見出し画像

秘密の図鑑

 下校途中、ユウスケが「俺ん家に来ないか」と誘ってきた。別に予定は入っていなかったので行くことにした。高1の時に知り合って1年経つが、コイツの家に行くのは初めてだった。
「どこまで歩くの?」
「もうちょい、もうちょい」
 駅を出てからずっと上り坂を歩いている。9月なのにまだ暑い。イライラするほど暑い。ユウスケが坂を見せて「コクリコ坂」と紹介したときは思わず叩いてしまった。
 坂を上り始めて10分。遠くの方に木造の屋敷が現れた。ドラマに出てきそうなやつ。近づいてみるとその大きさがよくわかる。黒い瓦の屋根に、大きな庭。本当に立派な家だ。石の表札には“園田”と彫られている。
「ようこそ、爺ちゃん家へ」
「爺ちゃん? お前ん家じゃねぇのかよ」
「いいから、いいから。爺ちゃん家も俺の家みたいなもんだろ」
 言いながら、ユウスケは門を開けて招き入れた。鍵はかかっていない。「遊びに行く」とお爺さんに連絡しておいたらしい。
 屋敷には縁側があり、爺さんはそこで足の爪を切っていた。髪は禿げ上がり、反対に白いひげが腰当たりまで伸びていた。仙人そのものだな。
「爺ちゃん!」
「うん? おお、ユウスケ!」
 爪切りを放って、仙人が手を振ってきた。俺も挨拶すると、お爺さんは深々と頭を下げてきた。禿頭に反射した日差しをモロに受けるほどのお辞儀。何だか恐縮してしまう。
 靴を脱いで、縁側から家に上がる。長い坂を歩いてきた後だ、ちょっと休みたかったんだけど、
「面白いもの見せてやるよ」
 ユウスケが声をかけてきた。ジュースか何か飲みたかったけど、他人の家だし、ましてや仙人の住居だし、ワガママは言えなかった。縁側に荷物を置かせてもらい、ルームツアーにつき合った。
 本当にデカい屋敷だ。縁側の横に伸びる廊下を進み、突き当たりで左折。両サイドを襖で仕切られた通路を直進するとまた突き当たり。どうやら部屋があるみたいで、大きな鉄の扉が待ち構えていた。この屋敷には不釣り合いな、ちょっと不気味な扉だ。
 わざとらしく咳をすると、ユウスケは扉を勢いよく開けた。
「ジャジャーン! どうだカズマ!」
 何ということはないただの物置。幾つもの棚、棚、人をダメにするクッションを挟んでまた棚。棚には何冊もの古い辞典や人形が飾られている。床にも大きな段ボール箱が幾つもの置かれていて、それでも入りきらないものが無造作に床の上に転がっていた。
 お爺さんはかなりのコレクターらしく、集めてきた品々をここに置いているらしい。特定のものだけを収集しているのではなく、あらゆるジャンルの物品を、とにかく沢山揃えているようだ。
 物置に入ると、ユウスケは床に置かれた物品をあさり始めた。ここには窓がない。扉は開けたままだが、やっぱり蒸し暑い。手で顔をあおいでいると、
「あったあった」
 ユウスケが1冊の古いノートを取り出した。表紙には「マル秘」と書かれている。
「見たまえ、園田博士のUMA図鑑を」
「えっ、爺ちゃん、博士だったの?」
「は? 違うよ、目の前にいるだろ」
 ユウスケは自分の顔を指差した。何が博士だよ、生物のテストで27点とった奴が。
「ほれほれ、研究資料を特別に見せてしんぜよう」
 まぁ良いや。言われるがまま、その“図鑑”に目を通した。
 ほうほう、一応図鑑になっている。各ページが汚い線で5つの枠に分けられており、その中に雑な絵と説明文が書かれている。これでは学会に発表するのは難しそうだ。
 びっくりしたのは、説明文にアルファベットが並んでいることだ。へぇ、英語は出来るんだ。
 なになに? “KAPPA:KYUURI GA DAISUKI DATO IWARETEIRU.”
「……って、おい。ローマ字じゃん」
「まぁまぁ。これ書いたの小学生の時だし」
