」は「フォローしてね」とセットなのである。そんな毛色の「スキ」が、自分が頭を痛めて初めて書いた第1話に溜まっていく。屈辱だった。

固定を外すと、今度は最新話の、それも途中の回に「スキ」がついてお馴染みの「フォロー」のセット。

長編小説だし、「読め」なんてことは言わない。創作に向かう時間が如何に貴重かはよくわかっている。

ただ……「あぁ、自分の作品って、“フォローを得るための通行証”くらいのものなんだ」と意気消沈していた。
あの後頭部の激痛は何だったんだ、と。
頭を痛めて、ゲームのチェックポイントを使っただけなのか、と。

うーん、まぁ、それもSNSの楽しみ方なのかもしれない。フォロワーさんを増やして、人と繋がることが嬉しいという方もいらっしゃるから。

誰が悪いんでもない。自分の価値観が悪いのだ。

悩んでいると、自己啓発やらスピリチュアルやらの話題が目に入る。
「不運は人生転換の兆し」「間違った道を伝えてくれている」とか。

……それじゃあ、創作は自分にとって「間違った」ものだったのか?
間違ったものに憧れて、間違ったものに命救われて、間違った道を今歩いてるってことか?

それもひとつの考えだ。真っ向から否定はしない。
それでも、せっかく大好きなものに力を注げる機会が巡って来たのだと、元々作りたかったシリーズに着手した。構想4年くらい。

そんな、力を入れて完成させようとしていた物に、手が届かない。
完全に自分のせいだ。
昔や未来のどうでも良い考えを拭えず、周囲の環境に適応出来ず、困った時に助けを求めることも出来ない。

電気椅子に座らされて、何だかんだ生き残ったような感じだ。頭ん中バチバチで、思考がショートしちまうんだ。

頭が痛い。もう少し薬を飲む。

……ところで、何故今こんな場所に「遺言(仮)」なんてもんを書き残しているかといえば、やっぱり、「まだ創作を続けたい」というのが正直なところだろう。

こんなクソ長い遺言を残すほど大した生き方はしちゃいない。やるならとっととやってる。

何回体を傷つけて、何回オーバードーズしたと思っている?

長い間ずーっと不毛な事に時間使って、今年の春にようやく自分のしたいことに力を入れられるようになった。
小説を投稿し始めたのが4月。まだ2ヶ月半だぞ?
その程度で満足するわけがない。

手元にあった小さい紙に書き殴った「すみません」。

あれは他の誰でもない、自分自身への「すみません」なのだ。もしくは、自分の脳内で形になるのを待っている者達への。

正直なところ、

「まだ作りたいものがあるので死ねないです。すみません」

なのか、

「作りたいものがあったのに、体をこんなふうにしちゃってすみません」

なのかはわからない。

どちらでも構わない。
少なくとも、自分に自分を想う気持ちがあったという発見が出来た。

さて、そろそろ眠くなってきた。
経験上、今日の服薬量では熟睡する程度だろう。

色々書いたが、この真っ黒くて重たい気持ちもまた本物。創作でどうにか踏ん張っているが、やはり1人で踏ん張り、ネガティブなものの流れに耐えるのは苦しい。

この、真っ黒なヤツにされるがままなのも癪なので、文章という自分の土俵に上げて形にしてやった。「遺言(仮)」もそこに起因する。

どうせ遺言だし、と、好き勝手に書いてしまった。申し訳ない。
でも、こんなもん、多分誰の目にもつかないさ。
どうだ遺言! 俺の土俵に上げてやっただけでなく、お前は惨めな晒し者だ。

……コイツがフィクションか、真実か、その辺は伏せておく。

もし、このまま長い眠りにつくことになったら、その時はおやすみなさい。

もしまた目が覚めて、何らかの作品を投稿し出したら、今日コレを書いた自分が死に、思考回路が修理された新しい自分が創作を続けている、ということかもしれない。

個人的には後者を望む。

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