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【52】BASE BREADを食べて祈る #睡沢週報

自炊がめんどくさすぎる。

家族の食事を作るのはいいのだ。これは業務だから。介護の一環として家事を代行しているのだから。もちろん給与は発生しないけれども。

ただ、家族が喜ぶ食事を作ると余分三兄弟の塊が生まれる。ギットギトの生姜焼きにギットギトの野菜炒めを添えたものを七味マヨで食いやがるのだ。今日日、日高屋でももっと健康意識がある。

そして、家族はそういう食事しか食べない。栄養バランスを意識した健康的な食事でも出そうものなら、暴言では済まない怒りによって私は傷を負うことになる。典型的暴君の屋敷に勤める料理人か?

ともかく、私の食事は別に作る必要がある。味が濃い食事はそもそもあまり得意ではないし、ダイエットに成功した肉体を崩したくはない。この身体は努力の結晶なんだぞ。

BASE BREADがおいしい

ずっとBASE BREADの定期便を頼んでいる。月6000円。1食200円で毎日1食分を置き換えているわけで、これがなかなか悪くない。

BASE BREADは腹持ちがいい。加工せずに食べられるから出かける時に鞄に放り込んでいけば食事代が浮く。味も好みだ。

好みが分かれると聞いていたが、私はかなり好みだった。BASE BREADに限らず、硬めのしっとりパンが好きだ。最近はふわふわがパン市場の流行で、私の「硬いけどカヌレほどじゃないパンが食べたい」欲を満たしてくれた。

味もいい。濃くはないが、主食にするのにちょうどいい優しさ。仕事しながら食べたり、忙しい朝にとりあえず頬張ったりするのに適している。

一番好きなのはメープル味。一袋でふたつ入っているから分けて食べられる。甘みがちょうどいい。時間のある日はチンしてホカホカにしたやつをカフェオレと一緒に食べる。

チョコレート味は反則級においしい。中毒性がある。だからたまにしか食べない。舌が贅沢を覚える予感がBASE BREADのチョコレートにはある。

祈りはしないが祈るかのように

私はクリスチャンではない。しかし、世界宗教の中で一番よく学び、そして共感している教えがどれかと言われればキリスト教のものになる。

元々は経済史を学ぶ過程で社会的結社としての西方教会に興味を持ち、教会領の経済活動について研究をしていた。もちろん、アマチュアとしてだから大した成果を出したわけではない。

私がキリスト教を尊重しているのは、彼らが中世の西欧で社会福祉を担っていたからだ。キリスト教がなければルネサンスが花開くよりも前に西欧は荒れ野になっていたかもしれない。

この話をすると決まって「一神教の神は実在するか」という議論にもならない議論をふっかけてくるやつが出てくる。宗教の話題を避けるよりも知恵がないのに知恵者のふりをしたくて議論をふっかけるやつを避けたい。

神がいようがいまいが、私にはどっちでもいいことだ。仮に一神教の神が聖職者の共同幻想だったとしても、宗教結社としてのキリスト教が成し遂げた諸々が嘘になるわけではない。

私は「キリスト教という結社は歴史上すごいことをしたなあ」と思っているのであって、彼らの信条を熱心に擁護するつもりはない。唯一の救い主としてイエスを称える気もないし、洗礼も受けていない。

言ってみれば、私の信仰 / 尊重は人の営みに向けられている。私が彼らの祈りに倣うのは、信仰 / 尊重の対象が大事にしているものを自分も信仰 / 尊重したいという原始的な道徳心の延長線上に他ならない。

人間っていいな、ということだ。

健康を求め金を欲す

金がない、金がないと言いながらも、出費を見直してみると無駄なのではないかと思えるものが少なくない。

きっとBASE BREADは削減できる出費だ。1食200円は節約食としては少し使いすぎかもしれない。そこにビタミン剤と整腸剤、プロテインが入ってくるから、1日あたりの食費は700円ほどだと見積もっていた。

改めて計算してみた結果がこれだ。

朝食:
・プロテイン+低脂肪牛乳(1杯230円)
昼食:
・BASE BREAD(200円)
・ポーションコーヒー+低脂肪牛乳のカフェオレ(70円)
夕食:
・ありもので適当に作る、大抵オートミール(100円前後)
・マルチビタミン剤、整腸剤(55円)

約655円だった。月の食費が2万円を切る計算になる。思ったより節制しているのかもしれない。たぶんカフェオレをやめて低脂肪牛乳に変えたらもっと安く済むな……でもそれは少し嫌だぞ。

いつも月末は「経済ミニマリストだから財布の中空なんだよ」というジョークで自分を慰めてきた。この食生活も合わせて考えると、私はむしろ清貧を心がけていることにしたほうがよいのではないか。

虚弱者の守護聖人聖カタリナ・ラブレー、精神病者の守護聖人聖ディンフナのメダイとか買ってみようかな。メダイは非キリスト教徒であっても身に着けていいとされている。

要は仏教徒でもないのに寺でお守りを買うのと同じ感覚なわけで、気軽にやっていいことのはずなのだが、妙に気がとがめる。神が見ていたらその金でもう少しまともな生活をしろって怒られるかな。



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