 聞けば、子供の頃に買った食玩の説明文を丸パクリしたそうだ。UMAだけじゃなく妖怪まで。一貫性が無い。
「ええっと、カ……ああ、カッパか。カッパ。キュウリが大好きだと……」
「おいおい」
 溜め息を吐いてユウスケが俺を止めた。何なんだこの渋い“へのへのもへじ”みたいな顔は。呆れ顏か。呆れてるのは俺の方だ。
「読み方が間違ってるよ」
「はぁ?」
「貸してみな。カッパァ、キュウリガダイスキダトゥ……」
 わざとらしいカタコトな日本語で音読するユウスケ。奴は自分で喋ったことに対して自分でウケていた。大ウケだった。まぁ、その、楽しそうでなによりだ。
「な、ほら、面白いだろ? 他にもほれ、アタマニハァ、オッサーラガ アルゥ」
 好きに読んでてくれ。小さく首を振って廊下に目をやった瞬間、思いも寄らぬものが俺の目に飛び込んできた。
 外から差し込む日の光に照らされたソイツは濡れていた。緑色の体に、アヒルのような口。手足にはヒレがあり、甲羅を背負っている。そして頭には皿が乗っかっている。
 キュウリを齧りながら、ソイツは俺を見つめていた。そして何事も無かったかのようにスタスタと物置の左手にある通路へ進んでいった。
「リピート・アフターミー。カッパァ、キュウリガダイスキダトゥ——」
「おい、待て。待て!」
 ふざけた音読をするユウスケを止め、図鑑をぶん取った。
 カッパ。今見たものと同じ特徴を持つ生き物。下手ながら、文の左横にはカッパと思われる生き物の絵が描かれている。皿、ヒレ、そして甲羅。汚いが、確かに特徴を捉えている。
 あれはカッパだったんだ。しかし、なんで急に一般家屋に姿を現したのだ?
 廊下を見ながら、数秒前の光景を思い返していると、ユウスケが図鑑を取り上げて別のページを開いた。
「次はこれだ。チュパカブラァ。イキモノ ノ チヲ スウゥ」
 読み終えた直後、廊下にまた珍生物が現れた。茶褐色の肌に赤い目と長い爪。チュパカブラだった。血を吸われてしまうのではと警戒したが、チュパカブラは首を傾げてカッパが向かった方向にはけていった。
 横では別の生命体の解説が始まろうとしている。俺は慌ててユウスケを止めた。
「何だよ、まだ全部読んで……」
「見てなかったのかよ! 今廊下にいただろ!」
「え、何が?」
「カッパとチュパカブラだよ!」
 俺が叫ぶと、先程の2体が戻ってきて、頭だけ出して中の様子を窺っていた。「来るな!」と怒鳴ると2体は慌ててその場から去って行った。聞き分けは良いようだ。
 さぁ、今のを見ればユウスケもわかるだろう。そう思っていたのだが、こういうときに限ってコイツはよそ見をしている。
 音読を始めた途端に、実物が目の前に現れた。意味がわからないが、とりあえずこの図鑑が関係していると見て良いだろう。
「貸せ!」
 俺は再び図鑑を奪い、その中から極力安全そうなものを選んで音読した。
「ええっと、スカイフィッシュ。高速で移動する」
 読んだあとに廊下を見るが、そんな生き物は出現しない。図鑑に書いてある通り高速で移動したのかもしれないと、今度は廊下を見ながら読んでみるが、やはり何も現れない。
「お前もさ、1回読んでみ? 俺の真似して」
 と、肩を叩いてきた。今ここで、あのふざけた音読をやれだと? 状況を理解していないユウスケに苛立ちが募る。だが思い返せば、奴等が現れたのはユウスケが音読した時。図鑑そのものではなく、読み方が鍵なのだとしたら——。
 いや、待て。何で俺はこんなことに夢中になってるんだ。でも仕方ない。気になったら、調べ上げないと気持ちがおさまらない。
 スカイフィッシュだったな。”Sky”……なんでこれだけちゃんとした英語なんだよ!
「す、Sky fish! コウソクデ イドウスルゥ!」
 何も起こらない。ユウスケが読まないと現れないのか。クソっ! 何だって俺はこんな恥ずかしい思いを——。

