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久々の感覚

先日、自分がnoteに投稿する小説のシリーズ2作目に先駆け、前日談なるものを書いた。

元々書く予定は無かったが、「このぐらいの文字数でどれぐらい書けるんだろう」と気になったことがキッカケだった。
…が、理由は他にもあった。


昔の記事で触れたことがあるのだが、物語を作る前やその最中に、ぼやけた感じのシーンだったりセリフだったりがパッと来る感覚がある。

降ってくるシーンは、映像こそ不鮮明だが、「こんな感じのキャラがこんな感じで動いている」というのが見える。何故かカメラワークも凝っている。
セリフの方は、登場人物が勝手に喋ってくれるイメージ。小説を書いている期間はとにかく大変で、脳内がうるさくて眠れない。1作目ではカットしたやり取りも多かった。

偶に、特定の芸能人のお声でセリフが聞こえたり、その方が物語に合わせて動いてくださるシーンも降ってくる。
(勝手にキャスティングすな!)

幼少期は、基本的にイマジナリーフレンド達と遊ぶ子供だったので、その延長なのではと勝手に推測している。
なお、「頭の中の友達と喋ってる」と親に言ってたらしいが、自分は覚えていない。


2作目については4年くらい前から幾つかのシーンが降って来ていたので、ある程度の雰囲気や、ラストがどうなるのか、ある程度理解はしていた。

ただ、自分でも「コレってどういうこと?」とわからない要素もちょいちょい存在していた。

シーンもセリフも、序盤からラストまで順番に来るわけではなく、バラバラに来るため、肉付けの作業は自分でどうにかしなければならない。ネタに使えそうな事を調べたりして組み合わせていく。


それでも「何かしっくりこない」という感じが残る時もある。

そんな時こそ降って来てほしいのだが、自分が「来い!」と思っている時は逆に降って来ないことがほとんど。

この感覚が出てくるのは、自分が意図していない時や、作品を実際に書き描きしている瞬間。
「取り敢えず書くか」と、まずは前日談から書いてみた。

自分に課した4000字以内という条件で、一応書けたは良いが、やはり自分の中では不透明な要素が残っていたし、文章を書いたことで更に「しっくりこない」ものが増えてしまった。


……それが昨日、一気に変わった。

音楽を聴きながら、部屋の中をウロウロしていると、不意に新しいセリフとシーンが降って来たのだ。多分劇中だと中盤、6、7割ストーリーが進んだ辺り?

その瞬間、曖昧だった要素がパッとわかるようになった。
バラバラだったものが脳内で急に繋がる。砂鉄が磁石にくっ付くのにちょっと似ている。


※こうして文章にしてみると、我ながら「ヤバい奴だ」と感じるが、決して怪しい者ではございません。


この感覚。
血の気が一気に引いて背筋が冷える感覚。

コレがあると、自分は「ヨシっ!」と心の中でガッツポーズをとる。
親バカだが「これは思っていた以上に面白い!」と感じる。

自分が作るシリーズは、特撮番組の影響を受けているので長編がほとんど。
それ故に、まずは自分が「面白い」と感じていないと長続きしない。

上記の感覚はそれを更に後押しするものだと推測する。
自分でもその興奮したシーンを見たくなるので、創作活動が進むのである。

この感覚があるから創作はワクワクする。


前日談、取り敢えず書いて良かった💪

シリーズ2作目、現在制作中です。
絵も描いてるので右手の関節が非常に痛いのですが、何より自分が物語を楽しみにしているので、どんどん書き描きします。

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