 ブ〜ン。

 変な音が聞こえてきた。ユウスケも辺りを見回している。どこから聞こえているのだと音のする場所を探していると、ユウスケが「あっ!」と天井を指さした。見ると、そこに30cmほどの何かが浮かんでいる。素早く震えているのか、その姿はブレて見える。
 指をしおりにして図鑑を閉じ、ユウスケの肩を掴んだ。
「何?」
「今見ただろ? 読み上げた生き物が出てきたんだよ」
「読み上げた生き物が出……ええっ、何で!?」
「何でお前が知らないんだよ! お前の図鑑だろ!?」
「そんなこと言われてもさぁ。 え、じゃあカッパとかも出てきたのか?」
 廊下に目をやると、カッパが顔だけ出してこちらを覗いていた。ユウスケに教えてやると、また大声を上げて喜んだ。すると、カッパの顔の下から茶褐色の手が出てきて手を振った。呼んでくれということか。
「チュパカブラも」
 もう1体が嬉しそうに頭を出した。
「へぇ。俺のノートってそんな力があるんだぁ。ふっ、ふふふ」
 変なスイッチを押してしまったらしい。エセ博士は次に読み上げるものを探していた。出てきた生き物達は特に悪さをするわけでもないし、何かもう、別に良いか。びっくりするけど。
 びっくりと言えばお爺さんが心配だ。あんな光景を目の当たりにしたら、心臓に負担がかかるかもしれない。
 そんな心配をしていると、隣の男が新しい項目を読み上げた。
「ツチノコォ! マボロシノ ヘビダァ!」
 うっすい情報。
 ユウスケが読み上げた瞬間、部屋の奥で大きな音がした。その数秒後、何やら車輪のようなものが部屋の奥から転がってきた。
 ヘビだ。太ったヘビが自分の尾を噛んで円形になり、転がっている。ツチノコはそのまま廊下へ出て行ってしまった。
「ああっ、捕まえて売れば大金持ちだったのに」
「そんなこと考えてるから逃げられるんだよ」
 この現象を見てもいつも通りのペースを保っている。すごいよ、お前。
 あぁ。驚きが冷めてきたな。この読み方のせいだと思うが。そうしたら、今度はあの蒸し暑さがぶり返してきた。
 そこで考えた。もしこの図鑑にアイツが乗っていれば、この暑さからも解放される。図鑑を借りて目的の生物を探した。半分ほどページをめくると、目当ての項目を見つけた。
「おい、これ読め」
「え? 雪女? エロいなぁ、お前」
「違うよ、お前わからないか? 暑いだろ、今? なぁ!」
「あ、なるほどね!」
 深呼吸をしてから、雪女の欄を外人風に音読する。やはり雪女がUMA図鑑に載っているのは納得いかないが、これで暑さから救われる。
 音読が終わるか終わらないかのところで、通路の右側から白い着物を着た綺麗な女性が現れた。笑顔で手を振る雪女に、ユウスケは顔を赤らめている。廊下の珍獣2体も見とれている。
 雪女は前屈みになると、ふーっと息を吐いた。その息は白く、部屋が一気に冷えた。これで良い。熱中症も怖くない。そう思ったのも束の間、今度は肌寒くなってきた。真冬のようだ。
「もういい、もういいです!」
 俺が頼むと、雪女は膨れっ面をして通路の左側に行ってしまった。珍獣達は悲しそうに肩を落とした。奴等はいつまでそこにいるのやら。
「はぁ、でもこれで、だいぶ涼しくなったな」
「膨れっ面も可愛かったな」
 ひと言も返さなかった。
 涼しくなったところで、ユウスケは新しい珍獣を探し始めた。今度は何を呼ぶつもりだろう。
 隣でユウスケが甲高い声をあげた。何かを見つけたらしい。それを嬉しそうに、声高に音読した。何と言っているのかはよく聞き取れなかったが、何だか嫌な予感がする。読み終えた直後に、地面を揺るがすような、低くて太い感じの音がし始めたのだ。しかも、建物が揺れている。
「お前、何読んだ?」
「え?」
「何を読んだか聞いてるんだよ!」
「ネッシー」
 俺は彼の後頭部を平手で殴っていた。
「馬鹿だよお前! 場所考えろよ!」
「あ」
「あ、じゃねぇよ!」
 そうこうしているうちに、水が一気に流れ込んできた。珍獣達が流されている。カッパは泳ぎが得意だからまだ良いが、チュパカブラは大変そうだ。カッパの足を掴もうともがいている。雪女もあとで流されてきたが、彼女はスカイフィッシュに捕まってなんとか溺れずに済んでいる。ツチノコも体をくねらせて泳いでいた。
 そして、流れ込む水の奥に、大きな首長竜の姿が。アレは偽物だった説もあるが、ここでは現実になる。
 俺達は叫んだ。音楽教師が言う「腹の底から声を出す」とはこのことを言うのだろう。叫んだ拍子に、ユウスケがノートを床に落とした。すると、目の前で水がパッと消えてしまった。ネッシーも他の珍獣もいなくなっていた。
 何もかも元通りだ。ため息をついて振り返ると、床にはまだあのノートが。落ちた拍子に閉じてしまったようだ。ノートが完全に閉じたから消えたのかもしれない。
「終わったな」
「ああ」
「今の、夢だったのか?」
「試してみよう」
「それはやめろ!」
 また面倒なものを呼び出されては困る。俺はノートを拾い上げ、棚に無理矢理押し込んだ。
「君! 何をするのかね!」
「うるさい! 博士みたいな喋り方はやめろ! 良いか、もうやめろよ。他の人が見たら驚くし、それに、あんな音読してたら頭がおかしいヤツだと思われる」
 ユウスケも、今日は珍しく俺の意見に従ってくれた。だがすぐにこう言った。
「でもさ、面白かったよな?」
「ん?」

◇◇◇

 それから1週間。
 俺達はまたあの物置部屋にいた。
 ユウスケがカタコトの日本語で図鑑を音読すると、通路の左側からカッパ、チュパカブラ、雪女が出てきた。
「よし、近う寄れ」
 3体が部屋の中に入ってきた。全員が座ったのを確認すると、ユウスケは続けて何度も音読した。すると奇妙な姿の生物が出るわ出るわ。
 あのあと、確かに俺達はノートを外では読まないと決めた。だが、やはり奇想天外な生き物達が出てくるのは楽しかった。そこで、週1でこの物置部屋を訪れ、彼等を呼ぶことにしたのだ。彼等は特に悪いことをするわけではない。だからどれだけ呼ぼうが構わないのだ。
 友人が書いたただの落書き。しかしそこには不思議な力が宿っていた。
 でも、このノートのことは誰にも言わない。俺達だけの秘密の図鑑なのだ。

 珍獣達とワイワイはしゃぐ2人を、離れた所からユウスケの祖父が覗いている。
 2人は知らない。
 物置部屋の、一番奥の棚。祖父がその裏に隠した掛け軸が、怪しく輝いているのを——。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?